第13話 本好きの少年
茶色い髪に丸い縁のメガネの少年は、少しぎこちなく廊下を歩いていた。
理由は隣を歩く、キラキラした少女のせい。
彼女の頬には大きな絆創膏があり、あの女のせいで!と、柄にもなく頭に血が昇ってしまう。
「シーブル君、私の顔に何かついてる?……って、絆創膏が付いてたね。でも、痛くないから気にしなくても大丈夫よ。昨日は私が目を覚ますまで、見守ってくれてたんだよね、ありがとう!」
アクアマリンのような碧眼の瞳、美しい宝石を見て、少年はつい頬を染める。
「と、と、と、当然だよ。ぼ、僕がついてなきゃダメ……でしょ?またあの女が来るかもしれなかったんだ。……王子様まで来るとは思ってなかったけど。」
第三王子に侯爵の息子、それに伯爵の息子がやってきてしまったから、リリアが目を覚まして最初に見た男は、自分だけではなかった。
だから、ひな鳥効果は発動しない。
それはそれで、腹立たしいと思う自分はなんて狭小なのか、なんとなくそれで俯いてしまう。
「うーん。私はまだ全然思い出せないから。私が覚えているのは——」
「だ、だ、だめだよ!あいつは許嫁が居るんだからね!親が決めただけとか言ってるけど、あんなこと言うやつ、軽薄に決まってる!」
あの事件の話は後から彼に伝わった。
その件について、ゼミティリは「別にいいだろ」と言っているし、フェルエは何故か沈黙を貫いている。
と、そんなことは今の彼にはどうでも良く、この幸運をどう活かすかを考えるべきである。
「そ、そんなことより、図書室に行きたいんだよね。リリアさんは成績優秀なのに勉強家さんなんだね。僕も見習わなきゃ!」
彼に運気が向いているのだろう。
シーブルが廊下を歩いていると、彼女が話しかけて来た。
彼女は図書室に行って本を借りたいのだという。
「私、結構ギリギリの生活してるの!だから、参考書とか買えないの。学校の図書室ならタダで借りられるって、アドヴァが教えてくれたんだぁ。で、図書室のことならシーブル君が詳しいっていうことも教えてくれたの。」
シーブルはどうして良いのか分からなかった。
どうして、こんなにも彼女が輝いて見えるのか、彼には分からない。
彼が知っている知識を用いても理解不能だった。
皆は気付いていると思うが、彼が元々憧れを抱いていたのはマリアベルだった。
彼女の聡明さに憧れていた。
立ち振る舞いに憧れていた。
——でも、そこで起きたあの事件。
それが彼を変えてしまった……のかもしれない。
マリアベルに抱いていた恋心は、園児するようなただの憧れだったのだ。
つまりは少女に幻滅した。
子供の恋は終わり、青春が訪れた。
許し難い『悪』の存在が、僕を一つ上の階段に昇らせた。
あんな女とは違う、自由という高みに昇ったんだ。
彼が初めて守りたいと思った少女、——いや、自分こそが彼女を守る資格があると思った少女。
だが、彼女の周りには、何故かこの学年でエリートと呼ばれる男が集まる。
それは仕方がない、彼女は魅力的なのだ。
それに難関と思えるほどに心が燃える。
エリートたちが引き寄せられる『平民』、未知なる少女を知り、彼は恋に落ちたのだ。
——と、彼は意識的に考えている。
あんな女よりも、彼女の方が良い、と思っている。
そんな複雑な感情が伝わってしまったのだろう、少女が怪訝な顔をする。
「えと……、迷惑だった……かな?」
「ううん。そんなことないよ!」
◇
医務室で彼女と彼ら四人が集まったことで、リリアの喋り方に変化が起きていた。
——あの時のことをリリアは覚えていない。
フワフワとした意識の中、最初に聞こえたのはアドヴァの声。
そして、シーブル少年の心配そうな顔。
さらにキラキラしているレオナルドに、イグリース。
加えて、めんどくさそうな顔をしたゼミティリ。
医務室にいた職員は遠慮がちに部屋の片隅にいた。
追いやられていたと言った方が正しいのかもしれない。
「えと……、私……」
「リリア」「リリアちゃん!」「君、大丈夫か!」
同時に聞こえた高貴な方々の声。
頭がぼやぼやとしているから、リリアはさらに混乱した。
「えと、植物園で私は……、ゼミティリ君に……」
その瞬間、少女の顔が熱くなった。
あの強引なハグだけはハッキリと覚えていた。
逆に言えば、あそこまでしか覚えていない。
「お前と言う奴は!」
「つーか、ゼミティリは許嫁いるっしょ?」
キラキラしている人が色々話を始めて、皆が心配集まってくれたのだと知った。
孤独を感じていた学校で、こんなに暖かい気持ちになったのは初めてだった。
「みんな、ありがとう!まだよく分からないけど、私、とっても嬉しいです!」
そして今日。
いろんな人が話しかけてくれるようになった。
