第12話 嘘の親子

 マリアベルが批難の目に晒された日、ジョセフ・ボルネーゼはかなり遅くに帰宅をした。

 

 リリアの回復を待っていたり、他の教職員から他の生徒の話を聞いたり、キャロットから事情を聞いたり、最後にはレチューの住む家に立ち寄ってマリアベルの帰宅時の様子を聞いたりしていたから、ずいぶん遅くなった。


「リリアは極度の酸素欠乏症で、あの件を何も覚えていなかった。というより、植物園を出た辺りからの記憶が曖昧らしい。脳に障害が残ってもおかしくなかったのだから、その程度で済んだと考えるべきか……」


 門扉を通り抜けた後でポツリと呟く。

 流石にボルネーゼ家は貴族No.1と呼ばれるだけあり、貴族街にある別邸でさえ広大な中庭を持っている。

 無論、ロザリーは聞き耳を立てているだろう。

 だから、この時点から報告は始まっている。


「ただ、これは予想外というべきか、予想通りというべきか。難しい問題だが……」


 このイベントを知ってはいたが、ゲーム内にそんな演出はなかったという意味である。


(ゲームではフェルエが王子との一件を糾弾した後、リリアを突き飛ばす。怪我をしたリリアが医務室で治療を受けるだけ。……どうなってんだよ。マリアベルが出てくるのはもっと後の筈だ。やっぱりあの報告書に書かれていた内容が全てか……)


 色々と考えることはある。

 だが、「これ、ゲームとは違うかもです!」なんて、今更過ぎて言える筈がない。

 だから、妻に悟られぬよう冷静を装いつつ、事実のみを述べていく。


「シーブルか。あの少年はベッドの横でリリアが目を覚ますまで、ずっと見守っていたらしい。そして残る四大貴公子の三人も、リリアの見舞いに来たんだったか。ここは予定通り。でも、そこまで悩ましい事態ではない。彼ら以外の上流貴族連中は、マリアベルの行動を肯定的に捉えていた。子爵以下はほぼ全員、伯爵家でも力の弱い家の連中は、こぞってマリアベルを批判していたらしいが……」


 彼は報告書で何があったかを読んだだけ。

 キャロットとレチュー以外の生徒には会っていない。

 ただ、それには大した意味はない。


「重要なのは、今回の件で、学生達の考えが真っ二つに分かれたことだ。これはネザリア様の予見通りだが……」


 ジョセフにとっては頭の痛い問題である。

 今後、マリアベルの周りにそういう過激思想を持つ連中が集まってくる。

 つまり『悪役令嬢のドン』という地位が彼女を呼んでいる、——それが容易に想像できてしまう。


「それにしても彼女は真っ直ぐすぎる。フェルエの罪まで自分のせいにしてしまうとは……。流石にレチューもキャロットも頭を抱えていたんだが。」


 キャロットが疲れた顔で報告に来た。

 どうやらフェルエとの押し問答があったらしい。

 そしてキャロットはあらゆる可能性を全て説明して、なんとか納得させた。


「全てはマリアベルの指示で動いていたと彼女に言わせる……か。俺には無理な発想だな。ゲーム……じゃなくて予言以外のバッドエンドの存在も視野に入れていたとは。……目立つなと祈っていた自分が恥ずかしくなる。」


 彼は漸く門戸に到着し、ドアノブに手を翳す。

 すると彼の魔力を感知して、鍵が勝手に開く。

 手にIDチップでも入れられているのでは、と錯覚してしまうが、これが魔法のある世界の日常らしい。


「貴方、おかえりなさいませ。それにしても、マリアベルの様子がおかしいのだけれど?いつもは夕食を楽しみにしているのに、今日は食欲がないって部屋に引きこもっているわ。可哀想に……。全部全部、貴方のせいね。」


