拓也に憑くのは―――

 あの電話からおよそ一時間。

 尚希は、駅前の大通りを早足で駆け抜けていた。



『察しているとは思いますが、あまりいい話ではありません。』



 すぐに折り返しの電話を入れた自分に、実が告げた言葉だ。

 その言葉が、自分をこうして急がせている。



 確かに電話を受けた時、直感的に嫌なものを察知していた。



 極力他人に深く関わろうとしない実は、あまり外部と連絡を取り合わない。

 そんな実が、メールではなく電話をしてきたのだ。



 それは、実が自分だけでは対処しきれないと判断したということであり、それだけ事態が深刻である可能性が高いということ。



 危機感を持つには十分だった。

 仕事はその場で影に任せ、大急ぎで帰路について今に至る。



 尚希は大通りに並ぶ店をせわしなく見回し、その中にあるファミレスの扉を開けた。



 来店を告げるベルの音でやってきた店員に待ち合わせの旨を伝え、店内を見渡す。

 そして捜していた姿を見つけた尚希は、大股でその席へと向かった。



「悪い。待たせたよな。」



 声をかけると、席に座って携帯電話の画面を忙しく叩いていた細い手がピタリと止まる。



 うつむいていた頭が上がり、さらりと揺れる淡い栗毛色の髪の隙間から覗く薄茶色の双眸が、わずかに息を上げるこちらの姿をガラス玉のように映した。



「いえ、大丈夫ですよ。」



 実は静かに答える。

 そこに、いつもなら浮かべる愛想笑いはない。



 その反応に、危機感と不安がより一層煽られるようだった。



「で、話って?」



 実の向かいの席に腰を下ろしつつ、尚希はすぐに本題へと入った。

 実はそんな尚希をじっと見据えて―――



「その様子だと、尚希さんにはが見えてないんですね。」



 そう口にした。



「アレ?」



 尚希は訊ねる。

 そんな彼の前で、実は少し悩む仕草を見せた。



「多分、見てもらった方が早いかな…? ちょっと、手を貸してもらえますか?」



 手を差し出してくる実。

 実が何をしたいのかを瞬時に察した尚希は、言われたとおりに実の手に自分の手を重ねた。



 すると、互いの手が触れている部分に熱がこもった。

 そこを介して、脳裏に何かの映像が流れ込んでくる。



 その映像が何であるかを理解した瞬間、背筋がぞっと凍りつくのを感じた。



「これは……」

「それが、今朝拓也と会った時に見えたものです。」



 実は溜め息混じりに告げる。

 その言葉を境に、二人の間に沈黙が落ちた。



「………」



 尚希は険しい表情でテーブルを見つめる。



 脳裏には今しがた実に見せられた映像がくっきりと焼きついていて、胸の中にどす黒い不安を生み出してく。



 見たのは、実の記憶の欠片。





 実の視界から見た拓也と、そして―――拓也にまとわりつく、黒いもやのようなもの。





(実が急に電話を寄越してきたわけが、これか……)



 尚希は納得する。



 一目見れば分かる。

 あれは危険なものだ。



 黒く不気味に揺れるもやは、今にも拓也を飲み込もうとしているようだった。

 ひどく気味が悪くて、不吉な何かを感じさせる靄だ。



「なんなんだ、これは?」



 尚希はそうとだけ呟く。



「そうですね……とりあえず、向こうに関するものではないのは確かですね。」



 そう答えた実は、思案げに手で口元を覆った。



「………?」



 その沈黙に、尚希は違和感を抱く。



 じっと考え込む実。

 そこに見えているのは、明らかな迷いだったのだ。



「実?」



 尚希が訊ねると実はハッとしたように目を見開き、次につめていた息をゆっくりと吐き出した。



「すみません。呼び出しておいて、言うのを躊躇ためらうってのもおかしな話なんですけどね……」



 実はきっと、拓也にまとわりつくもやに感じているものがあるのだ。



 確信した尚希は、黙って実の言葉を待つことにする。

 実はそんな尚希をしばらく見つめ、やがて開きたがらなそうな唇を薄く開いた。



「見た感じでは……」



 実は静かに切り出し、そこで一旦止めた。

 そして……





「―――おそらく、死神のたぐいかと。」





 重々しく、そう告げた。


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