第14話 畏怖

 今日のマリアベルは殆ど無表情で夕食を食べたらしい。


「ボルネーゼの今までの行いがあの子を苦しめていることは知っています。……ですが、これは貴方の仕事です。今日もお願いします。」

「分かっています。現場に一番近いので、私が一番彼女を応援していますから。」

「そうですか。それは安心しました。貴方は随分、その平民の少女を恐れていましたし、その少女のことの方が詳しいくらいでしたから、少し心配していました。」

「……ありえませんよ。もしもそうだとしたら、とっくに逃げ出しています。」


 今日はメルセスがホットミルクを用意してくれた。

 毎回温かい物を用意しているのは、自分への気遣いかもしれないと、あながち間違いでもない憶測をしながら彼女の部屋へと向かう。

 そして、その間も彼は考える。


 リリアがシーブル・グラタンルートに入ったのか、シーブル・グラタンがリリアルートに入ったのか、記憶との齟齬が起きていること。

 ゼミティリも「ただのクラスメイト」という言葉を強調しながら、リリアと接触しているらしいこと。

 そして、フェルエが未だに暗躍して、マリアベルに傅く態度さえ示していること。


「マリア……ベル。メルセスさんがミルクを温めてくれた。」


 ただ、無しのつぶて。

 鍵も当然、開けられない。

 因みに、何度かマリアと呼ぼうとして失敗をしている。


「真面目に授業を受けていると報告を受けているぞ。ボルネーゼの人間として鼻が高い。」


 報告書でそれは確認済み。

 というより、この時点で彼女は動きを見せない予定だった。

 フェルエ事件に面を喰らってしまったが、何もないのが計画通り。

 マリアという人間が出てこないのも計画通り。

 だから、『ベル』部分は本当に余計なのだ。

 というより、RとかLとか発音しにくい。


「うるっさい!私は私なの!それにあんたはボルネーゼの人間じゃない!」


 ジョセフがくだらないことを考えていると、漸く心を閉ざしたお姫様の声が聞けた。

 ボルネーゼの名の重さに引っかかったのか、それとも自分がボルネーゼを名乗ったからか。

 後者の可能性が高いだろうと考えながらも、我が娘の顔が見たいという思いに焦がれた。


「済まなかった。私は子爵家の人間だった。あ、そうだ、ホットミルク。冷めてしまうからここを開けてくれないか?」

「……いちいち反応しないで。ミルクはそこに置いといていいから。とにかく放っておいて。」


 今日もダメだったらしい、やはり父親失格。

 ペペロンチーノとしてなら、顔を見られるかもしれない。

 でも、それは何となく憚られた。

 どんな言葉が彼女の心を癒せるのか、正直分からない。

 ただ、立ち止まっている時間も与えられないらしい。


「返事は要らないから、そのまま行って!」


 そして、また一日が終わる。

 ロザリーの言葉が耳に残る。

 リリアについて詳しすぎるのは当たり前なのだ。

 彼女が主役の世界なのだ、彼女中心に世界が回るのだ。


 でも、今は違うと言い切れる。


 世界に嫌われているかもしれない少女が、災難に巻き込まれながらも真っ直ぐに生きようとしている。


 そんな真似ができるか、自分には絶対に出来ないだろう。


 だから、彼は本当に思っている。


 マリアベルは本当に愛おしいのだ、と。


     ◇


 マリアベルはBクラスの最後列に座っている。 

 以前語ったかもしれないが、席順は派閥ごとに割り当てられている。

 王の決めた学校の精神に反しているが、ここは社交場であり、情報交換の場でもある。


 王は偉いが、王の一存で国は変えられない。


 利権を抱え込んでいる者、それに群がる者が居る。

 だから、貴族全員が諸手を挙げて歓迎する訳がない。

 そも、敵対している貴族諸侯がいる中で、派閥をバラバラに出来る筈もない。


「……あの子がシーブル・グラタンと図書室に?別にどうということはない話ですけれど、それが何か?」


 マリアベルは昨晩も、間違いなく落ち込んでいた。

 そして今も胸のモヤモヤは少し残っているが、メルセス・・・・のホットミルクで少しだけ癒されている。

 あの日の夜もそう。

 父と認めていないあの男が持って来たことは不服だが、せっかく用意してくれたメルセスの顔を立てた、という理由を無理やり作ってミネストローネは完食した。

 でも、部屋の外に置きっぱなしでは、先に家を出る義父に「自分が持って来た食事をマリアベルが食べてくれた」と思われてしまう。

 だから夜中にこっそりと食器を洗って、乾拭きまで済ませて棚に片付けている。


 それを昨夜も実行した。

 ということで、最近は色んな理由で寝不足の彼女。

 そんな彼女は只今、視線を下げている。

 理由は別のクラスの赤い髪の女が跪いているから。


「些細なことでも、マリアベルにお伝えせねばと思いましたので。私、フェルエ・ラザニアは貴女に多大なる恩がございます。」


 ただでさえ、王家と距離を置かれている辺境伯。

 その愛娘が王領にある学校で暴力行為を働けば、子供のやったことで済まされない可能性は十分にあった。

 頭が冷えた彼女は自分の立ち位置に気付かされた。

 だから、彼女はボルネーゼに屈したのではなく、マリアベルという一人の女に屈した。


「恩……ね。私は上に立つ者として当然のことをしたまで。でも、二度目はないわよ。流石にあの子は学校で目立ち過ぎているから、これ以上はどうしようもないわね。それに今の報告内容、それは喜ばしいことじゃないの。シーブル・グラタンとあの子がくっつけば、この国の体裁はある程度は保てるわ。」

