第26話 彼の犯した過ち

 彼女に伝えていたのは、婿探しという言葉だけ。


 ペペロンチーノとして、もっと話をすれば良かったのだろう。

 でも、実際に彼女の言葉を聞いた彼は説得するのを止めてしまった。

 娘のことが可愛くて、手放したくなかったのかもしれない。


 こんな愛おしい娘を誰かの手に渡したくなかっただけかもしれない。


「だから、婿を探すようにとお母様とお婆様は仰っていた……。もっと早くに言ってくだされば……」


(本当は彼女が悪者にならない道を望んでいた。その道を模索し、そして無為に時間を過ごさせてしまった俺が悪い。いや、俺がマリアベルに傾倒し過ぎたからだ。彼女が自分の意志で未来を切り開いて欲しいと願ってしまったからだ。)


 建国して400年以上が過ぎた。

 その間、ボルネーゼ家は権力を行使していた。

 そんな家もいつかは滅びる、これが運命だったのかもしれない。

 ただ、彼の権限では話すことが出来なかったのも事実。

 彼女の側にはいつもキャロットとレチューがいたから、常に監視もされていた。


(なんて、……言い訳か。マリアベルは魅力的過ぎる。どうしてああなってしまうのか。そして俺もあんな奴らに渡したくないと思ってしまった。)


 堂々巡りの感情を押し殺しながら、義父は少女が進むべき道を伝える。


「マリアベル、お前に残された道は彼らの誰かと蜜月の仲になることだった。いや、それはやはり厳しい道だったか。済まない。噂で聞く限り、彼らにお前を渡したくない。」

「……なによ、それ。お父様もそう思ってるんじゃない……」


 ここだけは激しく同意してしまう。

 アレらはどうかしている。

 どうして、こんなにマリアベルの失墜に執着しているのか。


「そうだな。だが、聞いて欲しい。……今、学校は合同合宿という形で時間が止まっている。二週間の自宅謹慎を埋める為でもあったが、そうさせたのには、もう一つ理由がある。」


 マリアベルは俯いたまま動かない。

 彼女がジョセフの目の前で俯いたことなんて、過去に一度だってないのに。

 勿論、彼女がこの部屋に入らせなかったからだろうけれど。

 でも、今はその姿を見せてくれている。

 それほどに追い詰められているのだろうと、ほんの少し残った冷静な部分で彼は考える。

 脳の大部分は申し訳ないと考えている。

 そして、道はこれしか残っていないと全ての脳が考えている。


「合同合宿は、六月に転入するマカロン王国の皇太子、アイザック・シュガーが先にリリアと接触しないようにするために用意した。先手を打たれない為に予め練っていた作戦だ。……お前がアイザックと蜜月な関係になりさえすれば、きっと道は開かれる。だって、彼こそが正統な王の後継者だからな。彼は第一王子、第二王子、いや現国王よりも正当な後継者だ。ユニオン王国設立時の取り決めが、法がまだ生きているんだ。だから、アイザックと蜜月になれ。そうすればマリアベル、お前はこの国の女王になる。そして道を示すことで運命を変える。俺はそう考えている。いや、それしか道がないと言った方が良いか。」


 愛する娘に言うべき事ではない、と思ってしまう。

 でも、貴族とはそういうものかもとも思う。


(これ以上、俺にどうしろと?)