 扉を開けると半眼のロザリーがいた。

 間違いなく先の独り言を聞いていたらしい彼女の母親。

 やはり不機嫌なご様子、彼女の魔力も尋常ではないから、鳥肌が立ちそうになる。

 だが、今日はどうにか収まった。

 だって、愛娘があまりにも可哀そう過ぎる。


「私が食事を持って行きます。そして少し話をしてみますよ。」

「頼みましたよ。学校のことは全て貴方に任せているのですからね。」


 正直、頭が上がらない。

 彼女が侯爵代理として内務大臣の仕事をしているのだ。

 そして、ジョセフは学校の図書室の教員、という意味の分からない仕事をしている。

 ただ報告を受けるという仕事だから、書類が行き交う図書室が丁度良かったというだけ、国の未来を作るというあの学校には何の貢献していない。


「メルセスさん、暖かいスープを持って行きたいのですが……」

「はい。少々お待ちください。」


 藍色の髪のメイド、メルセスはボルネーゼの家系の人間である。

 父親は伯爵位を持っていて、学力的にも財力的にも学校に通う資格がある彼女。

 それでも、彼女はボルネーゼ家で働くことを選んだ。

 レオナルドは入学式で軽々しく、『身分に関係なく有能な者を登用する』と語る。

 だが、それを受け入れる体制が整っているかは別問題である。


「旦那様、こちらを」

「ありがとう、メルセスさん」


 トマトの良い香りがする。

 ジョセフもお腹は空っぽなので、つい涎が出そうになる。

 でも、今は彼女へのフォローが先決である。

 階段を上り、少し進めば彼女の部屋。

 勿論、彼女の部屋も鍵付きで、ジョセフの魔力では開けることができない。


『コンコン!』


 ノックの音でまずは反応を伺うが、何の返事もない。

 だから彼は思いつくままに扉に向かって話しかける。


「マリアベル、大変だったらしいな……」


 やはり反応がない。

 だから一番最初に思い浮かんだ言葉を言ってみる。


「お前のやったことは、何一つ間違っていない。お父さんはそう思う。」


 すると、『ドン!』と壁から音がした。

 そこでジョセフはとんだ間抜けに気付く。

 どうしてお前が知っているのか、なんて設定がいきなり抜け落ちていた。

 自分のことではないのに、本当の娘ではないのに、——これほど自分が狼狽していたのだと気が付く。

 

「あ、えっと。その職場で聞いたんだ。その——」

「父親ヅラしないでよ!」


 そして、今日聞く娘の最初の言葉がソレだった。

 そも、彼女は彼を父親とは認めていない。

 それに変装して学校に潜んでいることも知らない。

 因みに、すれ違っても気付かないほどの強い変身魔法を使っている。

 ネザリア様の魔力は、国で五本の指に入るとされている。

 そのネザリアの魔法を魔法具にして、ロザリーがジョセフを変身させている。


 国を動かすほどの力だ。


 扉の向こうの彼女も、いずれはその力を手にするのだろう。


 ——でも、それをさせない為に国が動いている。


(はぁ……、潜入していることをバラせれば良いんだけど、マリアベルの性格が高貴すぎるんだよなぁ)


 彼女は曲がったことが許せない性格、ジョセフには辿り着けない程に高貴な人間なのだ。

 ソレが故にこんな回りくどいことをしている。


「だが、一応貴族としては先輩だ。先輩の意見だと思って——」

「……子爵の五男に、私の何が分かるのよ。侯爵位だって、おばば様の力で手に入れた癖に。あんたに私の気持ちなんて分かる訳ないじゃない‼」


 先ほど我慢した鳥肌が、ここで立つ。

 彼はこれほどに容易く、娘の言葉に心を抉られてしまうのだ。

 喋っている途中だったのに、舌の根が石化したように動かなくなる。

 だから、振り絞った言葉はたったこれだけ。


「……あぁ、全くその通り……だな」


 ジョセフの心からなのか、降霊した魂の心からなのか、それとも彼女の父としての心からなのか、それとも全く別の?


「そうよ……。そうなのよ!私は高貴な人間なのよ!……あんたには分からないんだから、早くどっかに行って!」


 そしてその後、部屋の中から声は消えてしまった。

 マリアベルはとても良い子なのだ。

 愛娘に酷いことをしているんじゃないか、と首を絞められる思いになる。

 ただ、ここは彼女の言う通り、早く退散した方が良い。


「ここにメルセスさんが温めてくれたミネストローネを置いておくから」


 心を温めることはできないから、せめて温かいものを温かいうちに飲んで欲しい。

 だから、ジョセフは逃げるように自室へ向かう。

 それに、彼は明日も早いのだ。

 彼女の為に早起きをしないといけないのだ。


 そんな、父親失格な言い訳を理由に、明かりもつけずにベッドに潜り込んで眠りについた。


 まだ、一つも解決方法が見つかっていない。


 俺が不甲斐ないせいで彼女はこんなにも苦しんでいる。


 あれだけ準備した筈なのに、それが裏目?


 準備?


 俺に準備なんて出来るのか?


 でも……、マリアベル。


 俺が絶対にお前を守ってみせる。


 どうやればいいのか、……全然分からないけれど。


 いつか……、必ず



 少女の義父は己の無力さを痛感しつつ、男は明日の為に頑張って眠る。

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