理想以上の獲物

「……え?」



 素っ頓狂な声を出して固まる実。

 その反応が予想外だったのか、死神の方が驚いて息を飲んだ。



「お主……ひょっとして、気付いておらぬのか。まさか、無意識にそんなことをしているのではあるまいな?」



「ちょ……ちょっと待て! なんのことだ!? 俺が預かってるのは、桜理の命だけ―――」



 言葉の途中だったが、本能が危機感を訴えてきて、実はほぼ無意識に跳んだ。

 一拍遅れて、実がいた場所に針のようなものが突き刺さる。

 それは地面に刺さった途端に、煙をあげながらその形をなくしていった。



「気を抜いたら死ぬぞ?」



 いつの間にか、目の前には死神の顔があった。

 そして背後には、鎌の鋭い刃の気配。



(―――っ!! 挟まれた!?)



 本能が命じるまま次元の狭間はざまに逃げ込み、死神から少し離れたところに瞬間移動。



 しかし……



「う…っ」



 膝をつく実。

 その足元に、ぼたぼたと大量の血が滴り落ちた。



 左足と肩に走った深い切り傷を治療しながら、実は深くうつむく。



 出血のしすぎだ。

 額に浮かぶ汗はすでに脂汗に変わっていて、頭と体の末端がしびれている。

 少しでも力を抜けば、視界が歪みそうになった。



「もう終わりか?」



 死神が面白おかしく言う。

 その声にはなぶるかのような響きが含まれていて、まるでこちらのことを嘲笑あざわらうよう。



 実はキッと死神を睨む。



 正直なところ、魔力もぎりぎりまで使い込んでいて、これ以上魔法を使うには無理がある状態だった。



 傷を治療すると共に、魔力が消費されて疲労もかさむ。



「おい、さっきの……どういう意味だ。」



 何人もの命とは、一体どういうことなのか。



 しかし、死神は問いに答えない。

 ただ、その顔に含み笑いを浮かべるだけだった。



「どういう意味だって……訊いてるんだよ!!」



 実はふと体を浮かすと、驚異的なスピードで死神の懐に飛び込んだ。

 今まで余裕だった死神の顔に、微かな驚きが走る。



 ―――ドスッ



 そんなにぶい音と感触が、実の手に響く。

 その直後に固い音がして、死神の足元に鎌が落ちた。



「はあっ……はあっ……」



 実は肩で大きく息をする。

 その手にはナイフが握られ、ナイフは死神の腹部に深々と突き刺さっていた。



「ふむ…。火事場の馬鹿力といったところか?」



 死神は微かに唇を吊り上げた。

 そして、次の動きに移れない実の首に、目にも止まらぬ速さでその手を伸ばす。



「ぐっ…」



 首をぎりぎりと締め上げられ、実は苦痛に顔を歪めた。

 ナイフから手が離れてしまい、その瞬間にナイフは霧のように消えていく。



 ナイフが消えた死神の傷口から、やけに粘っこい血液の塊が落ちた。

 しかし、それ以上は傷から血が流れる気配はない。



「本当に、お主の魂は面白いな。追い詰められれば追い詰められるほど、まばゆく輝く。どこまで限界に追い込めば、最上級に輝くのだろうな?」



 暗く禍々まがまがしい気をまとわせて、死神は笑う。

 実は震える手を自分の首を絞める彼の手に伸ばし、渾身の力で爪を立てた。



「は……なせ!」



 バチンッと、そこに火花が散る。

 それで死神の手が緩んだので、実はその手を振り払って数歩離れた。



 しかし、その歩みはしっかりしたものではなく、表情には激しい疲労と消耗がありありと浮かんでいる。



 それでも、目だけは敵意を失わずに力をみなぎらせた実の姿。

 それは、死神を新たな歓喜に震えさせるだけだった。



 ―――すばらしい。



 死神は笑んだ。



 これはまさに理想。

 いや、理想以上の獲物だ。



「その魂、必ず手に入れてみせよう。」



 手を伸ばした死神の手に、床に落ちていた鎌が吸い寄せられるように収まった。



「………っ」



 実は顔を歪める。

 と、その時。





「実!?」





 本来あるはずのない声が、実と死神の間に割り込んだ。


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