第41話 本当はもっと優しい子なんです
おそらくは1秒も経っていない間。
彼は記憶の迷宮をウロウロと歩き回っていた。
知識の迷宮やら、知恵の泉なんて高尚なものではない。
記憶のタンスがめちゃくちゃ遠くにあるだけの、扱いにくいだだっ広いそれ。
単に忘れっぽいと言った方が正しい其れ。
でも、今ここで彼女に聞くべきなのだ。
「マリアベル、お前の父親が死んだ時、何かあったっけ?」
ただ、その言葉を聞いた途端?もしくは聞く前から?
調子の悪そうだった青い髪の少女は、そのまま倒れてしまった。
——いや、そのまま倒させる筈がない。
アイザックの体が自然と動く。
理由は分からないが、女子生徒の動きが止まっている。
だから、そのまま彼は彼女が頭を打たないように、人外の動きで回り込む。
後ろに倒れかけた少女を抱え、そっとシートに横たわらせる。
「ここは本当に貴族の遊び場で、マリアベルも居た。それに……、しばらく話せていなかったと思ったら、体調を崩していたのか。俺は本当に……」
彼はゆっくりと振り返る。
(なんで忘れていた?それでも、……紋章の意味はある程度思い出した。)
そして、紋章が分かると今までの茶番の真相が見えてくる。
「何をゴニョゴニョやっているのかと思ったら、僕の紋章のことを探っていたのか。だから臨海学校。だから海。安易な考えだね、シーブル。王やその側近がそれを確かめないとでも思ったのかな?あぁ……。ゴメン。僕に言わせて。君は僕が正統な後継者ではないと、誰かに聞いたんだよね?」
松明の火よりも光っている、そう錯覚させる赫眼で四天王の二番目を睨みつける。
マリアベルの側を離れられない。
だってキャロットとレチューの様子がおかしい。
成程、ボルネーゼの力が衰えているのだ。
こんな事態も予測できた。
ボルネーゼ派の解体。
そして、それが一番可能なのは……
「ま、まさか……、本当に紋章を持っているのか?畜……生!お前まで持っている者なのかよ‼」
グラタン家だ。
下手をすると王よりも権力を持っている家柄。
それほど長い期間彼らの好きにさせてきた。
王家は黄金が持つ魔力を過小評価していた。
「シーブル。君は降りた方が良い。君は何もしなくても良い身分だよね?」
持っていない?
そんな馬鹿な。
最も恵まれた家系に生まれた筈だ。
「うるさい!みんな僕の家来なんだ。それに僕は一番の魔法使いなんだぞ!……そして誰よりも考えている僕が!誰よりも本を読んでいる僕が!こんなところで負ける筈がないんだ!」
一番の努力家でもあるシーブル・グラタン。
リリアならば彼を説得する言葉を思いつけるだろう。
だから、多分あの時、何かを教えてくれた。
「……生徒の買収。権威の使用は禁止されているよね?」
「いーや。今は学校は休み。そしてここはポモドーロ侯爵領だ。つまり何をしてもお咎めなし。お前が全部悪いんだからな。紋章がなきゃ、僕は君をこのまま逃しても良かったんだ。……でも、紋章持ちってことは、まんま反逆者だ。……どっちがいい?僕の提案はその紋章を皮ごと剥ぎ取ることだけど?」
彼は魔法のことなら誰よりも詳しいし、実際に使える魔法の数も多い。
そして彼はいつも本を読んで勉強している。
ヒロインの、あの少女がいてくれたなら、こんなことは言わない筈だ。
でも今はいない。
そして、アイザックの後ろには守るべき少女がいる。
「そんなに血の気の多いキャラだっけ?お金持ちは心が広いって聞いたけど。その心に金塊を詰め込み過ぎてしまったのかな?誰がリリアさんを射止めても、後ろから資金提供すれば助かるのに。君は生存率は100%なんだ。リリアさんがどんな未来を選んでも、輝かしい未来が待っている。それなのに君は……、——何故、こんなに卑怯なことをする?」
きっと彼を説得する言葉ではない。
しかも、命の危機に遭遇したことでアイザックの成分が随分濃い。
だから、ただ煽っている。
だって、仕方ない。
キャロットとレチューを買収し、マリアベルを罠に嵌めた。
こいつだけは許せない。
「お前はペペロンチーノとの繋がりがなきゃ、ダメなんだよ!そしたら、アイツが外患誘致で死罪になるんだ。んで、その弱みにつけこんで、僕がマリアベルの飼い主になるんだ!ずっと僕のことを下に見てきた奴らに自慢するんだよ!」
その瞬間、暗闇に二つの赤い満月が浮かび上がった。
今すぐ、殺したい。
ただの脳筋バカのゼミティリとは全然違う。
反吐が出るような男。
いや、しかし。
「君を殺して良いなら、なんでも話す。でも、それはそれでマリアベルに申し訳ない。それにしてもおかしいね。ただの憧れだけだったのに。どうしてシーブル君がマリアベルに固執しているのかな?」
「それはお前もだろ!ずっとマリアベルを眺めてたのはお前だ、アイザック!ベコン・ペペロンチーノに何を吹き込まれた?ベコンに良い女って言われたのか?ふふ、へへへへへ。残念だったな!騙されてやんの!その女はなぁ、昔からその先生が大好きだったんだよ!大昔からベコンとヤリまくってんだよ!」
は?
