第23話 悪意の正体は?
キャロットとレチューは青い顔になって走っていた。
その後ろには同じく青い顔の男が続く。
「これが悪役令嬢の宿命か。大人しくしていても、結局あのイベントはやってくるのか。」
あの時、図書室が突然夜のように真っ暗になった。
その瞬間、彼は悟った。
——強い雨が降るイベント。
雨は悲しい演出や悲劇が起きる演出によく使われる。
天の涙、自分の涙、世界の涙、誰かの涙。
そんな都合で登場させられる雨という演出。
このゲームにもそんな演出が存在する。
彼はマリアベルの監視責任者である。
最初のイベントは予想外のものだったから、自分の目では見てはいない。
あの時は報告書を読んだだけで、彼女の気持ちを察せなかった。
「あんたには分からない」と突き放された夜を、彼はずっと覚えている。
(マリアベルが悪役令嬢にならないという世界線、それがこの国を一番良い未来に繋いでくれる。俺はそう思うんだよ。)
彼女の処刑イベントはまだ先だから、このイベントが彼女の命を奪うことはない。
でも、彼女が悪役令嬢にならなければ、その先で別の未来が待っているかもしれない。
——彼女があの日言っていた未来、成績優秀者になって、第一王子と結婚をする。
娘は自信満々にそう語った。
その可能性は0ではないかもしれない。
だから彼は、大人しくしていろと彼女に言った。
(でも、やっぱりその可能性は0なのか?例えば、強制力とかが働いているのか?この世界の分岐はリリアにしか与えられないのか?)
ペペロンチーノが廊下に飛び出すと、キャロットとレチューが制服の裾を絞りながら、校舎に入ってきた。
「マリアベルはどうした?」と彼が聞くと、「魔法塔に居る」と二人は答えた。
その答えに背筋が凍りついた。
それが何週目に起きるイベントかなんて覚えていない。
それに既に色々と話が進み過ぎているから、今日何が起きるかなんて分からない。
こっちは主役側じゃないんだよ、と叫びたくなる。
そして、何より。
娘が心配で堪らない。
だから彼は急いで魔法塔へ向かった。
だが、既に遅かった。
通り雨は過ぎ去り、今は小雨へと変わっている。
その雨の中で平民の少女が、「ゴメンなさい」という言葉を何度も繰り返していた。
ずぶ濡れの平民の少女と、雨に濡れていない貴族の御令嬢。
地面に額を擦り付けて涙を流しながら謝る少女と、その様子を見つめる貴族の淑女。
そしてそれを見て、呆然と立ち尽くす生徒たち。
この国の貴族の象徴を集めて、折り曲げて詰め込んだ存在と噂をされている少女と、この世界の自由の象徴とされている少女。
この世界に未来が来るのなら、いつの日か有名な画家が描くだろう情景。
「マリアベル!お前、リリアに何をした!」
その絵画の登場人物・銀髪の王子が激昂している。
「リリアちゃん、大丈夫⁉」
同じく登場人物・侯爵の息子が彼女に駆け寄っている。
「お前のような奴がいるから、この国は終わってんだよ!」
更に同じく登場人物・黒髪の貴公子、彼もこの情景に参加していた。
「リリアさん!何があったの⁉」
魔法塔からはメガネのボンボンが少女に駆け寄る、この瞬間を画家は描く筈だ。
「違うの!全部、私が悪いの!私のせいでマリアベル様が迷惑をしているの!」
少女リリアに何があったのか、周りに居る生徒には分からない。
そして、弱者である彼女の言葉はどちらとも取れる。
(俺の……せいだ。俺が負けるなと言ったから……だ。逃げても良かったんだ。逃げなかったから、彼女は……)
こんな時でも貴族として、淑女として、上から少女を見つめる彼女の姿は、正に悪者のソレだった。
「マリアベル・ボルネーゼ‼冷徹なお前が悪いに決まっている‼」
レオナルド、彼がまずおかしい。
彼が何故、ここまでマリアベルに固執しているのか、分からない。
そこまで熱くなる男ではない。
「ゴメンね、リリアちゃん。俺達が目を離したせいで……。ほんと、血も涙もないって言われるっしょ?マリアベルお嬢様は?」
そしてイグリース。
ここまではっきりと言う人間だったか?
