第5話 父と娘
ジョセフはマリアベルに懐かれていない。
「あのさ、マリアベル。そこはもうちょっと優しい言葉遣い出来ないかな?」
「はぁ?寄生虫に言葉って話せたのだね。」
「き、寄生虫って……。いや、まぁその通りだ。それは享受する。でも、喋り方だけは……」
「分かってる!他の人の前じゃ、ちゃんとするから!」
「そか、それなら……、良かった」
こんな会話は何度も繰り返してきた。
ジョセフも自分を父と思わせることは諦めていた。
やはり、そんな器じゃない。
それでも、マリアベルは自分の為にも生きていて貰いたい存在だ。
◇
乙女ゲーム『私がシンデレラ⁉五人の花婿と悪役令嬢たち』は、一応プレイ済み。
ただ、ゲーム実況の指示厨をしたいが為にプレイしたから、あまり感情移入は出来ていない。
ジョセフの中の人はそんな彼だった。
だが、ジョセフ・サンダースという人間に焦点を合わせれば、これがジャストミートなのだから、人生とは分からない。
彼はたったの三ヶ月で、体の主の精神と融合を果たしたのだ。
つまりは……
『人生って生まれた時から勝負が決まってるよね。どうせ、俺が頑張ったところで結果は高が知れている。もう、いいよ。ダラダラ生きよう。え?契約を結べば、侯爵家に婿入りが出来るって?マジラッキーじゃん。兄者達は一生懸命勉強してたけど、所詮は田舎貴族。ついに俺の時代が来たってこと!』
そんな理由でここにやってきたクズ人間だったらしい。
この地に降りて来たクズ人間である彼と、クズジョセフの同調率は降霊術師も驚愕だったという。
(しれっと、俺をクズ人間とか言うな!でも、確かに美味しすぎるし、ジョセフの気持ちも分かりすぎる!だって、とんでもない資産と不労所得だぞ!?ってか、もはやどっちが自我とか分からないくらいなんですけど?こいつが単に俺の転生先だったのでは?レベルでそっちの自我が消えてるんですけど?)
マリアベルは彼の実の娘ではない。
彼女の父親は七年前に他界をしている。
それが、彼女と馴染めない理由の一つだったりするのだが。
怒っているのか分からない、妻を前にして男は狼狽した。
「い、いえ。そうじゃなくて、私の予定通りに進んでいるという意味です。」
彼にこの家での立場なんて最初から存在していない。
がしかし、何もしなくてもお金が入ってくる上流階級である、それは揺るがない事実である。
ボルネーゼ家はこの国で王家の次に広い領地を持っているのだ。
つまり、親ではないが義理親ガチャでは大当たりだったのだ。
「予定通りでは困るのよ。分かっているとは思うけれど、マリアベルも必死なの。あの子に課せられた使命は困難極まるわ。貴方の知識をフル動員して、なんとしてもボルネーゼ家を守らなければならない。可能な限り、侯爵家以上の貴族の子供と婚約させなさい。その、貴方がヒーローと呼ぶ三人でも最悪構わないわ。」
それは主人公リリアの運命なのですが、——なんてセリフは口が裂けても言えない。
既に未来は決まっているのでは、なんて絶対に言えない。
「その……。ロズウェル伯爵の娘キャロット、ラウ伯爵の娘レチューですが、マリアベルは……」
「ですが、は禁止です。お前を呼び寄せたのは私達です。使い魔の働きのみを期待しております。」
海のような青い髪の淑女は赤い唇を三日月の形にして、机に置いてあった茶封筒を今の夫にそっと手渡した。
そして顎で、開けてみろと指示をする。
「では、失礼します……。お金は今のところ必要ないのですが……って、これ。教員免許?俺は、いえ、私にはそんな学はない……です。ジョセフ・サンダース時代もずっと家に引きこもっていたみたいですし。」
他人に言えたことではないが、本当にどうしようもない。
いや、彼が悪いわけではない。
歴史が煮詰まり、国の殆どが開拓し尽くされた国、そこでの子爵の五男は既に貴族の道を諦めろと言われているようなものだ。
しかも、今上の王によって、晩餐会や舞踏会は学校行事に組み込まれた。
更には入学年齢も若年に絞ってしまった。
若い才能を伸ばした方が未来は明るい、それは分かるがジョセフのような人間にとっては地獄でしかない。
事実として、彼の人生に詰んでいた。
親の脛をありがたく頂戴するしかないと諦めていたらしい……のだが。
「必要な知識は母に教授してもらっている筈よね?」
「……あ、そうか。成程、あれが教員の為の知識か?ですが……」
その瞬間、ジョセフの肩に痛みが走る。
ロザリーと鞭、なんと相性が良いのだろうか、とボルネーゼの犬である彼は思う。
三十代後半のロザリー、二十代にしか思えないほどに彼女は若く美しい。
マリアベルのように幼さを残していない分、鞭との相性が……
と、彼の卑しい目を見抜いたかのようにもう一撃。
ただ、それが仕置きとはならないと諦めたのか、彼女は鞭を放り投げた。
