第9話 高貴な少女
ベコン・ペペロンチーノは驚愕していた。
「そんなバカな……」
彼の机の上にはジュエル・オムレツ伯爵夫人からの授業報告書が広げられている。
そこには詳細な会話のやり取りがメモ書きされているのだが。
何よりも目を引いたのは、ゼミティリがリリアを抱き寄せたという文言。
「……待て、まだ4月だぞ。ゼミティリルートも絶賛進行中だと……。既に三人目のヒーローとそこまでの交友関係を築いた、どんだけ効率プレイしてんだよ。普通、一人ずつだろ!……俺がこの世界のリリアを侮っていた?いやいや、待て、俺。俺はこのゲームを男女の関係では見ていなかった。ただ、ひたすらにサイトを見ながら選択肢を選んで……、どうやったら男を落とせるか、なんて気持ちでやっていない。いや、もしかしたら……、そんな馬鹿な。それでも、ありえなくはないか。一定以上の好感度を持ったままスタートする、逆ハーレムモード。もしくは……」
立ちくらみさえ覚える彼の行動。
ゼミティリは伯爵家生まれのヒーローだから、マリアベルにとっての致命傷ではない。
だが、それほどに正ヒロインであるリリアは魅力的ということだろう。
「——分からない。他のヒーローとの行動が、他のヒーローに影響を与えたとか?……それもあり得る。第一、リリアがこの世界のヒロインなんだ。主人公補正なんてバリバリに働いている。」
一人目と二人目、レオナルドとイグリースは仕方がない。
あの二人との出会いは、このゲームはこういう趣旨ですよ、という単純にイベントだ。
でも、三人目はパラメーターと運の要素が必要だった筈。
この早さでゼミティリとの親交が深まるということは、リリアのパラメーターが初めから高いということ。
「落ち着け、俺。報告書に踊らされ過ぎだ。それに植物園も単なる出会いイベントだ。流石に四月で友達以上恋人未満の関係にはなれない。レオナルドとイグリースも確定イベント。その後の交流イベントはまだ報告にあがっていない。さらに親交を深める為には時間と労力が必要な筈だ。」
とはいえ、改造チートをしているかのような早さ、それは間違いなかった。
彼の使命はマリアベルの救出であり、ボルネーゼ家の地位向上。
まだ負けた訳ではない。
「まだ、大丈夫だ。マリアベルは悪役にはなっていない。無論、このまま何も起きないのも不味い。彼女の露出に関係なく、ボルネーゼ家は壊滅する、それが運命だ。だが、もしも露出さえなければ、抜け道を見つけ出せるかもしれない。まだ、情報が必要だ。」
男は椅子に座り、何杯目かも分からぬコーヒーを飲む。
この『悪役令嬢が悪役にならない計画』には失敗が許されない。
失敗したら、あの一家は間違いなく、自分を道連れにする。
「俺自身が動いて……、いやまだ早いか。できるだけ、マリアベルの意志は尊重したい。それに俺が動いてしまうと、どう転ぶか予測ができなくなってしまう。」
そして彼は祈るような気持ちで、窓越しに娘がいる教室を見つめた。
彼の焦りを孕んだ眼差しは、決して娘には理解できないもの。
この焦りが自分の為なのか、娘に対するものなのか、彼自身にもそれは分かっていない。
「とにかく今は静観するしかない。……マリアベル、不用意な行動だけは避けてくれよ」
そして、男は最新の報告書を手にした。
次から次に報告書が上がってくる、とにかく今は情報の整理が大切なのだ。
誰がどれくらいリリアのことを考えているのか、知っておく必要がある。
アドヴァ・リングイネを捕まえるのが手っ取り早いが、彼女は特性上、王の子レオナルドとも繋がっている可能性が高い。
「アドヴァの行動をどうにか……」
気取られれば、マリアベルルートからではなく、偽教師ルートという聞いたこともないようなエンディングを導いてしまうかもしれない。
「やっぱり、それはダメだ。俺が真っ先に処刑される。……全く。この学校はどうなって……。——!?」
そこでベコンの愚痴が止まる。
そして、最新の報告書を手に瞼を引ん剝いた。
「この報告は、——なんだ?どういうことだ?成程、これがいわゆる情報戦って奴か。ゼミティリが食いつきそうなネタ。王子様が頭を下げた事が、やはりここに繋がっていたんだ。……でも、何のために?それに誰が?」
◇
マリアベルは真面目に算術の授業を受けていた。
