第18話 スパイ疑惑と二人の関係

(息が出来ない……)


 図書室の控室の空気が、急激に薄くなる気がした。

 どうして後ろから声が聞こえて来たのか、考えている場合ではない。

 でも、考えてしまう、そんな筈はない、不可能だ、と理性は言っている。

 ここに入る時は確かに誰も居なかった。

 だが、確かに可能性はあった。

 ペペロンチーノが図書室の管理人をしていることは言ってしまっている。

 だから、誰かがここに来てもおかしくはない。


 ——だが、この部屋は別。


 この部屋には魔法による障壁がある。

 入れば瞬時に気付くし、入ろうとしても直ぐに気付ける。

 けれど残念なことに、彼はそれを潜り抜ける存在を知っていた。

 つまり、考えるまでもなく。


「マリア……ベル……くん?」


 辛うじて、マリアと呼ばなかったし、呼び捨てにもしなかった、——そこは自分で自分を褒めてやりたいほどだった。

 だが、振り返ると彼女は半眼で睨みつけていた。


「……ペペロンチーノ先生、貴方、怪しいですわね。それに先ほど何かを白状されていませんでした?まり……なんですの?」

「——!あ、怪しくありません。ほら、この通り、ちゃんとした教官です!免許もある。ほら、確認して!その……、白状というのは、すごーくどうでも良いことで。あれですよ。あれ。あまり喋りが上手くない!と言おうとしていただけ。そう、自戒の念です。」


 滅茶苦茶な言い訳。

 更に身分証代わりの教員免許証を生徒に、いやマリアベルに見せてしまう。


(……まずい。つい免許証を!俺が潜入していることがバレてしまう!この免許証は偽造でもなんでもなく、国から授与されたものだった。ロザリーがそう言っていたし?……あれ、ロザリーが言った時点で偽造ってことじゃない?それにマリアベルなら瞬時に見抜く……かも?)


 心臓を見せてやりたいほどにバクバクしていた。

 だが、少女は興味無さそうに肩を竦めただけだった。


「教官の資質は疑っていませんわ。ネアンデール先生の中身空っぽの授業よりずっと面白そうでしたわ。実際、その話の続きが聞きたくて、私は押しかけたのだし。——それにしても公爵家のその後の顛末。興味津々ですわ。」

 

 少女はそう言って、俯いて考え事を始めてしまった。

 青く美しい前髪のせいで、彼女の表情を読み取れない。

 彼女がベコンをジョセフだと気付いているのか、何を怪しいと言ったのか、まだ彼には分からない。

 だが、授業はどうやら喋ってはいけないネタ。

 そりゃ、面白いに決まっている。


「こここ、公爵家の顛末?授業中にそんなことは言っていないんですけど?」


 変装など意味がないほどに狼狽えているし、記憶力もどこかへ置き忘れてしまっている。


「先ほど仰っていましたわ。私、ずっと後ろにくっついていたの、気付きませんでしたの?私程度の闇魔法では流石にバレてしまうと思っていたのですが?もしかして、この免許証が発行された時期は査定の質があまりよろしくなかったのかしら。いえいえ、冗談です。そんなことは御座いませんよね。」


 はて、何を言い始めているのかと首を傾げるペペロンチーノ。

 けれど、そんな行動も少女には関係ない。


「つまり、本当は話したかったけれど、話してはいけない内容だと貴方はあの時に悟ってしまった。ですが独り言で私に教えようとした。……そういうことですのね。万が一にも情報が漏れた場合、私の口が発端の方が宜しいとお考えでしたの?残念ですが、それはアテが外れましたね。私は絶対に他言は致しませんから。」


 早口でマリアベル特有のお嬢様口調が展開されている。

 それ自体は彼女の自然な姿だが、ペペロンチーノは唖然としていた。


 ——彼女は今、外向けの口調で話している。


 バレているのに他にバレないように気を使っているか、本当にバレていないのか。

 彼の悩みは変わらないのだが、二人でいる時には決して使わない外向け言葉が、少し寂しい。

 なんだかんだ、あのぶっきらぼうな喋り方でも彼女を娘として愛していた。

 そんな傷心している彼の前で、彼女の脳は斜め上方向に情報を処理していく。

 そして、彼女の顔は次第に明るく魅惑的に変わっていく。


「私、ずっと思っていましたの。お会いしたのは先ほどが初めてですけど、噂は少々聞いておりまして。そして初めて見た時にピーンと来ましたの。」


(今度は可愛いかよ!そんなこと言っている場合じゃないけれども!そんな顔、俺は見たことないんだけども⁉アレか?父親はキモいからそんな顔出来ないってことか?アレか?世の中の男にはそんな顔を見せているってことか?お父さんは許しません!)


