あいつはいつも……

「―――っ!?」



 場の温度が、音を立てて一気に下がる。



 実の言葉を受けた瞬間、周囲の喧騒がぐっと遠のく。



 あたかも、自分と実だけが世界から隔離されたかのような、そんな息もつまりそうな沈黙が五感を満たすようだった。



 痛いほどの沈黙は、自身の心臓の音を明確に響かせる。

 その沈黙をどうにかしようと、尚希はカラカラに渇いた喉で息を吸った。



「なんだって……」



 しかし、なんとか搾り出せたのは、自分でも驚くようなかすれた声。

 想像を絶する実の言葉に、それ以上の言葉を紡ぐことができなかった。



「調べていないので、まだ確定とは言えません。だけどこの見解、俺は限りなく真実に近いと思っています。」



「そうか…。実がそうだって言うなら、ほぼ百パーセントの確率でそうなんだろうな。」



 控えめな口調の実に、尚希はあえて断言を返した。



 周囲の気配や力に人一倍敏感な実が、ここまで言うのだ。



 もしかしたら見当違いかもしれない、なんて。

 そんな楽観的な観測など、始めから持つべきではない。



「まったく……なんでそんなモノにかれてんだ、あいつは。」



 自然と零れた言葉だった。



(そりゃ確かに……あいつはいつも、限界手前だったけど……)



 考えたくもない未来予想と共に、脳裏に揺らめく過去の景色。





(ようやく……ちゃんと笑えるようになったと思ってたのに……)





「その原因についてなんですが……」



 実が再度口を開いたので、尚希は込み上げてきていた思いを胸の奥に抑え込んだ。



 今は落ち込んでいる場合ではない。

 まだ拓也が死ぬと決まったわけではないのだから、自分にできることを少しでも見つける方が大事だ。



 そう、自分に言い聞かせた。



「クリスマスの事故で拓也が運ばれたのって、総合病院ですか?」



 実がそう問うてくる。



 この辺りで総合病院といえば、あの大きな病院しかない。

 尚希は一つ頷いた。



「ああ。オレが迎えに行ってるから間違いない。それがどうかしたのか?」



 首を傾げた尚希に、実は今日の出来事を話した。



 今朝からずっと拓也の様子を見ていたこと。

 放課後に拓也がその総合病院へ向かったこと。

 そして拓也が病院に入ると、黒いもやがその密度を増したこと。



 実から語られる話を、尚希は努めて冷静に聞く。



「―――というわけで、原因はその病院にあるんじゃないかと。」



 実がそう締めくくったところで、尚希は自然に正していた姿勢を崩してシートに寄りかかった。



「うーん…。少なくとも今日は、診察の日じゃなかったはずだぞ。」



 腕を組み、うなる尚希。



「なんでもいいです。何か、思い当たる節はありませんか?」

「んー…」



「怪我の調子を見せること以外で、拓也は何か言ってませんでしたか?」

「あ、そういえば……」



 尚希は突然、下げていた視線をパッと上に向けた。



 一つだけ、妙な出来事があったではないか。



「事故の日に、病院で会ったって人から、膝かけをもらってきてたな。オレは今さら返せないからありがたくもらっておくか、いらないなら捨てろって言ったんだけど、なんでか拓也はそれが嫌だったらしくて…。わざわざ洗濯して、次の診察日に持っていってたな。拓也がいやに頑固だったから、よく覚えてる。」



「それで、その膝かけは?」



 実がさらに訊いてくる。



「その人に会った中庭にいたら、運よくまた会えて返せたみたいだ。返してきたついでに、今度はお茶をごちそうになってきたって言ってた。」



「その後のことは知ってますか?」



 実が重ねて問いかけると、尚希は途端に渋面を作った。



「いや……その先は聞いてないから、分からないな…。今の話も、拓也が自分から言ってきたことだし。」



「そうですか……」



 呟く実。



 きっと今頃実の脳内は、数少ない情報から少しでも活路を見出だそうと、ものすごい速度で回っているのだろう。



 尚希が見守る中、実はふっと短く息を吐く。

 そして、まるで裁判長が判決を下すかのようにテーブルを指で叩いた。



 コン、と。

 硬く小さな音が、やけに大きく二人の耳に響く。



「とりあえず、今は情報が足りません。俺はすぐにでも、あのもやの正体を調べます。あの靄の出所が分かれば、接触も図りたいところです。ちょっと気になるので、尚希さんは拓也が話していた患者さんについて、それとなく情報を聞き出してくれませんか?」



「分かった。」



「それと、さっき俺の記憶を見せたついでに、尚希さんにも靄が見えるようにしておきました。なので、拓也と靄の様子も見ておいてください。くれぐれも、拓也には勘付かれないようにお願いします。あまり悠長に構えてもいられませんから、俺も早期解決に最善は尽くします。あとは……」



 実の目にここで初めて、ほんの少しだけ不安がよぎった。





「―――拓也のしぶとさに、賭けるしかないです。」





 祈るような口調で紡がれた言葉。

 それはとてつもない不穏さを伴って、尚希の心に重くのしかかるのだった。


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