第7話 リリア、薬学の授業にて
ベコン・ペペロンチーノは学生リストに目を通していた。
「なるほどやはり。いきなり正ヒロインのリリアが目立っているか。」
彼は封印の魔術がかかった引き出しから、別の報告書を引っ張り出す。
学校に潜ませていた職員からの連絡事項が、引き出しの中からはみ出している。
各クラスの担任や警備員に至るまで、全てと言わないがボルネーゼの息が掛かっている。
とはいえ、まだ始まったばかりでこの量、頭が痛くなりそうだった。
「ヒロインであるリリアは王子の言葉で学校中から浮いてしまった。ま、平民なのに主席入学だったと宣言されたんだ。この学校においては当たり前の反応だろう。……とりあえずは順当な滑り出しだな。俺の計画という意味ではなく、ゲームとして順当という意味でだが。」
そして彼は教師して、リリアのいるCクラスの名簿に目を通した。
「アドヴァ・リングイネ。子爵の娘であり、桃色の髪の少女。乙女ゲーにおけるリリアのサポート役だ。やはり、この世界に彼女はいるのか。こいつが異常な程の情報を搔き集めて来るんだよなぁ。」
恋愛ゲームあるあるの、何でも知っているサポート役。
でも、現実に置き換えると、とても優秀な情報屋だ。
どうにかして、彼女を押さえておきたいが、彼女が持ってくるのはヒーロー達の情報。
つまり、彼女は初めからボルネーゼと敵対していると考えた方が良い。
ボルネーゼの敵が多すぎるから、今のような状況になっている。
だから、彼女の動きを抑えようとしたら、他の貴族からの反発が生じる。
悪役にさせない為の行動が、悪役を引き立たせる方に働いてしまう。
「そして、このクラスにあの女がいたんだったか。授業の風景は描かれないし、誰がどのクラスに居ても、あんまり関係ないから意識していなかったけれど。最初にリリアをいじめるキャラクター、フェルエ・ラザニア。はっきり言って彼女はマリアベルにとっては、クソの役にも立たない筈だが。さて……」
彼は今、到着した報告書を開けて、その文面に目を剥いた。
そこにはレオナルドが平民の女に頭を下げて謝罪をしたと書いてある。
無論、彼はそのイベントも知っている。
だが、実際に文章で見ると鳥肌が立つ。
「イベントは知っていたのだが。流石に実際に起きるとゾッとするな。この王子は順序というものを知らないのか。貴族社会の中、王子が平民に頭を下げる……。イグナースが一枚噛んでいるのだろうが、普通に考えれば絶対にやってはならないことだ。そしてこれが元でリリアへのイジメが加速するんだ。……マリアベル。お前は絶対に関わるなよ。フェルエの暴走も全部被るような事態は絶対に避けたい。」
彼の手元にもフェルエ・ラザニアが何かを仕掛けようとしている話は入っている。
はっきり言って、ベコン・ペペロンチーノの役割は難解すぎる。
そも、こんなキャラが居たかどうかも、思い出せない。
教師の中にボルネーゼの息がかかった人間がいることは知っているのだが。
——ただ。
それだけではなく、実は彼自身の性格も複雑に絡み付いている。
「リリアには申し訳ないが、俺が生き抜くまでは貴族社会を維持させてもらう。せっかく手に入れた上級国民の座だ。ボルネーゼ家がどうとか関係ない。俺は勝ち組を味わいたいんだよ。絶対に手放してなるものか!」
生まれた時から勝ち組、それが彼を突き動かす原動力だった。
そして、娘を持つという初めての感情も、大きな原動力になっているのだが、この時点での彼はそれに気付いていない。
◇
Cクラスの一番後ろの席、リリアは配布された資料を黙読していた。
隣にはあれ以来仲良くなったアドヴァが、眠そうに机に突っ伏していた。
「リリアは真面目だねぇ。私はついていくので精一杯。黒板もタチの悪い落書きにしか見えないんだけどぉ。」
「えっと……、私は頑張って成績を上げないといけないから、領主様や村の人たち、お金を出してくれた人たちに恩返ししないといけないの。」
故郷のことが気がかりだが、成績で返事をする方が皆も喜ぶだろう、という状況だった。
それに彼女にとっても、こんなに立派な建物で、可愛い制服を着て、貴族の子供たちと一緒に学校に通うという、夢のような体験でもある。
「はぁ……」
だが、日に日に視線が厳しくなるのも感じている。
レオナルド王子が頭を下げても尚、いやそのせいもあってか、クラスの目は更に厳しいものになっていた。
「では、今から実際に魔草を見に行きます。植物園へ移動するわよ。」
教壇に立っているのは、ジュエル・オムレツ伯爵夫人。
中年の女性だが、とても品がある淑女である。
ただ、彼女には自分が見えていないのではないか、思ってしまう。
そして、本当に彼女はリリアと一度も目を合わせていない。
「リリア、移動だってぇ。学校の植物園か。私、あそこ苦手なのよね。不気味だし、臭いし……」
「アドヴァさん、聞こえてますわよ。授業中のおしゃべりも全部聞こえてますからね。お二人は罰として、今日の実習の助手をするように。」
