刻印

 通されたのは社務所ではなく、神社のさらに奥にあった純和風の家屋だった。



 厳しい文字で〈九条くじょう〉と書かれた表札のかかった木製の引き戸をくぐり抜け、神社の参道と同じ石畳の道の終点にある玄関を入って家の中へ。



 客間と思われる部屋に通されて、ここで待つように言われた。



「………」



 広い和室の中で、実と尚希は立ち尽くす。



 部屋の中央には大きな机。

 それ以外に家具らしい家具もなく、部屋の奥にある床の間に飾られた掛け軸が、何もない部屋の中で大きな存在感を放っている。



 実たちのすぐ側では、ヒーターが部屋を温めるためにフル稼働。



 足元にその温風を感じながら、蓮たちがいない状況で勝手に座るのも気まずく、二人は所在なげに立っているしかなかった。



 そんな気まずい沈黙が満ちる部屋の中でしばし。



 ふと、遠くから床を踏むきしんだ音がした。

 足音が徐々に近づいてきて、客間のふすまが静かに開く。



「座っていてくれて構わなかったのに。」



 急須と湯飲みの乗ったお盆を持った蓮は、未だに立っている実たちを見るとわずかに目を見開いた。

 その後ろから、紫苑も続いて部屋に入ってくる。



 二人はもう、はかま姿ではなかった。

 蓮はパーカーにジーンズ、紫苑は薄手のTシャツにカーゴパンツというラフな格好だ。



 蓮は机にお盆を置くと、実たちに向き合った。



「先ほどは失礼しました。僕は九条蓮。父が仕事の間、この神社を預かっています。こちらは僕の従兄弟の九条紫苑。僕より三つ下で、今は高校二年生です。」



「……どうも。さっきは……すみませんでした。」



 蓮に促されて、紫苑は深々と頭を下げる。



 どうやら、奥にいる間に蓮に叱られたらしい。

 この話は終わりにしたはずだったが、蓮としてはどうしても許せなかったのだろう。



 突っ込むのも今さらなので、実は何も言わずに会釈を返した。



 従兄弟ということは、親戚に向こう側の人間がいるのだろうか。

 簡単な魔法ならまだしも、あのレベルの攻撃魔法を扱うにはある程度の鍛錬が必要だ。



 実の観察するような表情から何かを感じ取ったのか、紫苑が口を開いた。



「おれの母さんが、どうやら異世界の人間らしい。おれがここを手伝うようになって、護身術の一環ってことで術は習った。詳しいことは、母さんも教えてくれなかったけど。」



「ああ、なるほど……」



 すっきり納得。

 彼の母親が向こう側のことについて教えないのも当然だろう。



 向こうに関わったところでいいことはない、と。

 向こう側に嫌気が差した人間なら、きっとそう思っているはずだから。



 紫苑はそれ以上、口を開かない。

 言うべきことは言ったと、その顔に書いてあった。

 実は思わず微笑を浮かべる。



「もう気にしないでください。俺は宮崎実です。こちらこそ、急に訪問してきてすみません。」

「植松尚希です。」



 こちらも名を名乗り、丁寧に礼をする。



「今回は、俺の友達に気になることがあって、死神ほ話を聞くためにここに来ました。尚希さんはその友達の保護者代わりをしていて、事情を話して一緒に来てもらったんです。」



「そうですか。死神については、僕でもある程度のお話ができます。詳しくは、座ってから話しましょう。どうぞ、上着を脱いで座ってください。」



 机を示した蓮がそう促してくる。



 ヒーターのおかけで、部屋の中はもう温まっていて、コートを着た状態では少し蒸し暑さを感じる頃だった。



 実と尚希は一つ頷いて、素直にコートを脱いだ。



 黒いコートは土埃つちぼこりのせいで若干茶色くなっている。

 これは母さんに叱られるだろうなと、頭の隅でどうでもいいことを思った。



 その時、湯呑みにお茶をれていた蓮がふと顔を上げた。



「この辺りの制服じゃないですね。」



 指摘されて、実は「ああ…」と呟く。



「そうですね。隣の市から来たんで。」

「紫苑と歳が近そうだけど、高校生ですか?」

「いや、中三です。」



 蓮と何気ない話を交わしていると、隣で紫苑が「げっ、中学生ー?」と驚きの声をあげた。

 そんな紫苑を空気のように無視して、お茶を淹れ終えた蓮が立ち上がる。



「少し、そのブレザーを脱いでくれませんか?」



 唐突に、蓮はそんなことを言った。



「え?」



 思わず蓮を見上げるが、蓮は真面目な表情でこちらをじっと見ている。

 どうやら、冗談ではないようだ。



 その前に、どう見ても蓮が冗談を言う性格だとは思えないけど……



 不審に思いながらも、実はブレザーを脱いだ。



 何か変なものでもついているのだろうか。

 脱いだブレザーをひっくり返したりしながら生地を確認するが、特にこれといった異常もない。



「あの……どうして……」



 言いかけて、実はぎょっとする。



 いつの間にか、目の前に蓮がいたのだ。

 彼は何やら、険しい目つきでこちらを見据えている。



「ちょっと……失礼しますよ。」

「え? ……わっ!?」



 素っ頓狂な声をあげる実。

 その足元に、ばさりとブレザーが落ちた。



 無理もない。

 突然、蓮が実のネクタイに手をかけたのだ。



 蓮の突拍子もない行為に、実だけではなく、尚希と紫苑も目を剥いて固まってしまう。



 蓮は素早く実のネクタイをほどくと、驚愕で実が動けないのをいいことに、カーディガンのボタンも外してしまう。



 その手がワイシャツのボタンにまで触れた時、実は本能的にその手を掴んでいた。



「ちょ……ちょっとちょっと!! 何するんだよ!?」



 敬語も何もかもすっ飛んでしまい、パニックに陥る頭で怒鳴る実。

 そんな実に対し、眉間にしわを寄せた蓮は、ものすごい剣幕で実を睨んだ。



 それまで静謐せいひつだった瞳に宿った正反対の苛烈な光に、実は一瞬意識を奪われた。

 その瞬間、わずかだが手の力が緩む。



 蓮はその隙を見のがさず、ワイシャツのボタンを四つほど外した。

 抵抗する間もなく、バッとワイシャツを広げられる。



 白いワイシャツの下から素肌が見えて……

 そして―――



「……やっぱり。」



 蓮が微かに表情を歪めてうめいた。



 蓮を止めようと寄ってきた紫苑と尚希が実を見て、その表情にさらに驚愕の色をたたえる。

 実自身も、己の状態に顔色を失っていた。



 全員、時を止めてしまったかのように動きを止める。

 部屋の空気が、緊張と戦慄を伴った異質な沈黙に満ちる。



 誰も何も言わない。



 その場の全員の瞳は、実に―――実の胸に注がれていた。





 実の胸には、まるで焼印をしたかのような傷で、円形の幾何学的な紋様がくっきりと刻み込まれていたのだ。





「…………」



 誰もがその紋様に言葉を失う。

 その沈黙に終わりをもたらしたのは、実のシャツを震えるほどの力で握り締める蓮だった。





「教えてください。これがつくまでの経緯を、できるだけ詳しく。」




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