 ずっと俯いたままの少女、彼女に更なる重荷を背負わせている、——その自覚はある。

 そして、話すべきことを話したという自覚もある。

 後は、彼女がどうするか、なんて他力本願な考えしか、所詮は霊媒師に呼び出された部外者には出来ない。


『ガチャ』


 そこでドアの音。

 ジョセフは咄嗟に振り向こうとするも、下半身が動かず、背中を痛めそうになる。

 だが、ドアは開かなかった。

 マリアベルがドアの鍵を閉めたことを忘れていたのだ。

 この短時間なのに、話す内容の重さに耐えかねて、数分前のことさえ忘れてしまっていた。


「ジョセフ、貴方は部外者だわ。……だから、貴方だけに言っておきたいことがあるの。」


 そう、ジョセフは最初から閉じ込められている。

 ジョセフが入ったのではない、彼女がジョセフを中に入れた。

 つまり彼を招き入れたのには理由があった。


 ——ジョセフは深入りしすぎたのだ。


 気がつけば、どこかで嗅いだことのある芳しい匂い。

 盗聴阻害の煙の匂い。


「私だけ重荷を背負うなんて、狡いじゃないの……」


 これほど低い声が彼女には出せるのか、それくらいの重く深い声だった。


「マリア……ベル?」


 改めて考えると、部屋の鍵を閉める理由が見当たらない、——つまり。


「お母様とお婆様には絶対に言わないで……」


 実はマリアベルはジョセフと話す時にだけ見せる一面がある。

 ジョセフが気付いているかは、微妙なところだが。

 あの日の夜もそうだった。

 家族の前で彼女は罵声など上げない。

 ただ、ジョセフにだけは感情をぶつけている。

 少女は家族にさえ取り繕っている。

 貴族らしからぬ一面を見せないように気張っている。

 それが、部外者であり、父親でもある彼の前だけは違う。


 ——そんなことにさえ気付けぬ父親である。


 少女はずっと彼にしか分からない『SOS』を送り続けていた。

 貴族らしからぬ父に、部外者である父に、彼にだけ出せる感情で、彼女は助けを求めていた。


「私には多分、この国は救えない……」


 言ってみれば、魂の人選ミス。

 少女の気持ちを汲み取れない彼を選んでしまった、誰かのミス。


「私、国外追放されてしまったあの人のことしか考えられない……」


 彼が目を剥いたとて、少女は気にせずに話し続ける。


「内務大臣なら知っているでしょう?……あの人はどこかの貴族のスパイだった。それでもあの人は私のためだけに……、身の危険を冒してまで、私を助けてくれたの。死罪になるかもしれない。それだけの覚悟を持っていた。あの人は勇敢に、私の為に……」


 その言葉に彼は混乱する。

 それは自分だと告げて良いのか、それとも——


「マリアベル、その人は……」

「私ね、キャロットとレチューに話したことがあるの。私が好きになる人は、私だけのために尽くしてくれる人だって……。そして私はあの時、思ってしまった。王家の火の粉が降りかかる中、私を守ってくれたあの人が……。ベコン・ペペロンチーノ様こそが私が想う人なんだって——」


 勿論、それは彼も聞いていた。

 マリアベルは彼に聞こえるように言っていた。


 ——そして、それは彼女を守る為にやったことだ。


 いや、確かに彼女の言う通りなのだ。


 でも、そこにあったのが情なのか、愛なのかなんて、彼は考えていない。

 そも、ペペロンチーノ家の爵位では彼女を女王には導けない。

 だから、彼は感情を放棄した。

 もっと相応しい誰かに未来を託すことにした。


「大丈夫……だ。アイザック・シュガーは魅力あふれる男だ。」

(あいつがこの世界で一番人気なんだ!)


 そこが正解ルートに違いないのだ。

 でも、彼女は幻に恋をしてしまった。

 そして、そんな彼がどうなってしまったのかという、彼女では解決しようがない迷宮に囚われていた。

 彼女が塞ぎ込んでいた本当の理由、言われてみれば納得の理由だった。


「だといいけど……。とにかく、お母様と……その、あと僅かしか生きられない……お婆様には秘密にして。もしもバレたら、私はこの国、いえ、私自身の死が訪れようと、学校には絶対に行かない……から。」


 と、彼女は最後に脅迫までしてきた。

 そして彼は強制的に追い出され、魔力圧で廊下に吹き飛ばされる。


「これは……脅し?」

「貴方、マリアの部屋から不可解な魔力を感じたのだけれど、何があったのかしら?」


 ロザリーの声にジョセフの心臓が一瞬だけ止まる。

 彼女はマリアベルの部屋の監視ができる。

 そこで干渉魔法が発動されたのだから、彼女が見に来るのは当然だった。

 マリアベルもそれが分かっていたから、本心をサラリと話して部屋から追い出したのだ。

 でも、突然のカミングアウトに彼の気持ちが追いついていない。


「……何も……ないです。おそらくマリアベルは学校に行ってくれると思います。」


 秘密を漏らさなければ学校に行ってくれる、それは間違いない。

 ジョセフはボルネーゼ家で飼われている存在でもある。

 体裁は妻でも中身は別物。

 勤めさえこなせれば、素晴らしい未来が約束されている筈……なのだ。


「そうですか。それは朗報です。……貴方もゆっくりお休みになってください。もう、朝早く家を出る必要はないのですからね。」


 言葉に圧を感じるのは気のせいか、それとも本当なのか。

 ジョセフの軽はずみな行動で、ペペロンチーノというカードは失われた。

 さらにはマリアベルを迷いの迷宮に誘ってしまった。

 ペペロンチーノカードが残っていれば、やりようがあったという事実。

 ただ、そのカードを切る行為が、マリアベルの心を動かす行為だったという事実。


 ——そして、今更どうにもならない事実。


 そんな情けない夫に、美しい淑女は冷徹に次の言葉を述べた。


「明日、お母様、ネザリア様からお話があるそうです。軽はずみな言動がないよう、しっかりとお休みになってください。」


 止まりかけていた心臓が、本当に止まったかと思った。


(……やはり来たか。)


 一族のカードを無駄にしたペナルティが来たと、ジョセフは瞬間的に硬直した。

 このまま眠れそうなほどの衝撃だった。

 それほど、ネザリア・ボルネーゼという老婆は、化け物である。

 彼女の死でボルネーゼが失墜するのは比喩でもなんでもない。

 それほど『個』を超越した存在がネザリアである。

 そんな化け物からの呼び出し、命がいくつあっても足りなそうである。


「分かり……ました」


 結局、フラフラになりながらベッドに潜り込む。


 ——この世界の彼の記憶はネザリアの言葉から始まったのだ。


 『孫を救い、世界の秩序を保て。その為に其方はここにいる』


 彼がここは異世界だと確信した人物が、そのネザリアなのだ。

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