全てのきっかけは―――

「……なんとか、落ち着きました。」



 拓也の胸に両手を乗せてずっと動かずにいた実は、その声と共に疲労困憊こんぱいの息をついた。

 側の椅子では、尚希が祈るような仕草でうつむいている。



「とりあえず、術の反作用が拓也を荒らすスピードを、真正面から食い止めています。でも、消すことはできません。もって三日です。それ以降は……正直、いつ死んでもおかしくないです。禁忌を犯すというのは、それだけの対価がりますから。……拓也が術を解かない限り、事態は収まらないと思います。」



「そうか……」



 静かに、尚希はそうとだけ返す。

 実は何も言わず、大きく息を吐き出した。



 さすがに、魔力を乱用しすぎたかもしれない。

 全身がなまりのように重たかった。



 別に自分の魔力を過信しているつもりはないのだが、必要だと思えば後先考えず魔法を行使してしまうので、こうして疲れがひどくなってから限界に気付くのだ。



 普通の人間なら、とっくに死んでいるだろう。

 それはなんとなく分かる。

 こういう無理が通用するのも、自分の生まれ故のことかもしれない。



 体の重さに負けて、実はずるずるとベッドの脇に座り込んだ。

 まだコートも着たままだが、脱ぐ気力はない。



 暖房器具の一切ついていないこの部屋では、特にわずらわしくも感じなかった。

 ただ、厚手のコートは体の重さをさらに強調してくれて、目を開いている億劫さを増長させた。



 実は部屋の時計を見る。



 時刻は、午後十時を回っていた。

 家には電話を入れたので大丈夫だが、問題はそこではない。



 今日は、アズバドルの方で野暮用があるのだ。



 考えただけで、またずしりと体が重くなった。

 休みたいのは山々だが、そうもいかないのが現実である。



「尚希さん。」



 疲弊しきった声で、実は平坦に言う。



「なんだ。」



 それに答える声も、また平坦だった。



 二人とも、それに関して言及しない。

 そんな些細なことを気にしているほど、二人の疲弊は軽いものではなかった。



「拓也の母親についてなんですけどね。」

「………っ」



 ピクリと、体を一瞬震わせる尚希。

 それを視界の端に見ながら、実は床をぼうっと眺めて先を続ける。



「全てのきっかけは、どうやらそこにあるみたいなんですよね……」



「………」



「尚希さん、ずっと拓也と一緒に過ごしてましたよね? だから、何か知っていないかと思ったんですよ。その様子じゃ、知ってるんですね。」



「………」



「教えてくれませんか?」



 落ちる沈黙。

 実はそれ以上は何も言わず、静かに尚希の答えを待った。



 別に、拓也の母親のことを聞いたところで、何ができるというわけでもない。

 聞いても意味がないと言われればそれまでだ。



 それでも、何もしないよりはマシだろう。



 拓也を死なせるわけにもいかないし、自分の独断で受けたゲームに巻き込まれて、桜理まで命を落とすはめになるのはごめんだ。



 結局のところ、自分はどうにかして、この背水の陣を切り抜けなければならなかった。



 そのためには、どんなに下らなくても情報が必要だ。

 限られた時間の中で、どうにかして突破口を見つけなければならない。



 疲労に侵食されてぼんやりとした頭でも、やはり危機感と切羽詰まった焦りは一応あった。



 耳を満たす静寂。

 その静寂は妙に心地よくて、心と体を二度と引き返せない眠りへと誘うようだった。



 思わずそれに流されてまぶたを伏せた時、まるでそこから先には行かせないというように、尚希が口を開いた。



「そうだな……こうなった以上、話しておくべきか。」



 軽く息を吐き、顔を上げる尚希。

 その表情は感情が欠落し、あまりにも機械然としていたが、目には弱いながらも光が宿っていた。



 無理をしているな、と実は思う。

 生憎あいにく、それを労わってあげられるほど気が回る状態ではないし、現状もそれを許さないのだが。





「かなり昔の話になる。まだオレたちが、〝知恵の園〟にいた頃の話だ。」





 淡々と、尚希は語り出した。


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