第27話 父はボルネーゼ領へ

 イタイ……


 何が痛いんだ?


 ——それは勿論、体がバラバラになったからだ、よく見ろ!


 『疼痛』が防衛反応なら、もはや無意味の長物なのに、どうしてこんなにも『死』とは痛いのか。

 男はバイクで転び、全身を強く打った。

 打ち所が悪かったという言葉を、十や二十ほど使わなければならない。

 バイクで崖から落ちた、——いや、本当のところは分からない。


 あ、もう痛くない。助かったの?


 ——助かる訳ないだろ。足は何処?手は何処?


 だが、既に痛みは消えている。

 体も至る所が無くなっている。

 つまり、もうすぐ楽になる。

 全てが消えて、意識も痛みも記憶も過去も後悔も、全部失くなるのだ。

 何も考えなくて良い。

 ただ、無に帰るだけ、それだけ——



 サムイ……


 何故寒い?


 ——それは船に乗っているからだよ。


 ここは三途の川?

 三途の川って船で渡るんだっけ。

 確か、バイクで崖から落ちて死んだ筈だ。


 マジか。


 驚くべきことに死後の世界は存在したらしい。


 アタタカイ……?


 暖かい?どうして?


「もうすぐ、本土に着くからね。もう少しの辛抱だ。」


 ばいくって何?

 僕は魔女に見出された「きゅうせいしゅ」だよ。


 救世主?

 一体何の話だ。


「それにしても彼が僕の代わりですか。僕のお姫様を守るのは、随分と小さな騎士様なのですね、ネザリア様」


 知らない男の声。

 ううん、知っている人の声だよ。

 ネザリア様の息子さん?えっと、子供の旦那さんだ。


「そうじゃ。お主の寿命がもっと長ければ、別の方法も考えられた。無論、ワシの寿命も、そう長くはないがの。」


 なんだ、これ。

 ネザリア?

 魔女?

 俺は死んだんじゃないのかよ!

 イタイ……

 寒い!

 頭が痛いヨォ……


「おや、記憶がまだ混濁しているようだね。安心しな。悪いようにはしないからねぇ」


 ボクは……

 オレは……


 ————っ!



 頭を抱えながら彼は目を覚ました。

 ねっとりとした汗が髪の毛をベトベトにしている。


「……夢?なんだ、今のは。俺はバイクで死んでいた?」


 彼の記憶からは、その部分が抜けて落ちていた。

 そして降霊術で、この体に憑依していると聞いた。

 勿論、降霊なのだから死んだのだろうとは思っていた。

 でも、心のどこかで生き霊なのでは?——ワンチャン、前の世界に帰れるのでは?とも思っていた。


「いや、でもこの体は?……やっぱり、ネザリアの婆さんに会うから、緊張で眠れなかったのか?だから変な夢を見ちまったんだ」


 夢の中で船に乗っていた。

 そして、その時の体は、手は、視線は子供のものだった。


 まるで意味が分からない夢。


『コンコン』


 また、ノックの音。

 それだけで心拍数が上がる。


「旦那様、ロザリー様がお呼びです。」


 メルセスの声、彼女の声には癒されるが。

 だが、今思い出さなければならないのは、彼女の方だ。


「メルセスさん、マリアベルは……」


 すると、彼女の嬉しそうな声が扉の向こうから聞こえてきた。


「ご安心ください。お嬢様なら、学校に行きましたよ。」


 ……ん?


「まだ、登校できる日ではない筈だが。」

「確かにそうですが、今は合同合宿中だから問題ない、とロザリー様が仰られていました。」


(え……、ロザリー様。マリアベルを無理やり登校させた?つまりネザリアと会うことを彼女に知られたくなかったのか?)