ペペロンチーノが好きなのは知ってるけど?
大昔からって、何言ってんの?
「……はぁ。何もしなければ、一番幸せになる男が欲をかきすぎて失敗する。そんな安易な展開、誰も嬉しくないし面白くないよ。シーブル、君がリリアを求めた理由は魔力に依存しない世の中。資本に依存した世の中を作り上げる為だった筈。それが実は一番、平和的なのに。」
赤い目に殺意を込めて、少年を睨みつける。
「お前たち!ここにいるのは逆賊だ!正義は僕達にある。マリアベルを庇ったということはマリアベルも同罪だ。まずは男を殺せ!ゼミティリも出番だぞ。」
メガネが割れるんじゃないかと、心配になるほどに目を剥く少年。
白髪の青年が群雄割拠の時代、魔法で殺し合っていた時代、最強だった王に一番近いと、メガネの少年が一番乗りで知ったに違いないのに。
元々、ペペロンチーノありきの計画。
シーブルの計画に、アイザックは必要ない。
だから、今の彼に正義はない。
——いや、それが前提の友人同盟、ともだち作戦だった。
でも、彼の本性がそれを否定する。
本当に欲しいのはマリアベルとリリアの二人。
強欲でなければ、彼は生きていられなかった。
強欲でなければ、彼は四大貴公子の一角にはなれない。
「資本主義、その発想は悪くはない。だけど君が描く理想は、ただ自分だけが得をする世界。ただ歪んだ世界。シーブル、君はどうしてそんなに歪んでしまったんだい?」
やはりこの空間に他の人間も潜ませていた。
もしかすると、四天王最弱の彼以外も出てくるかもとさえ思っていた。
……だが、どうして?
どうして彼が紋章の有無に拘っていたのか、それをアイザックは知らない。
「煩い!僕は歪んでなんかない!お前達!全員で行け!殺した後で背中を焼けばいい!」
そして。
彼が何故、魔導書をたくさん読んでいたのか、本ばかり読んでいたかは知っている。
——アレはコンプレックスの裏返しである。
「……悪いけど。僕はリリアじゃないから、アイザックだから君には全く同情出来ないよ。君の魔力は総量で考えれば、子爵未満の素質しかない。ある意味、魔力器官の発達障害かもしれない。——でもね。君はそれ以外の物は全て持っているんだよ。だから……、——お前は自分の生き方を貫けば良かっただけだ‼」
窓が開いているから、光は差し込んでいる。
横から差し込む光が、彼の白髪をオレンジ色に染める。
赤い瞳はさらに赤く染まり、全身から大量の魔力が溢れ出る。
全身が赤色に染まった彼は、飛びかかってくる生徒を次々に海に弾き飛ばしながら、こいつは流石に厄介とばかりにゼミティリの両足を払う。
——そして、眼前にいる金髪メガネを睨みつける。
「どうしてお前はそんなに強欲なんだ?お前だって自分が恵まれているって分かっているんだろ?」
——次期国王筆頭、アイザックからこんなセリフを言われたら、彼はなんと思うだろうか。
もしもここにリリアがいたなら、もっと優しい声を掛けたかもしれない。
何も持っていない平民出身のリリアなら、「シーブル君の魅力は他にもいっぱいあるよ」と言ってくれたかもしれない。
でも、ここにいるのはゲームでも彼のライバルとなる、ファンアートが一番多い男だ。
「お前まで……、どうしてそれを知っているんだよぉ!お前があいつと繋がっていたのか?ペペロンチーノとあいつとお前が繋がっていた……だと⁉……ムカつくムカつくムカつくムカつくムカつくムカつくムカつく‼‼僕が……、僕のご先祖様がどれだけ努力を重ねたと思ってんだ!それなのに、魔力が低いという理由で、僕達は舐められる。錬金術が失敗に終わり、魔力は金にならないと分かった今、アイツらの方が僕達よりも愚かなんだよ!」
その言葉に、アイザックの真っ赤な瞳が開かれる。
これほどまでに臆病なメガネの少年の心が歪んでいる。
知らないイベントが存在した時点でおかしいと思っていたが……
——世界はずっと前から、知らない道だったのでは?
(まだ八月だ。つまりたった四ヶ月と少し。たったそれだけで人はこんなに狂えるのか?シーブルはここまでする奴じゃない。せいぜい、誰かを転かす程度の悪戯小僧だ。)
もしかすると、最初から変わってしまっていた?
(……もしくは、本当は俺が知らない世界だったのか?だったら俺が今までして来た事は——)
それでも、アイザックは思い出せない。
これほどに、大人しい筈の彼が歪み、狂ってしまったというのに。
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