第22話 主人公は豪雨の中で
公然で喧嘩をした二人を残して、リリアは廊下の先を歩いている。
せっかくの豪奢な廊下も二人のせいで台無しになってしまった。
そんなことをする為に頑丈に出来ているのかもと、考えてしまうくらいの出来事だった。
今は中庭を歩いている。
この先の建物に魔法実験室がある。
因みに後ろの二人は、今もいがみ合いながらついてくる。
「ねぇ、どうしてそんなに喧嘩腰なの?二人とも昔からの知り合いだったんじゃないの?」
無自覚系恋愛チートヒロインは無自覚だから、自分の魅力に気がついていない。
とはいえ、流石にこれだけ大げさに動かれたら、リリアも薄々ではなく、しっかりと気が付いている。
……ただ、本当に自分自身がモテているのか、疑わしくなる瞬間が多々ある。
だから、少女も自分がモテているだなんて、口が裂けても言えない。
ギズモ領民の少年の方が、ずっと分かりやすかった。
子供ながらの将来の夢を、平民なりに話したりもしていた。
今はどうだろうか。
彼らはグイグイ迫ってくるから、恋愛の情緒さえ感じる暇がない。
「もう、意味が分からないんだけど」
後ろの二人は突然罵り合うのも挨拶だと言う。
でも、レオナルドとイグリースは普通に仲が良く見えるのだから、やはり貴族のことはよく分からない。
そんな少女の溜め息に、後ろの二人が罵り合いを止めた。
「フェルエとは社交辞令で挨拶を交わした程度だ。俺たちは皆、親に決められた道を歩む。だから俺はその全てをぶっ壊したいんだよ。」
「この学校もそうだよ、リリアちゃん。僕たちは親の政略の道具として学校に通わされているんだ。だから本当の自由を知りたい。リリアちゃんなら、この気持ち分かってくれるよね?」
親に決められた道を歩む、それは平民とて同じことだ。
平民の道から、無理やり貴族の学校に通う道に変えられた。
勿論、それは村のためであり、家族の為でもある。
彼女も自分の役目は理解している。
だから、彼らの言い分も理解できるが、さっきから胸になにかが引っかかっている。
ただ、それがなんだったのか思い出せない。
「もう、いい。貴族様が大変なのは分かった。でも、私は……」
ただその瞬間、リリアの視界から再び彼らが消えた。
そして見つけたと思ったら、今度は視界の下に居た。
二人は何故か左右対称に跪いている。
その宝石のような瞳で上目遣いをしている。
「リリア、済まなかった。俺はお前という存在を見つけたんだった。だから、お前に相応しくなるよう努力する。」
「ごめんね、リリアちゃん。僕は君に出会えた。それだけで僕は十分なんだ。」
黒髪の貴公子と金髪の貴公子は、それぞれ彼女の手を握った。
あまりの突然さに、リリアの息が数秒間止まる。
真っ直ぐな廊下には多くの生徒が歩いている。
四大貴公子の二人が少女の手を取った、それだけで中庭が騒がしくなる。
恥ずかしい気持ちと、公衆の面前では止めて欲しいという気持ち。
色んな気持ちをないまぜにして、少女は大きく息を吐いた。
「分かった。二人は仲直りできたってことだよね?」
色んな気持ちを合わせたら、そういう言葉になった。
そして、二人は一度だけ首を縦に振った。
それならば良し、と彼女は今度こそマリアベルのところへ向かう。
(やっぱり息苦しい。胸がざわつく。私が良い成績をとれば、一番になれば、少しでも世界が変わってくれるのかな?しがらみが全部無くなれば、もっと良い世界になるのかな?でも、今の私がすべきことは——)
少女は心のもやもやを仕舞い込み、自分のやるべきことを再確認した。
勉強に励むこと、それが彼女の進む道である。
でも、今は違う。
泥水でマリアベル・ボルネーゼの服を汚したのは間違いない。
それをちゃんと謝らないと、リリアという少女は前に進めない。
——ただ、彼女の道を阻む者がいる。
今回も敵意を持った者ではないのだが。
「リリア!こんなところにいたのか。教室に行っても見当たらないから、アドヴァに教えてもらって追いかけてきたんだ。」
「レオナルド君!……あの、どうしたの?」
今度は銀髪の王子様が現れてしまった。
これでは今までの包囲網と変わらない。
