エリオスとの出会い

 暴れる拓也を連れた尚希が辿り着いた先は、どこかの部屋の窓。

 薄い生地のカーテンがかかっていて、中の様子は分からない。



 拓也が逃げ出さないようにしっかりと捕まえながら、尚希その窓をコンコンと叩いた。



「離せーっ!!」

「こらこら、逃げるな。そんな、おっかなくないってば。」



 説明なしに連行しておいて、何がおっかなくないだ。

 抗議と恨みを込めて、拓也は自分を押さえ込んでくる尚希の腕に渾身の力で噛みついてやる。



「あだーっ!!」

「……これは…… 一体、何事だい?」



 耳朶じだを打つ柔らかい声は、初めて聞くもの。

 思わず、動きを止めてしまった。



「あ。エリオス様、こんちはー。」



 拓也に噛みつかれた状態のまま、尚希が苦笑ぎみに言う。

 それに対し、くすりと軽い笑い声が返ってきた。



「また世話焼きかい、キース君。そっちは、最近ここに来た子だね。」



 穏やかな口調。

 まるでそれに引き寄せられるように、気付けば顔が上を向いていた。



 そこで目が合ったのは、窓枠に両手を乗せ、微笑みを浮かべてこちらを見ている一人の男性。



 彼の柔らかな淡い栗毛色の髪は風にさらさらと揺れて、太陽の光を反射しているのか透過しているのかよく分からない、不思議な光彩を放っていた。



 なんだか、今までにいだことがない香りを漂わせる人だ。

 一瞬、敵意を忘れて見惚みとれてしまった。



「ティルっていうんだ。これがすっげーひねくれもんでさ、担当者をまだ決めないんだよねー。」

「………っ!」



 それで、はたと現実に引き戻される。



 そうだ。

 誰であろうと、ここにいる人間ならば敵には違いないのだ。



 目の前に現れた新たな敵に、拓也は敵意に満ちた刺々とげとげしい視線を送る。



「ああ、聞いているよ。みんな国のため、神のためって、忠誠心を植えつけることしか言わないから。そりゃ、誰が担当者になっても気に食わないよね。」



 優しいのに、こちらの核心を鋭く突く言葉。

 それに、思わず息を飲んでしまう。



 まさにその通り。



 誰が家族を殺そうとした連中の言うことなど聞くもんか。

 こんな国のために一生を捧げるなんてまっぴらだ。



 心の中を支配するのは、国への不信感、敵意、憎悪。

 そんなものばかり。



 口を開けば忠誠心を語り出すような大人たちと一緒にいると思うだけで、耐えがたいほどの吐き気がするのだ。



「ま、今はコルンもいないし……大丈夫かな。ティル君、君のことは私も聞いている。君のご家族に危害を加えたこと、同じ国につかえる者として申し訳ないと思う。私が謝っても君の怒りは納まらないだろうけど、それでも言わせてほしい。すまなかったね。」



「……謝るから、素直に国のために動けって言うの?」



 ぎらぎらと負の感情をたたえた瞳で、拓也はエリオスを見上げる。

 それに、尚希は目を丸くした。



 初対面の相手に拓也が口を開くなど、今までになかったからだ。



「ぼくは……絶対に許さない。」



 拓也は怨嗟えんさを込めて告げる。



 断言する。

 自分は、絶対に国を許さない。



 そんな拓也の様子をうかがいながら、尚希は笑う。



 ―――これは、いい兆しだと思った。



「ね? エリオス様にぴったりの奴でしょ?」



 尚希の言葉に、怪訝けげんそうに顔をしかめる拓也。

 しかしその表情も、数秒と経たずに驚きへと変わることになる。



 尚希の言葉を聞いたエリオスが、何故かものすごく穏やかに笑ったのだ。



 自分の態度に、今までの大人はいい顔をしなかった。



『なんだ、その態度は。』



 そう言って、露骨に嫌悪を示した視線を投げかけてくるのが常だった。

 それなのに、どうしてこの人は笑うのだろう。



 エリオスはゆっくりと身を屈め、拓也と目線を合わせた。





「ティル君。―――忠誠心なんか、私はいらないと思うよ。」





 笑顔のまま、彼は平然とそんなことを言ってのけた。



「……へ?」



 ポカン、と口を開く拓也。



 その反応に、たまらず尚希は噴き出した。

 そのまま腹を抱えて大笑いする尚希に、拓也はさらに目を白黒させる。



「サイッコー、その顔。やっぱ、連れてきて正解! エリオス様はここを取りまとめてる人で、オレの担当者なんだ。エリオス様が担当者の奴なんて、今のところオレだけなんだぜ。エリオス様が忙しいのと……この人自身が変わってるからかな?」



「こらこら。事実だから、否定はしないけどね。」



「否定しないの!?」



「しないというより、できないね。」



 茶目っ気たっぷりの尚希に、エリオスは軽やかにそう返す。

 そしてまた拓也に視線をやると、彼はその顔に含み笑いを浮かべて口を開いた。



「さて、ティル君。せっかく力を見込まれて、ここに連れてこられたんだ。時間はかかるけど、それを利用する気はないかな?」



「……利用?」



「そう。」



 エリオスは一つ頷く。



「ここで学べば、一流の術師になれるよ。努力次第では、どこまでも上を目指せる。誰にも負けないくらいに技術を磨けば、あるいはここを逃げ出すことも可能だ。もちろん、仕返しだってね。それは君たちと同じように、ここで育った私が保証しよう。」



 爽やかな笑顔で、エリオスはとんでもないことを言う。

 それが仮にも〝知恵の園〟を仕切る人間の言葉だというのか。



 偉い立場の人間ほど忠誠心の塊だと思っていた自分には、目の前の彼がひどく異質に見えてしまった。



 エリオスは策士の顔で笑みを深める。



「私のところに来るかい? ただし、私の教え方は少々荒いよ? 怪我の一つや二つでは済まないかもね。」



「エリオス様は、とんでもなく厳しいぞ。オレも、何度か死ぬ思いをしてる。」



 悪戯いたずらっぽく笑う尚希。

 なんとも言えない気分に陥りながら、拓也は尚希とエリオスを何度も交互に見る。



 なんだか、すっかり毒気を抜かれた気分だった。



「どうする? 話は通しておいてもいいよ?」



 にっこりと、彼は人差し指を唇に当ててウインクをして見せた。



 これが、拓也とエリオスの出会い。



 結局拓也は、エリオスを担当者に選んだ。



 拓也のあからさまな反抗的態度を受けて、密かに記憶の改ざんを計画していた職員たちは、その一報に胸をなで下ろしたそうだ。



 その後エリオスに言い含められた拓也の態度が表面上落ち着いたことで、記憶の改ざんは中止されることになった。



 胸の内に敵意と憎悪をひた隠しにしたまま、拓也はこの状況を利用することを選んだのだ。



 エリオスの指導はかなり厳しく、一日訓練を受けたら三日は動けなくなることもしばしばだった。



 それでもその厳しい指導に食らいついた拓也は、みるみるうちにその才能を開花させ、同年代の子供を遥かに凌駕するほどに力を磨き上げた。



 そんな拓也がエリオスの計らいで一日村に帰ることを許されたのは、それからさらに一年後のことだった。


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