最後の触れ合い
久美子は何も言わない。
その沈黙が、拓也の心を締めつける。
こんな突拍子もないことを言われて、久美子もきっと困っているに違いない。
もしかしたら、かなりのショックを受けているかもしれない。
拓也は奥歯を噛み締める。
これだけじゃない。
これから、自分は久美子に別れを告げなければならないのだ。
全ての歪みを取り除くには、そうする以外に道はない。
しかし、それを言い出すことがなかなかできない。
久美子が何も言わないこともあって、拓也は口を真一文字に引き結んだまま動けずにいた。
そうして気が遠くなるような沈黙の時間が流れた末に、ふと久美子が動く気配を見せた。
「――― え…?」
拓也はそんな呆けた呟きを漏らした。
久美子が拓也を、そっと抱き締めたのだ。
「きっと、大丈夫よ。」
きゅっと優しく、そしてしっかりと、拓也を抱き締める腕に力を入れる久美子。
「あなたのお母さんも、きっとあなたのことを誇りに思っているわ。だって、拓也君はこんなに優しい子だもの。いい子に育って、お母さんも安心しているはずよ。お母さんにそっくりな私が保証するわ。」
不思議そうに見上げる拓也に向かって、久美子はにっこりと笑った。
彼女は丁寧な仕草で、拓也の黒髪を指で
その表情は、あまりにも遠い過去の母に似ていて―――
「………っ」
こらえていた感情があふれて、頬に涙が伝った。
久美子はその涙を優しくすくい、拓也の頭に自分の額を乗せてゆっくり目を閉じる。
そうして拓也の頭をなで続ける姿は、本物の拓也の母親のようだった。
「うっ…」
拓也は思わず、その胸にすがった。
涙が次から次へと零れて、久美子の服に落ちる。
久美子は穏やかな表情で、それを見守っていた。
ほんの少しの間、拓也は必死に声を殺しながら泣いた。
久美子を前にした恐怖や緊張がほぐれていく。
荒れ狂っていた感情が静まって、喉の閉塞感が消えていく。
この先のことを、ようやく受け入れられそうな気がした。
――― やらなければ。
拓也は覚悟を決める。
「連城さん。」
久美子の胸から顔を離し、真正面から彼女を見つめた。
「何かしら。」
久美子は穏やかに答える。
その目には、これから自分がどうなるか分かっているような諦観が滲み出ていた。
そんな久美子を前に、拓也は一つ呼吸する。
やっぱり怖い。
けれど久美子の運命を
わがままも、もう終わりだ。
「連城さんに、会ってほしい人がいるんです。」
「会ってほしい人?」
「はい。少し、目を閉じていてもらえませんか?」
久美子は不思議そうにしながらも、拓也の言葉に従って目を閉じた。
拓也はその久美子の瞼の上に、そっと自分の手を被せる。
「拓也…」
次の行動に移ろうとした拓也のことを、尚希が気遣わしげに呼んだ。
尚希が言いたいことも、彼が心配していることも分かっている。
拓也は振り向くと、尚希に向かって寂しげな、それでも落ち着いた笑みを見せた。
「大丈夫だよ、尚希。おれにやらせて。」
言うと、尚希は一瞬
しかし彼は、言いかけた言葉を飲み込んで。
「分かった。」
そう言って口を結んだ。
それに笑みを深めて感謝の気持ちを返し、拓也は久美子の目に被せた手に力を込めた。
柔らかな光が、優しく久美子の体を包む。
しばらくして、拓也はゆっくりと手を離した。
「もう、目を開けてもいいですよ。」
声をかける。
その言葉を受けて、久美子がおそるおそるといった様子で目を開いた。
久美子は疑問が満ちる目で拓也を見つめる。
拓也は腕で自分の後方を示して、そんな久美子を促した。
久美子は拓也の手の先を追って――― その瞳が零れ落ちそうになるくらいに目を見開いた。
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