第34話 四天王一番手

 戦いが始まる前。


 甘いマスクの少年、アイザック・シュガーは、ボルネーゼの御令嬢が来ていないかを確かめる必要があった。

 最近その御令嬢にべったりのCクラスの女子生徒フェルエ・ラザニアが来ているかの確認も必要だった。

 そのどちらも来ていない。

 更にはキャロットとレチューもいなかった。


 ——マリアベルが来ていれば、もっとカッコ良い姿を見せなければならなかった。


 無論、彼女に近しい人間が来ていた場合も同様である。


 それに、朝の魔法攻撃の件がある。

 品行方正を求められる学校で、他人の目に触れるような不意打ちは行われない。

 そんな冗談が横行している敵地である。


 この空間のどこかに死角があるかもしれない。

 その前も今もこの後も、彼は魔法による不意打ちを警戒し続けている。

 目の前の『正々堂々』を騙る黒騎士の事は、最初から警戒していなかった。

 ゼミティリはリリアと共にいるという制約を受けて戦っている。

 ならば、どれだけ卑怯な手を使おうとも、方法は限られる。

 回りくどい説を省くと、アイザックは彼を無視していた。


(僕はさ……、こんなぬるま湯で育っていないんだよ?)


 アイザック・シュガーは生まれた時から、死と隣り合わせの暮らしを強いられてきたのだ。

 朝の不意打ちを避けられたのにも、ちゃんと理由がある。

 黒騎士ゼミティリがしてきた訓練などとは次元が違うレベルの訓練を、幼少期から行ってきた。

 彼のような白い髪は世界に一人しかいない。

 それはもう、マカロン王国でも大騒ぎだった。

 しかも、不気味な言葉を使う、それは呪われているとしか思えない存在。

 マカロン王国内でも、彼を排除しようという動きがあった。

 戦争の火種になると、殺してしまおうという輩がいた。

 その記憶を取り戻し始めている彼が、ここで負ける道理がない。


 彼が気にしていたのは、マリアベルとその周辺、さらには、ここにいない敵対勢力。

 ゼミティリを傷つけても大丈夫か、という懸念。


「ねぇ、僕はどっちでもいいですよ。どうしますか?リリアさんなら受け入れてくれるかもしれないですよ。君がロリ——」


 アイザックはゼミティリを視界に捉えながら問いかけた。

 だが、思わぬ炎の攻撃に、手前に置いていた盾を咄嗟に構える。

 その直後、盾に軽い衝撃が走った。


「それ以上言ったら殺す!いや、すぐにでも殺してやる!」


 木と鉄で出来た盾が、炎魔法のせいで燃えている。

 盾についた火を消しながら、白の貴公子は肩を竦める。


(やっぱり、誰かが見ている)


「あれ、おかしいな。魔法は無し、ではなかったのですか?確か、『魔法も学ぶがやはり正々堂々、体術のみで戦うことこそが『武道』であり、正義とされる』と、仰られていたような気がするのですけ……、おっと!」


 その時、気にしていた死角から、幅1.5mほどの『水の刃ウォーターカッター』が飛んできた。

 警戒していたので、盾を見殺して後方宙返りで退がる。


(おかげで火事の心配はなさそう……。命の心配もあったけど)


 盾は見事に消火された。真っ二つにはなっていたけれど。


「そうだよ、ゼミティリ君!武道館で炎魔法なんて使っちゃダメだよ。僕が消さなかったら大火事になっていたところ、……あれ?えっと名前なんて言ったっけ。君、いたの?」


 人混みの上を飛び越えてきたのか、颯爽と着地を決める眼鏡っ子。

 そして、全くもって悪意を感じさせないシーブルの声。


『アイザックに当たればラッキー』程度の魔法攻撃だったのかもしれない。


(炎を利用した作戦?連携されていた?)