「ベコン・ペペロンチーノ。それが貴方の学校での名前よ。ペペロンチーノ伯爵からも許可は得ているわ。400年以上内務大臣を務めていた我が家を、お母様を侮らないことね。」
「あの……、その内務大臣の業務はどうするおつもりですか?」
すると窓ガラスにピシッと亀裂が走る。
この女、マジで怖い、——力が衰えつつあるとはいえ、ロザリーの魔力は国内でも有数である。
ジョセフの体など、容易く引き裂かれる。
だから、妻の体に触れることは許されない。
「今も何もやっていないでしょう?子爵家の五男に務まる筈もありません。私が代理で行っているのですから、心配せずに学校の先生を頑張りなさい。そして我がボルネーゼ家の権威が失われぬよう、しっかり管理するの。」
「ぐぬぬ、そういえばそうでした。俺、じゃなくて私は正真正銘のヒモクズ人間でした……」
「分かったら、学校に行く準備をしなさい。……私は知っての通り忙しいので。」
昼間は王立大学校でベコン・ペペロンチーノとして立ち振る舞えと彼女は言う。
そこで、娘を見守りながら教鞭を振ることになるらしい。
「分かりました。マリアベルの助けになるかは分かりませんが……、いえ、必ず助けます。そう、私はその為に呼ばれたのですから」
「では、そのようにお願いします」
◇
という訳で始まった、ベコン・ペペロンチーノの一日は早い。
なにせ、プライドの高い娘・マリアベルに気付かれてはならない。
彼女の中では父は内務大臣として働いている筈だ。
自慢の父親がまさか裏口入社をしているなど、口を裂けても言えない。
だから、彼がいなくなった後で、マリアベルは起床をする。
「お母様、お早うございます。今日もボルネーゼ家の為に励んで参ります。」
「マリアベル、まだ始まったばかりよ。そんなに焦らなくても貴女なら……」
「いえ。とんでもない敵が現れたので、私もうかうかしていられません。」
マリアベルにとって、初日から波瀾万丈の学園生活だった。
なんと主席で入学したのは、学校で唯一の平民の子供だった。
しかも、彼女は王子に名前を覚えられている。
だが、その事実を母に伝えることができようか?
「平民が?平民に負けたのですか?」
やはり、そう言われてしまう。
自分自身も情けなくて仕方ないのだ。
「ですが、落ち着きなさい。入学試験と学校の成績は直結しないわ。まさか、あんな初歩的な範囲から出題されるなんて思わなかったのですから。考えてみれば当たり前でした。なるべく多くの若者を通わせるのです。その平民の子は運良く、そこだけ勉強していたのでしょう。……もしくはギズモ男爵が余計なことをしたかです。」
ただ、母は慰めてくれた。
でも、内心ではどう思っているのか分からない。
では父は?
いや、父は——
「お母様、どうしてあのような者と再婚されたのですか。私はアレを気に入りません。サンダース子爵家の五男がどのような者か、私は一度も聞いたことがありませんし、サンダース領に一度も行ったことがないのですよ?お母様が決めたことにとやかく言うべきではないとは存じておりますが……」
すると母はにっこりと微笑んで、——こう言った。
「余計なことをする無能よりも、何もしない無能の方がマシでしょう?」
我が母ながら、とんでもないことをサラリと言うものだ。
何よりも、その一言だけで全てが納得できる。
「え、そんな理由で……。確かに帝王学で聞いたことありますけど、それを夫レベルでお母様はされているのですね。」
ロザリーは本当にクールな母親である。
元々、ボルネーゼ家は頭が良い家系だ。
だからこそユニオン暦と同じだけ内務大臣を務め上げたのだ。
ただ、それが故に政敵もいる。
そのアンダーグラウンドの攻防によって、子が生まれにくいという呪いか業かを背負わされた。
でなければ、とっくの昔に男児が生まれているし、マリアベル自身が権威に執着する必要はない。
——そも、彼女の父親がただの病で死んだのかも、マリアベルには分からない。
そして、母は娘を思うが故に嘘をつく。
彼女の今の父親が預言者と降霊術師によって誕生した、とは口が裂けても言えない。
ロザリーも苦しんでいる。
愛娘の顔に書かれた文字が、彼女にも分かってしまうのだ。
「……恋愛感情は必要ない……ですよね。お母様は凄いです。」
「さぁ、行ってきなさい。キャロットちゃんとレチューちゃんが門のところで待っているわよ。」
「あ、そうでした。それでは、お母様。今日もボルネーゼの威厳を得るために学校へ行ってきます。」
母は青春真っ盛りの少女の後姿を見送った。
そして、娘の姿が見えなくなるのを確認して、その仮面を取り払う。
「マリアベルを頼みますよ……」
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