第35話 アイザックとボルネーゼ家

 マリアベルは今日も歩いて通学する。


「マリアベル様、お早うございます。」

「お早うございます!マリアベルさまぁ!」


 キャロットとレチューを引き連れて、堂々と歩いている。


 だが、彼女の存在感はリリアのせいで薄らいでいる。

 ただ、同じクラスのアイツのせいで薄らいでいる、という考え方もある。

 以前はリリア上げ、マリアベル下げに忙しかった彼。

 眼鏡っ子・シーブルの今の流行は、呪われた一族の恐ろしさについて、皆の前で演説することである。

 そして、今日の彼は一計案じていた。

 小柄な体格では落としてしまいそうな程の、分厚くて重くて高級そうな本を持って現れた。


「ネアンデール先生!僕の質問に答えてください!」


 貧弱そうな、いや実際に貧弱なのだろう、いつか休んでいた歴史の教師。

 伯爵の息子であるシーブル・グラタンと、伯爵位を王より賜っている教師では、当然教師の方が偉い。

 ただグラタン伯爵は今や、侯爵家にも負けない影響力を持つ。


「シーブル君?そ、それは教員用の書庫の本……、どうして生徒の君が?」

「どうしても興味があったので、僕、ちょっと頼んで借りちゃいました。」


 ちょっと頼んだだけで教職員用の部屋に入れるらしい彼。

 彼が持ってきていた本は、このクラスの生徒なら見覚えがあるもの。


(今ほどではないにしろ、学校のようなものは昔からあった。亡きお父様とお母様が出会ったのも学校だった。その時はただの学び舎だったらしいけれど。)


 その頃から王は考えていたのかもしれない。

 この国の貴族制度が破綻し、王の権威が潰える日が近いことを。

 二百年間、力を持ち続けたボルネーゼ家の令嬢に言えたことではないが、権力と爵位は必ずしも一致しない。

 例えば、金鉱石の採掘技術の向上、そして一介の冒険者が見つけた海路、航海技術の向上。

 それらにより、富のバランスが崩れていく。


「この本、実は学校の権威を汚した、とある貴族が持ってきていたんです。」


 シーブルはその本を皆に見せるように掲げた。

 そして、マリアベルは目を剥いた。


 あの本はまさか?


 ペペロンチーノの罪はレオナルド王子への不敬罪ではない。

 そも、マリアベルの停学処分は『学校での権威の使用』である。

 レオナルドの命令も『学校での権威の使用』であるが、それは公式には無かったことになっている。

 そしてその代わり、シーブルが訴えた内容が彼の罪となった。

 『リリアに厭らしい視線を向けたこと』と『マリアベルを過剰に擁護したこと』が、

『教員という立場の悪用』と『教育者の冒涜』という罪に置き換わった。

 教師にあるまじき行為をしたから、彼は追放された。 

 だから死罪までは行かなかったのだと、マリアベルは義父から説明を受けていた。


(こいつのせいで、あの人は追放になった。こいつだけは絶対に許せない……)


「先生、この本おかしいと思いませんか?ここ、ページが切り取られています。彼は確か本のこの辺りを開いて、諸島列島の話をしていました。もしやここに公爵家の歴史が書かれていたのではないでしょうか。」


 今更、あの先生の話をしている。

 既に罪を背負ったのに、生きているかも分からないのに、まだ彼を貶めようとしている。

 

「実は僕、彼奴は元公爵家のスパイだったのではと考えています。」


 それは彼女も思ったことだ。

 未だに彼がどこに所属していたのか分からない。

 ペペロンチーノ家の情報がどこを探しても見つからない。

 マリアベルも、彼はやはりマカロン王国のスパイだったのではないかと考えている。

 だからといって、今更ここで話す意味が分からない。


「あいつは転校生が来ると仄めかしていました。そして本当に転校生がきました。公にはされていませんが、あの転校生は元公爵家の末裔ですから、この推測は間違いない。ネアンデール先生もそう思いません?」

「シーブル!授業と関係ない質問は止めてくれませんか?」

「あ、そうだ。マリアベルさん、貴女なら何かを聞いているんじゃないですか?……あの罪人と色んな意味で関係を持っていた、と噂されている貴女なら聞いていてもおかしくありませんよね。」


 血管がキレそうなことを、あの眼鏡は嬉しそうに言い放った。


(この男、まだ私に拘っているの!?……それに品性の欠片もない言葉!)