「本当に見損なったぞ!落ちぶれたものだな、ボルネーゼ家も」
ゼミティリ。
誰ともつるまないイメージだった。
「リリアちゃんは僕たちの希望だ。それを妬んでいるんでしょ?そういう人間、僕は山ほど見て来たよ。」
シーブル。
前回の主犯。
だが、今回はどうか。
「違う……、違うわよ!その子が雨の中で土下座して、勝手に謝って……、私は何もしていないわ!」
強者のその言葉をどれだけの人間が信じるだろうか。
彼女が狼狽していると、どれほどの人間が気付けるだろうか。
ベコン・ペペロンチーノ、彼女の父の目にも、かわいそうな平民の少女と高慢な貴族令嬢にしか見えない。
マリアベルが彼らの言う酷いことをやっていないことは確信している。
でも、先の情景を例えば裁判で見せられたら、反論できる自信はない。
(これは世界の意志なのか?それとも誰かが仕組んだものか?……そんなことはどうでもいい!これじゃあ、あんまりだろ!)
傘を放り出したキャロットとレチューが彼女に駆け寄る。
マリアベルを守る為に駆け寄った二人が加わることで、悪役としての箔が増す。
そして……
——彼にも予想外のことが起きる。
「お前、図書館教諭だな。ユニオン王国第三王子として命令する。マリアベル・ボルネーゼを拘束しろ。あいつがいるだけで学校に害が及ぶ。証拠はここに揃っているぞ!目撃者も多数!言い逃れは出来ない!」
レオナルドの命令はこの国に置いて、強制力を持つ。
そして、本来この世界にいない筈の彼も例外ではない。
ペペロンチーノ家は伯爵家、そういう存在なのは間違いない。
ここまで状況が揃っているのだし、彼が言う通りにするべきなのだ。
(いや、その方が寧ろ助かるか。俺が動く口実にもなるし。写真があるわけでもない世界。絶対にどうにかしてやるよ。)
その為に、この学校に潜入しているのだ。
存在する人間だから出来ることもある。
だが。
「レオ様、ダメだよ。最近、マリアベルは図書室に入り浸っている。それにペペロンチーノ先生は、前にリリアを厭らしい目で見ていた。彼はリリアも狙っているから、関わらせない方がいいよ。」
心を惑わす奴がいる。
(……シーブル、こいつか⁉今回もこの男の仕業なのか?)
何を言われてもいい。
元々、偽物の存在だ。
だが、マリアベルの前で誤解を招く発言はして欲しくはない、心の片隅で思っている。
だから、つい彼女に向けて目を泳がせてしまう……が。
「もういいわよ!勝手にして!校長先生でも誰でも連れてきなさいよ。ほんと最低ね、あんたたち。そんなにその娘が好きなら、そいつを寵愛してやればいいじゃない!」
どうして、これほどまでに彼女を追い込むのか。
そこまでして、彼女を闇落ちさせたいのか。
そして、この男。
「マリアベル、君は最低だね。やっぱりボルネーゼ家に関わらなくて正解だったよ。さ、リリアちゃん、風邪を引いちゃうから戻ろうね。」
彼の目を見た瞬間にペペロンチーノは理解した。
いや、彼ら全員の目を見た瞬間か。
——そも、最初の事件でフェルエが関与していたのは、彼女の容態を見た彼らは知っている。
火傷と凍傷の区別くらいつくし、フェルエの行動くらい彼らは把握できる。
ボルネーゼ家がそうしているように、彼らの家もスパイくらい送り込んでいる。
イグリースがリリアに対して、執拗に『許嫁』や『結婚』を意識させていたことを彼は知らない。
でも昔、許嫁の申し込みを断られた彼が、マリアベルを逆恨みしていることは知っている。
この舞台を用意したのは
(イグリース、お前が首謀者か!だが、何をどうやったのか分からない。何が起きたのかさえ今は分からない。俺は何の為に。俺に何が出来る?)