「相変わらずマリアベル様はお優しいですね。あたしがこの子を説得するの、大変だったんですよ。」


 と、キャロット。


「そうだったわね。あの時は考えることが多過ぎて——」

「いえ、私が言いたいのはそういうことでは……。マリアベル様はこれほど寛大なのに、シーブルのあの態度は如何なものか、と思っただけです。」

「先ほどもこちらを睨みながら退室してましたよね、あのメガネ。」


 キャロット、レチューは伯爵家、爵位上はシーブルと大差ない。

 ただ、グラタン家は王家に特許状を貰い受けて、海の向こうの国と貿易をしている。

 どこかから大量の金塊を仕入れているという話もあり、いくつかの領主はグラタン家に借金をしているらしい。


 ——つまり、二人とメガネ少年の違いは金である。


 無論、それだけが彼の魅力ではないのだが、キャロットとレチューにとってはそれだけの男。


「レチュー、言葉遣いに気をつけなさい。それにフェルエも跪くの、やめてくださらない?一応、学校の設立理由は上下の垣根を取り払うこと……ですわよ。」


 マリアベルの紫水晶を思わせる瞳に射抜かれて、フェルエは大人しく彼女の前の椅子に座った。

 休憩中だから彼女の席が空いていた、——というよりも、半数を占める伯爵家は今の事態を静観している。

 だからそこが空いている。


「フェルエさん、あんた隣のクラスでしょ。マリアベル様の付き人は私たちなんだけど?」


 居座る気満々の赤毛の彼女が気になり、キャロットが面倒くさそうにそう言った。

 そんなキャロットをフェルエは半眼で睨む。

 熱くなったフェルエを諫めるのに相当苦労したのだろうが、その分仲良くもなったらしい。


「今は休憩時間だからいいじゃない。クラスにはあいつがいるし……。それにアタシには誰も近寄ってこないみたいだし。」


 妹分気取りのフェルエに白目を向けようとしたキャロットだが、彼女の心境の変化を理解して、ただ肩を竦めるに留めた。

 そんなやりとりを観察しているクラスメイトがヒソヒソと何かを話している。

 頑張れば聞こえなくもないヒソヒソ話をしているクラスメイトに、レチューは眉を顰める。


「それにしても、……異様な雰囲気ですね。」


 ボルネーゼ家の令嬢が動いたこと、それが大きな意味を持ってしまった。

 しかも、それが平民を含めた奇跡の世代で起きたこと。

 マリアベルは文字通り『畏怖』すべき存在となった。


 あの日、体育館に集まっていたのは部活見学組。

 上流階級のお貴族様は部活よりも社交に忙しい。

 だから、あそこにいた殆どは下級もしくは中級の貴族。

 上流階級の生徒達は単に事後報告を受けただけだった。


『ボルネーゼ侯爵の御令嬢が噂の・・平民の娘を体育館裏で折檻した』


 先のレオナルド事件により、リリアは嫌われている。

 誰もが彼女を追い出したいと考えていたが、それをやってしまうと家の信用を失ってしまう。

 だから、侯爵家のご令嬢マリアベルが折檻したという報告は、彼ら彼女らにとって胸がすくものであった。

 故に、上流貴族は『尊敬』の念で彼女を畏怖している。


 一方、目撃者の多い下流貴族たちにとって、『マリアベル』は暗黙の了解を無視して、貴族の権威を振るう存在となった。

 故に、下流貴族は『恐怖』の念で彼女を畏怖している。


 ——そも、被害者であるリリアは記憶が曖昧であり、折檻されたという訴えさえ起こしていない。


 あのレオナルド王子が問い詰めても、覚えてないを貫いているから、事態が変わらないまま時間だけが過ぎていく。


「先生達はどうするつもりかしら。」

「被害届が出てないんだろ?それに俺たちは首を突っ込む問題じゃねぇよ」

「あら。私はマリアベル様を支持いたしますけどね。あの小娘の噂は知っているでしょう?」

「それ、私も聞きましたよ。四大貴公子全員があの子を見舞いに行った話よね。それだけでお釣りが来るじゃない。私もマリアベル様を支持いたします!」

「俺は単純にマリアベル様支持だな。見ろ、あの品の良さ!」

「うーん、でもそれがちょっと怖かったり……。顔を叩いていた時も同じ顔だったし……」

「確かに。今度は私たちに降りかかってくるかもしれませんし……。ここはやはり大人達が出て、何かを決めて頂けませんと」


 生徒達は大人達の思惑で動いている。

 そして、彼ら彼女らもそれ相応の準備をして入学している。

 こんなトラブルも想定できただろうに、と学校側に不信感を抱いてしまう。


 ——そして、こんな状況だからこそ、少女は自身の正義を貫くのだろう。


 眉目麗しい少女は机を叩いて立ち上がり、教室の隅にも聞こえるほどに大きく、そして澄んだ声を響き渡らせた。


「皆様、情報交換、噂話、大変結構、大いにして頂いて構いません!それが私たち貴族の子供の勤めです。……ですが、まもなく授業が始まりますわよ。先生の迷惑にならないよう、席にお戻りください。——特にフェルエ、貴女は教室が違いましてよ。」


 マリアベルはそれほどに尊大な人間なのだ。

 彼女の声で、教室は静まり返り、皆、いそいそと着席準備に取り掛かる。

 ピッタリとくっついていたフェルエも真顔に戻って、自身の教室へと戻る。

 ただ、その時。

 見たこともない紫の髪の男とすれ違った。


「ん、誰だっけ?……ま、いいか。アタシもマリアベル様のようにならないとだねぇ」

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