 ゼミティリが炎魔法で武道館を燃やそうとしていたから、消火活動をしただけ。

 残念ながら、アイザック君を助けられませんでした。

 シーブルはそう言うつもりだったのだろうが、なんという瞬発力だろうか。

 いくつものパターンを用意していたと考えられるだけに、アイザックの顔にも緊張の色が浮かぶ。

 ゼミティリが動いたと知った彼はいくつもの一石二鳥作戦を考えていた、——おそらくはそう。


(しかも、他に二人いるかもしれない。……懐かしい感覚だ。)


「別にお前の力を借りようとか思ってねぇよ。」

「ん?何のこと?何かあったのかい?———あ、リリアさん!リリアさんも居たんだね。これって魔法実技か何かだったのかな。それなら僕、邪魔しちゃったね。」


 ゼミティリが何故か炎魔法を使い、それをシーブルが鎮火した。

 周りの生徒は、シーブルがアイザックを殺そうとしたことに気付いていない。

 その事実よりも、ゼミティリの失態がどうしても目立つ。

 だから、ゼミティリに対してだけ、白けたという目が向けられる。


「俺はアイザックを試しただけだ。戦場では何が起きてもおかしくないからな。」


 そしてここで主人公の登場である。


「なんだぁ、びっくりしたぁ。それなら最初から教えてよ。って教えたら意味がないんだね。だったら、それも防いだアイザック君って凄いんだね!」


 キラキラした目がアイザックに向けられる。

 その瞬間、彼は鳥肌が立った。

 勿論、リリアの笑顔に恐怖を覚えたのではない。


「そっか。そういうことだったのか。」

「それはそうよね。ゼミティリ君、分かりにくいからぁ」

「おーい。ゼミティリ。流石に今のは不味いって!」


 彼女はいつも風上に居る。

 彼女が納得すれば、それが真実へと変わる。

 リリアの力かもしれないし、そうではないのかもしれないが。

 重要なのは、こんな死地にマリアベルは立っていたこと。


「リリアちゃんはゼミティリに甘すぎるよ。僕が火を消さなかったら、ここにいるみんなも懲罰じゃ済まされなかったかもなんだからね!」

「そっか、私も迂闊だったのね。シーブル君はゼミティリ君のことを良く知っているもん。ありがと、シーブル君!」


(このヒロイン!どこまで!……いや、番外戦術はシーブルの得意とするところだ。それに何となく読めて来た。)


 ヒーローは攻略対象であり、それぞれに特有の悩みや隠し事が存在する。

 そして悩みや隠し事が最もチープな男が、格好よく拳を突き出してきた。


「今日はこの辺にしておいてやろう。だが次はこうはいかない。」

「ゴメン。僕、まだ手が痺れちゃって。流石はゼミティリ君だね。……でも忘れないで。君の弱みは僕も知っているってこと。——あ、次もまたお願いします‼」


 拳をぶつける挨拶だろうけれど、何かがあるかもしれない。

 だから、アイザックは小声で脅しつつ、丁寧にそれを断った。

 すると彼は目を剥き、拳を引いて、不機嫌そうに去っていった。


『カーン、カーン、カーン』


 そして、ちょうど昼休みの終わりを告げる鐘が鳴る。


(本当は二度と歯向かえないようにしようかと思ったけど、シーブルは厄介か。いや、どうせ他にも潜んでいるんだろう。)


「アイザック君!教室に戻ろ!」

「リリアさん、僕も一緒に戻るよ!」


 そしてリリアとシーブルの後ろを歩くアイザック。

 彼には、シーブルの背中がこう言っているように思えて仕方なかった。


『今は勝利に酔いしれる。だが、あいつは四天王の中でも最弱だ。次はこうはいかないからな』


 と。


(それは知っているんだけどね。そんなことより、俺は戦っている土俵が違うんだけど。このペースに飲まれるのは不味いわけで……)



