第11話 悪役令嬢の誕生
あの日、少年は誰とも打ち解けられなかった。
それは仕方のないこと、両親の仕事はここにいる誰もが毛嫌いするもの。
お金は必要だ、けれどお金を直接扱うのはあまりに品のない行為。
それが貴族社会の常識、だから誰もが平民の商人に仲介させる。
「何もしないことが、貴族の仕事。……本当にそうなのかな。あくせく働いたらダメなのかな……」
少年の疑問は尽きなかった。
煌びやかな宝石が散りばめられたドレス、高級な金属を使った装飾品。
彼ら、彼女らが身につけているそれらは、金鉱堀り、細工職人、商売人の手垢に塗れた物。
大広間に並べられた美味しそうな料理も、元々は農民が汗を流して育てた物。
「どうしたの?華やかな場なのだから、難しい顔をしていては駄目よ?」
青い髪、同じ年の少女が少年に話しかけた。
少年は少女のことを知っているが、少女は少年のことを知らない。
「マリアベル様!……えっと、僕はこういう場が苦手なので。家で本を読んでいたいというか」
「それで、この場にまで本を持ち込んでいるの?……確かに気を遣う場ではあるけれど。へぇ、それって経済学の本よね。確か、百年ほど前に書かれた……」
少女の言葉に少年は声を失った。
胸のどこかが痛くなるのも感じた。
「よくご存じで。……ボルネーゼ家では経済学も学ぶのですね」
すると、彼女ははにかんだ笑みを少年に見せた。
「え……、えぇ。一応、その本は目を通した程度ですけど。少し難しい本ですよね。貴方にも良き教師がいらっしゃるの?」
「ボルネーゼ様には負けてしまいますが、一応は……。あの、もし良かったら一緒に勉強を……」
「えっと……、私の先生は……、その少し変わっているから、ゴメンなさい。」
「マリアベル!貴女、またサボっているのですか?ここは社交を学ぶ場ですよ!」
「はーい、お母様!それでは失礼させて頂きますね。」
ロザリー・ボルネーゼが少女を連れ去っていく。
恋を知らぬ少年には何が起きたのか分からなかった。
それでも、そんな彼にも何となく分かったことがある。
「ボルネーゼ家とは仲良くしてはいけない。でも、あの子は違う。……あの子を助けなきゃ。もっともっとたくさん知識を身につけて、囚われの姫を僕が救うんだ」
◇
フェルエの魔力は流石というべきもの。
だが、マリアベルと比べられるようなものではない。
マリアベルの氷魔法によって、炎の痕跡が残らないほど、周囲が凍り付いていく。
特筆すべきは彼女が氷魔法の中に風魔法を付け足していたこと、これは傾国の魔女と謳われたネザリアに匹敵するほどの才能である。
「さぁ、フェルエ!早く行きなさい!……それに辺境伯の娘である貴女がいると面倒なのです。」
マリアベルという少女の真価が発揮される。
空気中の酸素を奪う辺境伯家ならではの『夷狄向け攻撃魔法』は、人間を容易く死に至らしめる。
それを瞬時に見抜いた少女は、この辺り一体に発生した上昇気流をも利用して、空気そのモノも入れ替えた。
彼女のその発想がなければ、平民の少女は二度と目を開けなかったろう。
「貴女、ご無事?」
より可憐に、より美しく。
特注の制服のスカートは風の影響を受けて、ひらひらと舞っている。
ここに男子生徒がいれば、思わず顔を背けるか、凝視するか。
白く美しい腿が見え隠れする中で、マリアベルは少女の容態を確かめた。
「脈は問題なし、それに息はしているようですわね。ただ、問題は意識を失っていること。」
ならばと。
「はぁ、平民には寒すぎましたかしら。ほら、こんなところで寝るんじゃありませんの!寝たら死にますわよー!」
たおやかに、そしてやや反りかえった指先。
爪もきちんと手入れされ、その光沢や宝石が如し。
パチン!
