死神

 どこからか、水が滴る音が聞こえる。

 その音は様々なところで反響し、不思議な余韻を残して消えていく。


 

 ふと滴る水の一滴が頬に落ちて、実はうっすらと目を開けた。



 見えたのは冷たく光る地面と、近くに転がっている金色の鳥かごのようなもの。



「………?」



 なんでこんなものがあるのか疑問に思いながら、実はとりあえず身を起こす。



 確か、学校の昼休みに拓也の背後の影に接触しようとして……



 そこで、実はハッとする。



「どこだ……ここ……」



 影に触れて、不快感や嫌悪感や危機感に体が支配されてしまったことは覚えている。

 そして影が急に襲ってきて―――そこから記憶は、ぷっつりと途絶えていた。



 今分かるのは、ここが学校ではないことだけ。



 地面はガラスのように硬質なものでできており、自分の顔が映るくらい綺麗に磨き上げられていた。



 上方は真っ暗で、天井がどのくらいの高さにあるのか分からない。

 水の反響音からかんがみると、かなりの高さがあるだろう。



 この空間の中に大した明かりはなく、夜目がくはずの自分でも、自分の周囲いちメートルくらいがようやく見える程度だった。



 何か夜目が利かないような細工でもあるのだろうか。

 あまり直面しない事態に、実は首をひねる。



 ある程度の状況を分析して心が落ち着いてきたところで―――ふと、自分の背後に何者かの気配があることに気がついた。



「―――っ!?」



 瞬く間に全身を緊張が走る。

 考えるよりも先に、そちらを振り向いた。



 その刹那に確認できたのは、暗闇の中でも分かる、何もかもを包み込んでしまいそうな漆黒。



「く…っ」



 実はなんとか踏ん張って、後退しかけた足をその場に縫い止めた。

 反射的に攻撃しようと動いた右手を、間一髪のところで左手を使って押さえる。



 呼吸を整え、その漆黒に意識を集中させることに。



 徐々に見えてくるその正体。

 そこにいたのは全身を漆黒のローブで包み、フードを目深に被った人物だった。



 その人物は、実を頭から足までをじろじろと眺めて……



「ほう…」



 と、感嘆が混じった息をついた。



 声の低さから、この人物が男性であることが知れる。



 彼はすっと、音を立てずに実に近寄った。



 まるで床を滑るような速さで近づいてきた彼に実は驚き、その一拍の間に、彼は実との距離をほとんどなくしていた。



「!?」



 目を見開いて退きかけた実の頬に、彼はそっと手を添える。



 思わず固まった実の瞳を、彼は間近から見つめた。

 フードの中から覗く深い翡翠ひすい色の瞳が、驚愕に絶句している実の顔を映す。



 一通りの観察を終えたのか、彼はしばらくすると、あっさりと実の顔から手を離した。

 何をされても抵抗できるようにずっと警戒していた実は、意外な彼の態度に拍子抜けしてしまう。



 彼はまた実のことをしげしげと見つめ、今まで横に引き結んでいた口元をやわらげた。



「いい魂の色をしている。」

「……は?」



 彼は突然、何を言い出すのか。



 ポカンとした実は、次に不審そうに彼の様子をうかがった。



 こちらの視線に気付いていないのか。

 それか、あえて無視をしているのか。



 彼は、こちらの様子に構わず先を続ける。



「見方によって変化する色といい、見えそうで見えない薄ぼんやりとした光なのに、痛烈な存在感を放つ不思議な幻影を思わせる輝きといい、二度とは見られない逸品だ。……それとも、お主のいた世界の人間は、皆このような不思議な魂をしているのか? 異世界の人間よ。」



「なっ…!?」



 実は息をつまらせた。



 見破られた。

 何も言わずとも、彼には自分がこの世界の人間ではないと分かっているのだ。



 〝一体どうして〟という問いは、驚きのせいで音にならずに喉の中にわだかまる。



 答えあぐねる実をじっと見据えていた彼は、ふとその唇を笑みの形に歪めた。



「驚かせてしまったか。まあ、仕方あるまい。」



 彼は実から少し離れて、舞うようにその両の腕を広げた。



「ようこそ、人の子よ。ここは我が空間。地球という世界のどこにも属さぬ空間だ。私は古来より厄病神、あるいは死神と呼ばれ、人々に恐れられてきた。お主も、私のことは好きなように呼ぶがいい。」



 彼は愉快そうに、そしてうたうように語る。



「お主は賢く、また勇敢だ。友人を一目見ただけで私の存在に気がつき、一度目は偶然を装って、二度目は確固たる意志を持って私に接触を試みた。私の正体に勘付いているにもかかわらずだ。それを評価して、此度こたびは私との面会を許すことにした。さあ、お主は私に何を訊きたい? 私に何を求める? 私もお主に興味がある。なんでも申してみよ。」



 なるほど。

 どうやら自分は、あの影を介してこの空間に連れてこられたらしい。



 この死神によって。



 驚愕や戸惑いが瞬く間に引いていき、なかば呆けていた思考がすぐにえ渡っていく。



 相手にどんな目的があるにしろ、接触が成功したというのは大きな進歩だ。

 この機会を無駄にはできない。



「俺があんたに言うことは一つだけだ。」



 実は眼前の敵を睨みつける。



「何が目的かは知らないけど、とにかく拓也から手を引いてほしい。」



 単刀直入に告げる。



 何故拓也に目をつけたのか、何が目的なのか、そんな事の経緯はどうでもいい。



 神は常に気まぐれなのだ。

 その時の気分と状況で、簡単に人間の人生を狂わせる。



 気まぐれ故に平等で、そして無慈悲。



 レティルといい彼といい、神とはこうも面倒な生き物なのだろうか。



「ふむ、やはりそういうことか。私に接触を図るくらいなのだから、そうであろうな。」



 答えとしては、予想の範囲だったようだ。



 彼はローブの下で手を動かす。

 ローブの中から現れたほっそりとした細い手が、パチリと指を弾いた。



 広さも分からない不思議な空間内に、澄んだ音が響き渡る。



 すると、今まで暗くて存在が分からなかった壁が、ふわりと柔らかい光を灯した。

 光は実たちの周りを大きく円形に囲み、一瞬強く光ってまた淡い光に戻った。



「………っ!!」



 何が起こるのかと身構えていた実は、周囲に広がった光景を見て瞠目した。



 光が灯ったことで、この空間の構造がその全貌を明らかにした。



 巨大なホールのような空間。

 綺麗な曲面を描いている壁は棚のようになっていて、そこにぎっしりと金色のかごが並んでいる。



 そして―――



 実が絶句した大きな原因は、そのかごの中にあった。



 壁の棚に並んだかごの中には、淡く発光する球体が揺れていた。

 それは壁のかごの全てに一つずつ納まっていて、それぞれが違う色合い、違う輝きを放っている。



 これは、言うまでもなく―――


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