「すでに国外追放された人間の話をしても、時間の無駄と言いたいんですのよ!」


 だが、彼の狙いは国外追放された人間ではない。


「追放されたとしても、例えその後死んでいたとしても、何かを残しているかもしれないじゃないですか。そして転校生がそれを利用して、二百年前の雪辱を果たす。ありそうな話じゃないですか。今からでも追放したあいつを捕まえて……」

「いい加減にして!学校は勉強をする場ですのよ。そういう話は学校の外でしてください!」

「マリアベル様、あの者に熱くなっては……」

「そうそう。時間と気力の無駄ですよ。」


 彼の正体を知っているキャロットとレチュー、その二人ともマリアベルは温度の違いを感じる。

 それほど、彼を思ってしまう理由が少女にも分からない。

 補足しておくと、キャロットとレチューはアイザックの正体、いやジョセフの正体を知らない。

 理由は彼女達を雇っているのはネザリアだから。

 ネザリアからその情報が開示されていないから、この二人は何も知らない。

 そして今もジョセフとベコンが同一人物だと言ってはならない、という約束は続いている。


 この約束を違えば、マリアベルは死に、貴族は壊滅させられる。

 彼女にそう言われているのだから、二人にはどうすることも出来ない。


「貴女がそこまで熱くなるのは珍しいですね。……そういえば、ボルネーゼ家は海に面した領地です。まさか、ボルネーゼ家と関係があるのではありませんか?」

「海に面している領地を持つのはうちだけではありませんよ。それこそ、商人を束ねる貴方の領地も。……そうですよ。あの時、海の亡霊の話をしたのは貴方じゃないですか。」


 熱くなってしまう親友を、親友だからこそ止められない二人。


「その通りです。だから僕は調べているんです。貴女とは愛国の精神が違うみたいですね。」

「私はただ、授業を受けたいだけです!」

「僕も同じです。国を良くするために勉強をしたい。貴女は違うのでしょうけど。」


 ただ、これは誰がどう見ても彼のペースで進行している。

 マリアベルを煽り、ヒステリー女に思わせる会話。

 でも、やはりこれさえも彼の目的ではない。


「マリアベル様。そろそろ僕のストーカー、やめてくれます?僕は国家転覆を企むアイザック・シュガーを排除したいだけ——」


『カーン、カーン、カーン』


 そこで授業の終鈴が鳴った。

 

「では、私はこれで……」


 逃げるように教室を後にするネアンデール。

 そして、眼鏡の少年は溜め息を吐いた。


「あぁ、時間を無駄にした。時は金なりですよ、マリアベル様。僕は貴女や力を失ったボルネーゼ家には興味ありません。邪魔をしないでくれますか?僕はこの国の為にやっているんですよ」


 一度、机に本を置き、メガネの位置を直して再び本を抱える。

 そして、わざわざマリアベルの横を通り過ぎる。

 先ほどの言葉が真実であると示す為、彼女にまるで興味がないような顔ですれ違う。

 彼女もムキになっているので、絶対に目を合わせない。


 ——その後の出来事だった。


「アイザック?君は何をしに来た!ぼ、僕は分かってい——」

「君がシーブル君だね。さっきリリアさんが探していたよ。いや、探していたのはシーブル君じゃなくて、レオナルド様だったっけ……」

「な……、レオナルド様を?……まぁ、いい。僕はじわじわ追い詰めてやるから……」


 シーブルの声が遠のいていく。

 そして、クラス中がざわつき始める。

 マリアベルは未だにそっぽを向いたままだが、クラスメイトの視線が一点に集まっていることくらい分かる。

 そして、噂の彼が近づいていることも。

 キャロット、レチューの息を呑む音も聞こえる。

 そして少女の視線の前に学生服の誰かが立ち止まった。


 だが。

 そこから何も反応がない。


「何か用?」


 だから少女は先に言った。

 かなりぶっきらぼうな喋り方で。

 そこで少女は彼を初めて近くで見た。


 ……あれ?


 ……この感覚


 一瞬だけ、何かが心の中によぎった。

 ただ、それは形になることなく、掻き消えていく。


「な、何の用ですか、アイザック様。ただでさえ、マリアベル様は色々、大変なのですよ。お、お引き……取りを」

「そ、そ、そうですよ!さっき、すれ違ったシーブルさんに色々探られているんですからね!その……、マリアベル様に関わらないでくだ……さい。」


 両脇の二人の声。

 キャロットとレチューも彼のことは知らない。

 彼の存在を知っているのはネザリアとロザリーのみ。

 そも、噂の彼はまだ一言も発していない。

 それどころか、帰らせようとしているものの、声が上ずっている。

 その理由は分かる。

 教室内の女子生徒が、目を輝かせて頬を染めている。


(真っ白な髪、青く感じるほどの肌。これがシュガー家の人間?彼がアイザック・シュガー?初代の血を最も受け継ぐ人物。マカロン王国の王子。)


 今日は義父が言っていた通り、彼から接触して来た。

 そして数分掛かった後、やっと彼は口を開いた。


「その……、いつか分かってしまうと思って……。あの、その。聞いているかもしれませんが、僕はネザリア様に連れられて王都に来ました。あ……あと、マリアベル様のお義父様にも……その……、その時お世話になったので、本日はその挨拶に伺いました……」


 男はガチガチだった。

 冷静沈着で頭が良く、そして気高い王家の末裔、……そうは見えない男。

 やはりジョセフのレポートは当てにならないと、マリアベルは思った。

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