パチンパチンパチン——
問題は彼女が死を悟ってしまったことだ。
ド素人に殺人魔法を使ったのだから、少女が死の痛みを逃れるために気を失ったのは正しい判断といえる。
そのお陰で、彼女は高温に熱せられた空気を吸い込まなくて済んだ。
「私はちゃんと間に合いましたのよ!吸い込む前に火を消して差し上げましたの。」
ただ、このまま意識を取り戻さない可能性もある。
そうなれば、王子が頭を下げた少女を、辺境伯の娘が殺したとして、大事件に発展してしまう。
預言者が言ったボルネーゼ家の没落を待たずして、国が滅んでしまうかもしれない。
「貴女には貴女の役割があるのでしょう!このままでは本当に死んでしまいますわよ!」
その美しい手で、マリアベルはリリアの頬を何度も打つ。
一瞬の炎だが、火傷をしている可能性もある。
ただ、聡明な彼女は少女に対して迅速なアイシングを施している。
あと一歩遅ければ間違いなく死んでいたが、そうならないように見張っていたのだ。
目覚めて貰わなければ困るというもの。
そして。
「う、うう……」
「私が分かりますか?ほら、ちゃんと深呼吸をなさい!」
「う、うーん。……あれ、私」
漸くうめき声をあげる少女。
とても小さな声だったが、少しずつ意識を取り戻しつつある。
そして、マリアベルの心に安堵が生まれた。
だから、油断をしていた。
「なんか、ここ寒いな……」
少女の背後から聞こえた少年の声。
いや、流石に何度かは聞いたことのある声。
そして、その声の主人が『あること』に気がついた。
「——!ボルネーゼ様⁉……それに確か平民で主席の……リリア……さん?マリアベル様!貴女は一体何をしているんですか!」
さらには上からも声が降り注ぐ。
「あれってマリアベル様?……え、平民の子を折檻している?嘘……、流石にあれはまずいんじゃ……」
「相手は平民の子か。気持ちは分かるけど……ね。でも、あれはヤバいっしょ。」
体育館の生徒がいつの間にか二階席に移動しており、マリアベルが氷魔法を使った少し後くらいからの一部始終を見下ろしていた。
——マリアベルは可憐で上品で煌びやか過ぎた。
皆が目を打バレたのは彼女ただ一人、彼女の一挙手一投足は人を惹きつける。
だから、他に誰かいる?なんて考える人間は誰一人いなかった。
それに彼女が使った美しすぎる氷魔法の
「どうする?」
「どうしよう……」
キャロットとレチューも同じく見下ろしている。
二人が擁護したところで、マリアベルに対する心象は変わらない。
キャロット・ロズウェルとレチュー・ラウの行動はボルネーゼ家の犬に相応しすぎた。
そして何より、マリアベルが敢えてそうとしたと分かってしまう。
「とにかく、私たちはマリアベル様のお側に」
上から批難の声が降り注ぐ中でも、マリアベルは動じていない。
少女の安否確認の方がずっと大事なのだ。
彼女の体を支え、ぬくもりを与え続ける。
「私、一体ここで……」
まだ少女は目の焦点が合っていない。
だが、とにかく危機は脱した。
意識があるのとないのとでは、これからの対処が変わってくる。
だから、少女は少年に命令をする。
「シーブルくん、だったわよね。こちらへ来て、彼女を支えてくださる?」
平民の少女の頭をなるべく動かさないよう、少年に引き渡す。
「それに上で傍観を決め込んでいる方々?今すぐ教員に連絡を。それと貴方と貴方。体育館準備室にある担架を持ってきてくださるかしら?」
更に、体育館二階にいる下級貴族の子らを指差しながら、毅然とした態度で命令をする。
「……こんな、ひどいことを。全身が冷え切って、それにところどころ凍傷でやけどみたいになっている」
四大貴公子の中で、最もおとなしい文学青年が怒りで肩を震わせている。
だが、侯爵令嬢は冷徹ささえ感じる立ち振る舞いで、体育館からワラワラと出てくる担架持ちの生徒を的確に指導していく。
「ボルネーゼ令嬢、怖ぇぇ……」
「平民ってのは分かるけど、ここまでやるなんて……」
リリアが担架に乗せる為、幾人もの生徒が集まってくる。