あの日と同じ、いやゼミティリが居る分、あの時よりも人数が多い。
「私は一緒に勉強をしようと思ってね。ほら、リリアと一緒に勉強をすると捗ると前に話しただろう?」
王子様はそう言った。
それはいつも言われている。
その言葉に乗せられて、いつの間にか一日が終わっている。
因みに、図書室には行けない。
シーブルが、今の図書室には行かない方が良いと止めてくる。
「レオナルド君、お勉強はまた後でね。今はお昼休みだから、私は散歩をしたいの。」
彼女は助けを求めるようにゼミティリに目を向けた。
今日は、彼が道を切り開いてくれるという約束だった。
「そうだった。王子、御曹司。お前らは過保護すぎだ。見てみろ、お前らのせいで他の生徒が近づいて来ない。これはお前らの言っている自由な世界ではないな。」
ゼミティリにしては真っ当な台詞。
だが、その瞬間に空気が張り詰める。
お前は同じクラスだからいいよな、という冷たい視線が彼を襲う。
——が、リリアもそこは読めていた。
すぐさま、彼のフォローをする。
「えっとね。私はあまり目立ちたくないの。だからゼミティリ君にお願いして——」
「レオナルド。君はいつも勉強の事ばかり。昔から相変わらずの寂しがり屋だね。勉強くらい一人でやりなよ。」
そんな中、イグリースが素早くリリア側に回った。
出会ったばかりなら、彼の動きにも戸惑っていただろうけれど、今は違う。
彼の行動にも慣れてきた。
「このままでは私の将来も危ぶまれるから、それは仕方がないんだ。父上や母上、それに兄上たちが俺の婿入り先を決める前に、私は結果を残さなければならない。だから——」
だから、この瞬間を逃さない。
リリアがリリアたる為に、ここは押し通らなければならない。
「私、行ってくる!皆はここに居て!」
ゼミティリのディフェンスが冴えていたのか、イグリースがうまい具合にレオナルドの気を引いてくれたからか、リリアの前に少女一人分が通れる道が出来上がっていた。
(あの建物だ!あそこにマリアベル様がいる!行かなきゃ!)
その瞬間、彼女は頭や体に冷たいものを感じた。
(雨?……ううん。今更引き返せない!)
レオナルドの婿行きの話は初めて聞いた。
後で話を聞いてあげた方が良いだろう、でもこのチャンスは逃せない。
もしかしたら、雨だから皆は追って来ないかもしれない。
「ゴメンね、みんな」
小さな声で謝罪して、少女は俄かに振り出した雨の中を走り出す。
貴族、平民に大きな違いなんかない。
だから、ちゃんと謝れば許してくれる筈。
根拠なんかない、少女の気持ち。
「……え?」
ただ、この瞬間。
肌に感じた雨の冷たさのせいか、彼女の胸のモヤモヤが土砂降りの雨で洗い流されていく。
モヤモヤの正体は、やはりあの事件だった。
「私……、なんてことを……」
少女はこのタイミングで思い出した。
あの
(……思い出した。私は体育館でフェルエさんに怒られたんだ。フェルエさんとゼミティリ君は許嫁で私の軽はずみな行動がフェルエさんを傷つけた。あれ以来、フェルエさんはゼミティリ君に近づいていない。二人の仲を切り裂いたのは……、私だ‼)
走馬灯を見るとは、こういうことを言うのかもしれない。
あの時来るはずだった走馬灯だったのかもしれない。
だから、彼女は雨の中を走り続ける。
(……それだけ……じゃない。私、とんでもないことをしてしまった‼)
貴族のルールを知らないまま、煌びやかだと思っていた世界に飛び込んだ少女。
彼女はいくつも失敗を繰り返していた。
彼らは、彼女らは貴族のしがらみに囚われている。
そこは不可侵の領域の筈なのに、何も知らない庶民の子供が、歪な形で吊り合っていた世界をバラバラにしてしまった。
本当にそうかは、全てを詳らかにしないと分からない。
だが、少なくとも今の彼女にはそう見えている。
(……あの辺りはちゃんとは覚えていない。でも、私は炎に飲み込まれたの!そこで意識を失ったの!……でも、気付くと凍傷を負っていたの!私はあの人に氷の魔法を掛けられて凍傷を負ったって言われてたのに!頬を何度も打たれたって聞いてたのに!全部全部間違っていた!)