だから、彼女にはリリアとゼミティリの交流イベントが起きていた、なんて分からない。
ただ必死に学力を上げるために積み重ねていくだけ。
「マリアベル様は私に聞くまでもなく、算術がお得意のようですね。」
「当たり前ですわ。殿下との婚姻ができなかったとしても、学年ナンバー1とナンバー2の婚姻ならば、ボルネーゼ家の箔が落ちるということはありませんの。勿論、狙いは王女になることですけれど。」
レチューとキャロットは気を遣って勉学に励んでいるが、彼女は元々有能である。
二人も憧れのマリアベルと共に在れるのだ。
小さいころから知っているマリアベルという少女は、体の成長と共に魅力的な人物になっていった。
そんな少女と共に学びあえる、これ程嬉しことはない。
だが、二人には任務がある。
ボルネーゼ家を守り抜くことが、彼女たちの身の安全どころか、後の権威にまで繋がっている。
だから、マリアベルの歩く道には小石も許されない。
だから、二人は心待ちにしている。
——今日の放課後、フェルエ・ラザニアが動くのだから。
レチューとキャロットはお嬢様越しにアイコンタクトを送り、互いの決意を確認しあった。
二人はこの学校の見取り図が頭に入れている。
だから、マリアベルが行きたい場所なら、生徒立ち入り禁止エリア以外であれば、連れて行くことができる。
最短ルートも分かるし、人目に付かないルートも分かる。
——そして彼女の祖母直伝の闇魔法を使えば、もっと有利に事を動かせることも知っている。
『願わくば、二度と登校できないほどに、ソイツを精神的に追い込んで欲しいですね。』
『えぇ。マリアベル様の為などとは、フェルエ自身も思っていないでしょうけれどもね。』
お嬢様を挟んで、二人で話すことだってできる。
彼女たちの雇い主はお嬢様の祖母、この国において多大な影響力を持つ大婆様だ。
上手くいけば彼女たちに多大な報酬が約束されている。
そして上手くいかなければ……、考えるだけでも恐ろしい。
——そも、預言者によれば、上手くいかなかった場合、国が崩壊する。
それは逃げ場のないこの国では、世界滅亡と同義である。
つまり、絶対に負けられない戦い。
『カーン、カーン、カーン』
チャイムが鳴り、今日の最後の授業がついに終わる。
「マリアベル様、如何なさいますか?」
キャロットがいつもの上目遣いで、主人に今後の行動プランを聞く。
レチューも体を傾げて、主人の言葉を待つ。
すると少女はとても良い姿勢でこう言った。
「敵を知ることは大切なことでしょう。勿論、平民のあの子だけじゃないわ。辺境伯の娘がどれほどのものか、知っておくべきでしょうね。」
「それは、素晴らしい考えです!」
マリアベルはキャロットのキラキラした眼差しを訝しみながらも、静かに頷いた。
レチューも、勿論感動している。
予言によれば、フェルエは取るに足らぬ存在と言われている。
だが、預言に固執するあまりに、辺境伯の娘に主導権を渡してしまっては意味がない。
「でしたら、良い場所を知っております。あの場所なら体育館裏を一望できます。誰にも気付かれずに一言一句聞き取れる場所がございます。」
レチューは片膝をついて主へ進言した。
にこやかな顔だが、どこか影のある顔。
学校とは戦場であり、既にどこかで煙が上がっているのだ。
だが、そのやり方は主の気に召さなかった。
「ボルネーゼの威厳を考えれば、盗み見は避けたいですね。やはり堂々と。そうですね、誰の目からも見える場所から物見と行きましょう。」
その言葉にキャロットとレチューは更に感激する。
彼女こそが女王になるべき存在である。
先ほどまで考えていた盗み見など、どれほど浅はかかを思い知らされる。
ただ、キャロットは念のために、どこで見るつもりかを主人に問うた。
そして主人は堂々と答えるのだ。
「体育館裏なのでしょう?でしたら、体育館の窓から見れば、すぐ真下ですわね!」
二人は目を剥いたが、高貴なお嬢様は気にしない。
それでこそ、女王の器というもの。
「名案です。」
「同じく。」
そして彼女はお供二人を引き連れて、堂々とした姿勢で体育館に向かって歩いて行った。
マリアベルと付き人二人は、ベコン・ペペロンチーノが掴んだ情報をまだ知らない。
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