 またしても傷心をしてしまった、面倒くさい義父であり教師の彼。

 だが、彼女の話はここからだった、——彼女は聡い。

 けれども、発想は斜め上を行く。


「先生は特徴があるようで特徴がございませんの。実際、拝見させて頂いた時に感じたのは、特に有能ではない教師。ただ、どの授業も受け持てるよう、色々な資格を所持していますわね。……これって、スパイの特徴ではございません?」


 だが、この回答は正解、大正解。

 目の前の少女のために用意されたスパイなのだ。

 ネザリアにもロザリーにもそういう特徴の人物にすると聞いている。

 けれど、ここから彼女の発想は、常識を超えて離陸していく。


「——公爵家がまだ存在している、それが仰りたかったのですわよね。そして、場所はライスリッヒ諸島。公爵が治めているのでしたら、公国と呼ぶべきでしょうか。……そしてズバリ聞きますわ。」


 ここが離陸ポイント。

 文字通り、大陸からのテイクオフである。


「貴方、公国のスパイですの?そして、先ほど話をしていた転校生とは、公国の要人のお子様ですわね。王位継承権を持つ者がこの学校に入学してくる。その基盤づくりの為に、貴方がいる。教員の方々の中でも有名ですわよね。私は問題を起こしました。そんな私に公爵家の噂話をさせる。それでネアンデール先生をなんらかの形で操って、彼の授業で私が食いつきそうな話をする。確かに私は興味津々でしたの!それは授業でも先ほども申し上げた通り。ですので、私の存在に気付いていないフリをして公国の話をした……。ズバリ!そうではなくて?」


(全然違いますけど!?ビックリするほど大外れでしてよ?お嬢様の勘は海を越えちゃってますけど?……でも、バレてないならそれでいい。いや、いいのか?それって俺がマリアベルを利用したみたいな話だけど)


 ジョセフとしては百面相状態なのだが、ボルネーゼ家の魔法のおかげでそこまで表情は乱れない。

 それで、ある意味助かっているのだが、別の意味では助かっていない。


「その無言は肯定と受け取りましたわ。そしてご安心を。私、その役回りを受け持つつもりですわ。スパイの貴方にさえ、ここまで目をつけられたのでしてよ。私、今、かなり動きにくい状況にありますの。正直、学校なんて無視して、この国をめちゃくちゃにしてやりたい気分なのですわ!」


 認識阻害の魔法のせいで、彼の意志が伝わりにくいせいで、彼女は勝手に自己完結を始めていく。

 そして、彼女は勝手にペペロンチーノの弱みを握ったつもりになっており、自分の悩みもあっさりと打ち明けた。

 弱みを握った相手になら、家族にも見せない一面を見せられる。

 高貴な家柄ならではの悩み、いや家族に打ち明けられないこともあるということ。

 公国のスパイということは、王族と一度は敵対していた相手ということ。

 さらに無かったことにされていることから、今も敵対していると予想できる。

 つまりは敵の敵は味方の理論。


(うーん。かなり危ない発言だし、止めた方がいい。でも——)


 そして彼は、ここで想定外の行動に出る。

 想定外というのは、ゲームのシナリオの想定外という意味でもあるが。


「まず、一つ訂正。公国とは名乗っていない。王国は存在自体を認めていない。だから、あちらも王国を名乗っている。それに間違っているのはもう一つ。マリアベル・ボルネーゼ。私はユニオン王国でもマカロン王国でもない機関に雇われた諜報部員エージェントだ。そう、マカロン王国とは無関係だ、——だが、私がお前を利用しようとしているのは事実。」


 彼は嘘をつかないという選択をした。

 彼は娘の笑顔が嬉しかったのだ、——それが例え、悪巧みの笑顔だとしても。


「そうですのね。公国として成立しているのでしたら、部外秘にはしない。今も尚、対立しているから部外秘なのですね。マカロン王国、初めて聞きましたが、そこの刺客ではない?それならどうして……?いえ、そうですわね。この国は今、危機的な状況にある。それはどの貴族でも分かること。そしてその原因を作っているのが、政治関与に消極的な現・国王ヨハネス・リード・ユニオン。彼の唯一の政策が学校事業ですもの。逆に言えば、彼にノーを突き付けられる一番の場所。——でしたら、やはり私と貴方は手を組むべきですわね。私の家庭は少々特別ですから、手を組むべき相手を見定めておりましたのよ。」


 試行錯誤の結果、悪い笑みを浮かべるマリアベル。

 これが暗中模索の義父が、愛娘とチグハグな関係で繋がった瞬間であり、——彼が自ら動き出す瞬間である。


 そして義父の愛娘に告げる最初の一言が、少女に激震を与える。


「マリアベル。この学校ゲームでリリアに主導権を握られてはならない。このまま進めば、ボルネーゼ家のみならず、ユニオン王国のほとんどの国民が死ぬ、あるいは路頭に迷う。だから、お前はここを掌握する必要がある。マリアベルが学校を掌握することで、多くの人間が救われるんだ。」

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