まだ、決まった訳ではない。
何もかもが暗中模索で曖昧模糊としている。
進行が想定外に早い上、リリアが誰のルートを辿っているかも分からない。
見方によっては、全員が共謀しているようにも思える。
だが、悪意が神によって用意されていないのなら、ボルネーゼ家の人間として立ち向かうべきである。
元々、居ない人間なのだ。
それに今は愛娘の為に、何だってしてやりたい。
例え……
「はて。そのような前例がありましたでしょうか。私は教員になった折、学校規約を熟読しましたが……。」
「貴様——」
ベコン・ペペロンチーノという性質を使い、ボルネーゼに、マリアベルに被害が及ばないようにすること。
それが王族に逆らってでも、やるべきこと。
「——殿下、王族の権威を使うおつもりですか?そのようなことを、……まさか殿下が?学校内での権威の使用はお父上の御心に反します。——ですから、こういった場合、教職員一同で対処するようになっている筈です。その為の学校ではありませんでしたか?」
「何を今更!」
何故か熱くなりやすい王子様、彼とのやり取りが一番簡単だった。
っていうか、大人を舐めるなよ?
「そうです。権威に縛られない明るい未来の為、身分を越えた有能な才を育てる為の学校です。トラブルが起きた時の為の教員です。その教員の立場から言わせて頂きますが、まずはリリア様を暖かい場所にお連れしなければなりません。さて、授業がそろそろ始まります故、皆さまはどうぞ、学業に励まれて下さい。リリア様、こちらへ」
ネザリアの魔法の賜物、本当は腸が煮えくり返っている。
でも、学校が冷静に対処する、お役所仕事を果たすと約束する。
腫れ物に触りたくない生徒たちは、ただ帰って報告することが仕事。
そして、どこへ転ぶかも分からない今は登場人物になりたくはない。
だから、幾人かの生徒はこれで熱が引いていく。
「悪いけど、リリアちゃんは先生には任せられないよ。……レオナルド、これ以上は言わない方が良い。ムカつくけど、俺たちはマリアベルじゃないんだからさ。」
「……あぁ、分かっている。ベコン・ペペロンチーノだったか?学校内では教員に従う。それは当たり前の行動だ。だが、引き下がるわけじゃない。リリアがこのままでは風邪を引いてしまうから帰るんだ。リリア、帰ろう。アドヴァなら力になってくれる筈だ。流石に私たちではお前の着替えを用意できないからな。」
「そうだね、リリアちゃんが一番大事だもん。僕もこの件はなんとかしてみるよ。お父様に言えばきっと……。学校以外ならどうとでも……」
「良し、俺がリリアを背負う。同じクラスだからな。」
「……自分で歩ける。でも……」
「さぁ、行こう。リリアちゃん。早くしないと本当に風邪を引いてしまうよ」
四大貴公子も、それぞれ何かを言い残して去っていく。
震えるリリアを連れて校舎に帰っていく。
四人ともに目をつけられたのは間違いない。
ペペロンチーノは発言中、リリアを意識させるように視線の誘導をしていた。
彼らの大義は『平等』である。
だから、彼女の前では権威は使えない。
それでも何の解決にも繋がらないのだが。
「他の生徒諸君も行きなさい。学校の本懐は学業ですよ。それからマリアベル君、今日は家に帰りなさい。後に学校から連絡が入るだろう。」
そして、少女はこんな時でも俯くことをせず、毅然とした態度で、立ち振る舞いで、気品さえ感じさせながら歩いていった。
——ただ、マリアベルがペペロンチーノを見ることは一度もなかった。
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