 そして、その夜。


「パパ、あの報告書本当にあってるの!?」


 ジョセフはマリアベルの部屋に呼び出されていた。

 アイザックとしての行動は不合格。

 彼は初日、マリアベルに会いにはいけなかった。

 学校が終わった瞬間、これ以上巻き込まれてはならないと、急いで逃げた。

 ただ、マリアベルがいつ帰るか分からないし、名目上は政府の仕事をしている。

 だから、彼は近所の公園のブランコに揺られていた。

 目深に被ったフードの青年の状態だから、


「あのおじさん、仕事辞めたのを家族に伝えられないんだわ」


 という目では見られなかったが、『不審者がいた』くらいには思われたかもしれない。


 彼女に正体を明かす、という選択は今の段階では取れない。

 そこが本当にややこしいことになっている。


『どうして正体を明かしてはならないのか、その理由が分からない』


 これがそのややこしい理由の現時点での正体である。

 単にアイザックになった後のことを考えていなかっただけなのか、大切な理由だったのかを思い出せない。

 だから、念の為に正体を明かせない。


 ——でも、その件で呼び出しを食らったわけではないらしい。


「登校初日に彼、ゼミティリ・ドリアと喧嘩をしたのよ?——品行方正に問題無し、穏やかな性格で、いつも冷静沈着に行動をする。……って書かれてあるんだけど。これ、全然違うわね。真剣と魔法のガチンコ勝負をしてたって、学校中で噂だったんだから!私、乱暴な人、嫌いなんだけど。」


 学校は貴族の社交場であり、貴族は噂話が大好きである。

 そして噂話には尾鰭がつくもので。

 しかも今年度は黄金の世代と呼ばれているわけで。

 それもリリアの側にはアドヴァが居る。

 王族とのパイプを持っている少女、更にシーブルは商人を束ねている。

 レオナルドとシーブルが話を捻じ曲げているだろうことも分かる。


 アイザックは世界の中心で、俺は乱暴者だぜ!と叫んだ、らしい。


「そ、そんな筈はないんだけど。俺は実際にこの目で見たし、話し方も穏やかだったんだ。今度、本人と会ってみれば良い。ただその話だと、今日はどうやら忙しかったようだな。」

「しかも、アイザックって奴の圧勝だったらしいわ。フェルエはその話を聞いて、すっきりしたって言っていたけどね。ゼミティリは卑怯な手を使ったって聞いてる。当分はおとなしくするんじゃない?」


 ボルネーゼ側の人間にだけそう伝わっているのだろう。

 もしくは切り捨てられたか。

 許嫁とは?という貴族精神の欠片もない彼の地盤は非常に脆い。


(それに防衛大臣周りが活気づいていたという噂。十中八九、シーブルが。いや、グラタン伯が介入している。)


 現場に居ると、図書室に引き籠っていた時よりも動きが分かりやすい。

 シーブルとゼミティリに繋がりがあるのは明白だった。そして立場はシーブルが上。


(ただ、ゼミティリは元々怖くはない。同じクラスに転入するアイザックに、あっという間に存在感を奪われるキャラだ)


 ——そも、辺境伯の方が伯爵家よりも地位が高い。


 許嫁無視が出来るのは、リリアがゼミティリルートを歩む時だけだ。

 だから、彼はきっとこれからも執拗にリリアを追いかける。

 その精神を挫きたかったのだが、邪魔が入ったというわけだ。


「と、とにかく、きっと彼の方から接触してくる筈だから、マリアベルはなるべく大人しく……」

「なんでそんなこと言い切れるのよ。それに……、ううん、なんでもない。今日はそれが言いたかっただけ!パパはちゃんと仕事をしなさい。学校は私が頑張るところだから!」

「そうだな。……俺ももう少し努力してみるから、マリアベルも頑張ってくれ。」

「分かってる。……もういいでしょ?乙女の部屋に長居しないの!はい、回れ、右!」


 そして彼と彼のヒロインの関係は全く進展しないまま、一日が終わった。


 勿論、それはジョセフ目線での話なのだけれど。

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