激情がリリアを襲う。
一部の記憶がないのは確かだ。それでも、前後関係で読み取れる。
火傷を負ったから、あの人が冷やしてくれた。
気絶をしていたから、あの人が起こしてくれた。
——あの人はただ、私を助けてくれた
なのに、私は……
◇
「私、傘を取ってきます。」
「キャロット!それでは貴女が濡れてしまうでしょう?」
「全く。……仕方ありませんね。私が魔法で雨除けをしてきます。マリアベル様は先に教室へ行ってください。」
「二人とも、お待ちになって。魔法なら私も」
「ダメです!ペペロンチーノ先生の言葉をお忘れですか?」
それを言われたら何も出来なくなってしまう。
レチューは先に教室へと言ってくれた。
でも、いつもあの二人には気を使わせてばかり。
そんな二人を待つくらい、しても良いのではないかと思う自分がいる。
キャロットは大きめの傘を持ってくるつもりだろう。
レチューはキャロットの服が濡れることで、間接的に自分の服が濡れるのを嫌ったのだろう。
(高貴な人間なら、何もしないで良い?そうではないと思うのだけれど……)
いつの間にか雨が降っていた。
今日の天気は晴れの筈だったのに、辺りが突然暗くなった。
積乱雲が発生しているのか、厚い雲の中に時々閃光が走っている。
一人きりになるのが怖い。
そう思ったのはいつからだろう。
父が死んだ日?
思い出せない。
他にも何かあった気がするのに思い出せない。
(結婚相手を探す為……。分かっていた筈なのに、まだ二か月も経っていないのに)
政略結婚と割り切っていた筈なのに、抵抗感を覚えるのはどうしてだろう。
御伽噺を読み過ぎたのかもしれない。
いや、それが普通の感覚なのかもしれない。
少女は建物の入り口で勢いを増す雨を眺めていた。
ただ、そこで彼女は雨雲よりも雷よりも怖いモノを見つけてしまう。
ハリケーンが襲ってきた方が、悪漢が襲ってきた方がどうにかなる。
それくらい怖いモノ。
(……どうしてこっちに?私はどうしたら?)
バケツをひっくり返したような雨の中、全身びしょ濡れになったアレが来る。
アレが秒速5mくらいの速さで近づいてくる。
(なんで、こんな時に?)
アレの様子にマリアベルは正直言って怯えていた。
ここは中庭から南棟へ行く学校内の大きな通り道。
そこでアレは動きを止めた。
だが、アレを見て少女は気を引き締めた。
アレには負けてはならない。
アレから逃げてはならない。
——だから、話しかける。
「リリアさん、そんなところに立っていたら、お体に障りますわよ。」
庶民の少女と貴族の少女の立っている場所は数m程離れている。
マリアベルは魔法塔と呼ばれる、魔法実技を行う建物の庇の下。
これから魔法塔で実技授業なのだから、彼女はこの建物に入る必要がある。
ただ。
少女は庇の外で、今も雨に濡れている、——そして何故かそこから動こうとしない。
声を掛けても、微動だにしない。
(……異様な天気。これはこの子の魔力?それともこれが私たちの運命だとでも言うの?)
彼には六月までは大人しく過ごせ、と言われている。
そして、なるべく少女に関わるなと言われている。
そして同時に、負けてはならないとも言われている。
午後の授業は普段の教室と建物が違うから、油断していたのは認める。
でも、この雨の中を走って来るとは思わなかった。
レチューの言いつけを守り、教室に籠っていればどうにかなったのかもしれない。
——いや、そこでも似たような出来事が起きていただろう。
「私、ず……おは……がし……で……」
少女は何かを言っている。
でも、雨音が激しすぎて、よく聞こえない。
「早く、こちらへ来なさい!風邪をひいてしまいますわよ!」
だから、こちらの声も聞こえていないのかもしれない。
ならば、強引に建物に引き込むか、それともキャロットとレチューに任せるか。
残念ながら、二人が帰って来るのを待つ時間はないだろう。
初めての二人だけの空間なのか、それとも周りに生徒がいるのか、それが分からないほど強い雨。
でも、マリアベルには分かっていた。
周りには間違いなく生徒がいる。
——そして、少女の次の行動にマリアベルは戦慄を覚えた。
「リリアさん、お止めになって!」
マリアベルは必死に叫ぶ。
これがリリアという少女の力なのか、それともボルネーゼが背負った業なのか。
それとも……
懸命に生きようとするマリアベルを、——この世界が悪役令嬢の道へと引き摺り込んで行く。
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