ただ、どうやら肉眼でも見えていなかった訳ではないらしい。
アドヴァがバツの悪い顔をして、リリアにペコリと頭を下げる。
「うー、ゴメン。リリア。」
「ううん。だ、大丈夫。実習の助手なんて、とっても光栄なことだし。」
リリアは首を横に振って、全然気にしていないと友人に告げた。
ただ、この実習は誰もやりたくない代物。
要は土いじりであり、ひどい時は泥水の中に入らなければならない。
貴族は何もしないことが美学、そんなのは庭師にやらせておけば良いという考えが、この世間では一般的である。
そして、この授業で彼女が動く。
「先生、提案があります。私、前からあの奥の紫の葉っぱが気になってたんです。あれをリリアさんにとってもらってはどうでしょうか?」
そう、提案したのはフェルエ・ラザニアである。
因みに、顔はにやけている。
辺境伯という爵位は、通常の伯爵位とは違う。
他国との緩衝地帯にあるため、独自裁量権が認められている特別な爵位。
同じ伯爵位といっても、辺境伯の方が一段上の権威を持っていることが多い。
そして、この世界でもそれは同じ。
「フェルエ。お前、それ本気で言ってんのか?」
そんな時、少し乱暴そうに聞こえる男の声が十五人の生徒の一人から上がった。
「あら、ゼミティリ。貴方は興味ありませんの?平民がどれほど優れているのか、私は知りたくて仕方ありません。だって、平民が首席なんですよ?」
伯爵の嫡男ゼミティリ。
真っ黒い髪に褐色の肌の180cmほどの男。
キャロットが話した四大貴公子の一人である。
彼は辺境伯、伯爵という微妙な差を気にもせず、フェルエに突っかかる。
「あぁ!?バカか、お前。あれはマンドラゴラだろ。抜いた者はもちろん、この場の何人もが卒倒するぞ。特に魔力が低い者ならな。平民の女、こいつの言ってることは無視しとけ。先生も何、固まってんだよ。」
リリアさえも、その男の大きな声に固まってしまった。
片耳にピアスの怖そうな男で、目つきも声も鋭く怖い。
彼はリリアの顔を見ようともせず、ただ半眼をフェルエに向ける。
言ってよいのか分からないが、彼は貴族には見えない。
だから、教師が固まっているのも無理がないように思える。
「……私は固まってなどいません。今から注意しようと思っていただけですわ。フェルエさん、アレは後期の授業で使うものだから、今は引っこ抜けません。ですから、今回はその手前に生えているハジケ草を取りに行って貰いたいのです。リリアさん、頼みましたよ?」
元々注意を受けたのはアドヴァの筈なのに、いつの間にかペナルティはリリアが背負っている。
それに対して、アドヴァさえ何も言えない。
貴族の爵位数の大半は伯爵位である。
アドヴァと仲の良いベルガーがいたなら多少は違ったかもしれない。
そんな目で見ていると親友が耳元で教えてくれた。
「ここは大人しく従った方がいいよ。伯爵家でも中身はまるで別物だからね。特にゼミティリ君とフェルエさんのところは別格。侯爵家とほとんど同列と考えた方がいいの。」
ただ、この教室はヒソヒソ話が出来ないように設計されているのかもしれない。
「聞こえているわよ、アドヴァさん。ですが、全くその通りですの。」
「聞こえている。だが、このイカれ女と同列にはされたくないな。」
「ひ、ひぃぃぃ、ご、ごめんなさい!」
だから、アドヴァは平民のリリアの背に隠れてしまった、半分は冗談っぽくだが。
彼女は悪口を言ったわけではないし、実際にその通りなのだ。
貴族の大半が伯爵である、とはいえ土地も違えば、政治的役職も違う。
さらに言えば、家々の歴史が全然違う。
それに
「で、ではリリアさん。引っこ抜くときは根本からでお願いしますね。」
「はい!」
どうやら死の草は免れたのだが、そこでまた友人が後ろから囁いた。
「リリア、ゴメン。私、ちょっと離れるから!」
なんとも薄情というか、彼女の私語から始まった罰ゲームだった筈だが。
ただ、リリアもなんとなくは予想していたので、彼女については特になにも考えず、靴を脱ぎ、靴下を脱ぎ、スカートの裾を捲って、ドブ水の中に入っていく。
この時点で「はしたない」とか「汚らしい」とか「やっぱり土人ね」なんて声が聞こえてくる。
……全く、めんどくせぇ連中だな。弾けりゃ、目と鼻がやられちまうほどの煙が発生する。だからみんな植物園の入り口近くまで引いてやがる。どいつもこいつもマジでイラつくな。
と、ゼミティリの心の声。
そんなことを知らないリリアは、嬉しそうに泥水の中を進んでいく。
「あー、泥の感触が気持ちいい!あんまり時間は経っていないけど、久しぶりな気がする!」
そのリアクションに面白くないと言う者、汚らしいと言う者、色々いる。
ただ、リリアには関係ない。
「これですよね!それじゃ、行きますよ‼」
だから、彼女は本当に楽しんで、ハジケ草を引き抜いた。
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