勿論、今まで通りの人たちもいるけれど。
「そっか。私、いろいろとお貴族様の不文律を踏み荒らしていたんだね。」
「今までだったらそうかも?でも、ここはそういうのを失くすための学校だよ?」
桃色の少女がそう言ってくれた。
そして、彼女も今は応援してくれている。
「でも、その為にはリリアも頑張らなきゃね!」
「うん!」
はっきり分かったのは、自分は孤独ではないということ。
応援してくれているクラスメイトが、沢山いるということ。
それがリリアの話し方が変わった理由。
「参考書を探すなら、図書室かな?私はあんまり詳しくないけど。」
「図書室?……うーん。まだ、視線が怖くて私一人だと不安なんだけど」
「うふふ。そういうことなら……」
そして、親友のアドヴァがしたり顔でこう言った。
「隣のクラスのシーブル君に聞くと良いよ。シーブル君なら優しく色々教えてくれるよ。」
と教えてくれた。
だから、勇気を出してシーブルに声を掛けた。
すると、彼は本当に嫌な顔一つせずに付いてきてくれた。
「リリアさん、ここが受付だよ。生徒手帳を見せたら本を借りられるからね。但し、一度に借りられるのは三冊までだから気を付けて。あ、ペペロンチーノ先生、こんにちは。」
「あぁ、こんにちは。」
「よろしくお願いします、私、リリアと申します!」
濃い紫の髪の20代前半の男は、軽く会釈をするだけだった。
人畜無害、大人しそうな男性。
特徴があるように思えるし、何の特徴もないように思える人。
「リリアさん、こっちだよ。」
目が合っているようにも思えるし、視線を逸らされているようにも思える。
学校の先生、学生、色々見て来たけれど、こんな人がいるのかと何故か見入ってしまう。
ただ、突然左腕が引っ張られて、男が遠ざかっていく。
いや、彼女が遠ざかっているのか。
「リリアさん、そんなにジロジロと見ちゃダメだって。教職員の間でも噂になってるんだから。それに……、ただでさえ、リリアさんは人を惹きつけるんだからね」
そう言いながら、少年は少女の手を引いて歩く。
そして、歴史の本が置いてある棚へ連れて行った。
その際、シーブルは敢えてペペロンチーノ教諭とリリアの間に自分の体を割り込ませている。
これも彼にとっては、『彼女を守る行動』の一つである。
——そして、二人はベコン・ペペロンチーノの視界から消えた。
◇
「リリアは化け物か……?あまりにも早すぎるぞ。四人の貴公子を完全に捉えているんだ……よな。」
これは絶対に聞かれてはならないから、本当に囁くような声でベコンは呟いた。
因みにネザリアの魔法具により、リリアとシーブルの会話は聞き取れる。
だから、シーブルがリリアを想っていることも手に取るように分かる。
無論、それくらいは他の報告書からも察することが出来るし、ゲームの内容からでも推測が出来るのだが。
「このままシーブルとリリアが結ばれる……か。ベストとは言わないまでも、実はそれが妥協点にはならないか?王子様と侯爵の息子様が黙っていれば、の話だけど。不味い!あの二人、もう戻って来る!」
しばらくすると、笑顔の二人が受付に戻って来た。
そして少女が大事そうに分厚い本を胸元に抱えていた。
(リリアの笑顔は目当ての本を見つけたことか。シーブルは……、まだまだという感じだな。いや、その考え方っておかしくないか?だって……)
「ペペロンチーノ先生、これを貸してください!」
リリアの元気な声が図書室に響く。
そして、シーブルの肩が浮き、リリアに『図書室では静かに』という張り紙を指し示す。
少女はバツの悪そうな顔になり、青年は周囲に睨みを利かせる。
シーブルの視線を見る限り、先のリリアを庇うような動きは『ペペロンチーノ先生』を怪しんでの行動ではなかったと、ペペロンチーノ自身に教えているようなものだった。
(だからこそ、今は慎重に行動しよう。中立を決め込むのが一番良い……か)
淡々と事務作業を行なって、仲睦まじそうに見える二人を途中まで見送る。
そして、遠くから聞こえる声もちゃんと聞き逃さない。
「シーブル君!教えてくれてありがとう!」
「い、いえ。また探したい本があったら声をかけてね!」
この二人の恋を進める、それはそれで難しそうだったが。
その発想自体が、色々とおかしいのだ。
(俺の考え方もどうかしている……か。確かに順序が逆だ。リリアが五人のヒーローの誰かを選ぶゲームだ。ヒーローがリリアの為に争うゲームじゃない。その筈、なんだけどなぁ)
そして、ベコン・ペペロンチーノは新しく入荷した報告書に手を伸ばした。
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