迎え



「ん…」



 眩しい陽光が差し込んできて、拓也はうっすらと目を開いた。



 無意識に泳いだ視線が、光の根源を探す。

 目に入ったのは、カーテンが閉まった窓だ。



 閉じられたカーテンの隙間から差し込む、部屋が薄暗いが故に余計に眩しく感じる、一条の光。

 それが床を分断するように走り、ベッドで寝ている自分の顔にまで伸びてきていた。



 部屋は暖かい。

 誰かが暖房を入れてくれているのだろう。

 そのままの流れで頭を巡らせると、本棚付近に設置した掛け時計に目が留まった。



 午後一時。



(もうそんな時間か……)



 ぼんやりと思う。



 確か昨日は、久美子が息を吹き返したのを確認してから帰宅し、そこで急に胸が苦しくなった。

 驚きは激しい咳に遮られて、視界が真っ赤に染まって……そのまま、気を失った。



 拓也は目を閉じる。



 自分の中で、何かが激しく暴れ回っていた。

 それが、自分の命を食い荒らそうとしている。

 それだけは、なんとなく分かった。



 別の力がそれを必死に食いとどめているが、暴れ回る何かの勢力の方が圧倒的に強かった。



 この食いとどめる力が完全に負ければ、自分は死ぬのだろう。

 意識ではなく、本能がそう理解している。



 天罰だと思った。

 今なら分かる。



 自分は、過去に負けたのだ。

 久美子の死に行く光景が母の死んだ場面と重なって、自分が抱え込んできた闇に飲まれてしまった。



 久美子が死にたくないと言ったからではない。

 自分が久美子に死んでほしくなかったのだ。



 しかも自分の前で死なれるなんて、耐えられるはずがなかった。

 母と同じ顔をした人をまた死なせてしまうのかと思うと、ずっと隠してきたあのどす黒い闇が、自分を責めてくる気がした。



 久美子に初めて会った時、その闇といきなり直面させられて、もう彼女に会いたくないと思った。

 でも久美子から渡された膝かけをどうにかしたくて、これで最後にするつもりであの中庭に行った。



 きっと、あれがいけなかったのだ。



 久美子とささやかな話をすることを、少しでも楽しいと思ってしまった。

 〝知恵の園〟に行くことがなければ、ああやって母と話していたのかと想像した。



 久美子が自分に死んだ息子を重ねていたように、自分もまた、久美子に死んだ母を重ねていた。

 それが、どんどん自分を過去に縛りつけていったのだろう。



 拓也は自嘲的に笑って、ゆっくり身を起こした。

 そして、目を丸くする。



 足元に、実が突っ伏していた。

 ふと視線を上げると、勉強机の椅子にもたれた尚希が、力尽きたように眠っている。



 二人ともよほど疲れているのか、その眠りはかなり深そうに見えた。

 尚希はスーツ姿のままだったし、実も制服のまま。

 床には、二人のものと思われるコートが投げ出してある。



「ん……拓也?」



 拓也の身じろぎに反応したのか、実がうっすらと目を開けた。



「まだ寝てた方がいいよ。」



 起き上がった実はそう言って、拓也の体を押した。

 拓也はそれに逆らうことはせず、ベッドに戻る。



 実の顔色は、どことなく青い。

 額にはうっすらと汗をかいていて、口元はまるで何かを耐えるように引き結んでいる。

 自分の体を押す力も、力強さには欠けていた。



 それで、自分をむしばむ力に対抗しているのが実なのだと理解する。



「ごめんな、実。」



 ごく自然に出た言葉だった。

 拓也の体に毛布をかけた実は、柔らかく微笑んで首を振った。



「いいよ。お互い様でしょ? 俺の方こそごめん。禁忌を犯した反動を、食い止めるので精一杯だ。これ以上は……何もできない。」



 実の微笑みに、わずかながらに悔しさが混じった。



「いや、十分すぎるよ。」



 拓也は息を吐く。

 途端に、また睡魔が襲ってきた。



 今度目を閉じたらもう、再び目を開くことは叶わないかもしれない。



 頭の端でそんなことを考えて、一瞬睡魔に流されるのを躊躇ためらった。

 しかしその躊躇いも睡魔に飲み込まれ、拓也の意識はあっという間に深い闇に落ちていった。



「………」



 拓也の呼吸が深いものになったのを確認して、実はふと時計を見上げた。



 ここに戻ったのが、朝の五時。

 自分が帰ってくるまで寝ずに待っていた尚希に苦笑しながら拓也の傍に座って、どうやらそのまま眠り込んでしまったようだ。



 眠った拓也の顔に日の光が差し込んでいるのに気づいて、実はカーテンに歩み寄った。

 カーテンの隙間をしっかりと閉める。



 その時。



「うっ…」



 胸に激痛が走って、実は胸を押さえて身を九の字に折った。



 拓也が禁忌を犯してから、胸の違和感がその存在をより強く訴えるようになった。

 この胸の痛みは、タイムリミットが近いことを告げているのだろう。



 激しくなる動悸に、実は思わずカーテンを強く握り締める。





 ――― ぞわり





 そんな実の背後に、背筋をあわ立たせる何かが立った。



「!?」



 振り向くと、拓也にく影が自分の真後ろでたたずんでいた。



 昨日よりも濃く、明瞭になった影。

 実がその存在に気づいた瞬間、それは形をなくして実に襲いかかってきた。



「実!?」



 不穏な気配に目を覚ましたらしい尚希が声を荒げる。

 実はそんな尚希に、今できる精一杯の笑みを向けた。



「拓也のこと……お願いしますね。」



 視界が闇に満たされるのは、あっという間のことだった。


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