そして、聞こえるのはそんな声。
更には役目を失ったことで近づいてくる男子生徒。
「マリアベル様、これは流石にやりすぎです。確かに侯爵と平民とではルールが違う。それは承知しています。ですが、平民相手に氷魔法を使い、さらには暴力行為。……僕は、貴女を見損ないました。これが高貴な人間の考え方なら、僕は偉くなんてなりたくない!」
おとなしいが正義感の強い少年、シーブルは上の立場のマリアベルを睨みつけた。
いつか大広間の隅っこにいた少年はここにいない。
この国を変える為に、ありとあらゆる知識を身に着けたつもりだ。
そして、そんな少年による糾弾にいち早く反応したのは、生徒に紛れてここまで駆けつけてきた二人。
「ちょっと待ちなさい、あんたは分かって——」
「キャロット、よしなさい。彼の言っていることは事実ですよ。そして私は侯爵家の娘・マリアベル、彼の言う高貴な人間です。」
そう、彼女は高貴な人間である。
その言葉でキャロットもレチューも押し黙る。
氷魔法を使ったこと、そして意識があるかを確かめる為とはいえ、頬を叩いたは事実。
——だが、下の階級の者に言い訳をするなど、彼女には出来ない。
それに元々言い訳するつもりはない。
ここまで大事になってしまった以上、フェルエ・ラザニアのせいには出来ない。
彼女の家柄は辺境伯、独自裁量権を持ち、夷狄との交流もあるという複雑な立場にある。
その怪しい立ち位置のラザニア家を管理するための政略結婚が、先のフェルエとゼミティリの婚約である。
亡き父が話し合いのみでどうにかこぎつけた政略結婚、それを自分の手で壊すことなど出来ない。
だから、彼女は正義感あふれる青年を睨み返して、こう言い放つ。
「高貴なる生まれの私が平民の彼女を躾て何が悪いのですか?殿下に頭を下げさせるなど、不敬罪です。死刑でもおかしくないのです。ですから、命があっただけ宜しかったではないですか。」
現在までの世の中、今ある法律に則れば、非の打ち所がない言葉。
平民の少女が死んでいたのなら、もう少し違った解釈が出来たかもしれないが、彼女は頬を平手で打たれただけ。
氷魔法で体温低下はしていても、彼女にはちゃんと意識がある。
だからか、それはさておき少年は歯軋りをして、この場を立ち去った。
そして、他の生徒も蜘蛛の子を散らすように消えていく。
——これが、悪役令嬢誕生の瞬間である。
この件で、マリアベルは下の者、特に平民のリリアに容赦をしない貴族令嬢、高慢で恐ろしい悪徳令嬢の肩書きを一つ背負うことになった。
「マリアベル……様?」
レチューが心配になって、本当の主人の孫娘の顔を伺う。
「私は間違っていません。これこそが高貴なる血族に求められる行動なのです。」
「後はあの子が色々説明してくれるのではないですか?フェルエが全部悪いのですよ!」
と、キャロット。
だが、マリアベルの考えとは違う。
言葉による暴力だけなら、まだ良かったのだが。
「そのことですが、リリアさんでしたか。彼女がどこまで覚えているか……。いえ、覚えていなくとも同じことですね。キャロット、フェルエに伝言を頼めますか?彼女に伝えてください。」
マリアベルが橙髪の少女の耳元で囁く。
すると、キャロットはかなり不服そうな顔をしながら、その場から立ち去った。
レチューにも聞こえていたが、彼女は聞こえないフリをする。
そして、全てを背負ってしまった友人に優しく語り掛ける。
「マリアベル様。もう日が暮れかけています。今日のところはまっすぐ家に帰りましょう。」
いつの間にか夕日が射しこんでいた。
青色髪の美少女は眉間に刻まれた皺を伸ばし、背筋をピンと伸ばしてゆっくりと歩き始めた。
レチューは全く関係ない話をしながら、彼女に付き添って帰宅をした。
「マリアベル様は今日も素敵です。」
「何よ、突然。」
「いえ、いつも思っていることですよ。」
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