 全く別の理由もあるかもしれない。

 でも、今はそれくらいしか思いつかない。

 ネザリアもロザリーも、マリアベルに予言の話をするのを躊躇っていたくらいだ。


「分かりました。シャワーを浴びたら直ぐに行くとロザリーに伝えてください。」

「畏まりました。」


 ここは大豪邸だ。

 自室にシャワー室くらいある。

 そこで彼はシャワーを浴び、髭を剃る。

 ただ、そこで彼は二度見をした。


「え……。血が……。……いや、問題ないか。まだ寝ぼけているんだな。あんなバラバラになる夢を見たから」


 一瞬だけ、目から血が出ているのかと思ったが、二度見した時にはいつも通りの碧眼だった。

 残酷な夢を見たから、もしくはネザリアに会うというプレッシャーから、幻覚を見た。

 もしくは単に頭が寝ぼけている、その程度にしか思わなかった。


「ネザリア様に会うのは二ヶ月ぶりか……、そう考えるとそんなに前じゃないな。でも、もう直ぐ魔力が減退していく。その前にもう一度打ち合わせ……、もしくは俺になにか罰を与えるか……。例えば、俺が王国を相手取って……、いや、無理だな。結局は数なんだよ。ネザリア様くらいの実力があっても、国はどうにもならない。」


 そも、この体に植え付けられている、ペペロンチーノに変身する魔法もネザリアのモノ。

 起動と停止はロザリーが行なっているが、今後間違ってペペロンチーノになってしまうのは不味い。

 それを取り除く必要がある。

 マリアベルの気持ちを、これ以上掻き乱したくはない。


「変身魔法は消してもらわないといけないな。減退した魔力で無理をさせるのは申し訳ないけど。」


 ネクタイを締めて、ジャケットを羽織る。

 歪んでいないか、確認も怠らない。


「おっと。帽子も被らないと……だっけ。」


 ネザリアは、この世界の『いろは』を教えてくれた存在でもある。

 かなりのスパルタだった気もするが、そのお陰で今がある。

 彼はハットを手に取って、ロザリーの待つリビングへと向かう。

 

「貴方、時間がないわ。すぐに馬車に乗って!」


 ロザリーが珍しく焦っているように見えた。

 彼女の魔力も大したものだが、残念ながらネザリアが偉大過ぎる。


(流石に焦るよな。ネザリアの婆さんが力を失って最初に困るのは彼女、——いや、実の母の死期が近づいているんだから、その言い方は違うか。実の母の死期が迫っているんだ。冗談なんて言えないな)


「マリアベルに学校に行かせたらしいが……」

「当たり前よ。あの子が知らずに済むなら、それに越したことはないの。」

「確かに。でも、流石に時間がないのでは?」

「……おそらくはこれがお母様に出来る最後の助力。貴方もそのつもりでいなさいよ。それで、マリアベルはどういう状況なの?」


 ロザリーの喋り方が貴族然としていない。

 それくらい焦っているのだろう。

 あの日以来、マリアベルは学校に行っていなかった。

 そしてペペロンチーノとして動くことも出来なくなった。

 だから実は、ロザリーと細かい話が出来ていない。

 事細かく話をしなければならないのだが、マリアベルが恋愛に対して自信を失っていることを、彼女には話せない。

 だから、今話せることはあまり多くない。


「正直言って、今の状況はかなり厳しいです。六月に来るアイザック待ちですよ。」


 その言葉にロザリーは眉をピクッと動かした。

 そしてそういえば、そのことをロザリーに話したかどうか、不安になって彼は言い直す。

 ペペロンチーノとして学校でやってしまった失態なのだ。


「アイザック・シュガー。マカロン王国の皇太子です。そういえば言ってませんでしたっけ?」


 すると彼女は肩を竦めて、相槌ちを打った。

 だが、その後の返答は首を傾げるもの。


「貴方からは聞いていない。でも、そういうこと?お母様が貴方を呼び出した理由……、そういうことですか。もう、そんなにも時間が……」


 全く噛み合っていない相槌ち。

 だが、そんなことは頻繁にある。

 秘密主義と魔法はセットみたいなところがある。

 だから、深く聞こうとは思わなかった。


「ところで、今日はどこで待ち合わせですか?やけに速い馬車をお選びのようですが。」

「ボルネーゼ領、久々に実家に戻るのよ。お母様からの引き継ぎ業務もあるでしょうし。そういうことなら、そこからでないとおかしなことになるでしょうし……」


(なるほど、それで時間がないと。後半は意味不明だが)


「つまりボルネーゼ領まで?なるほど、今までネザリア様に領地の管理を任せっきりでしたからね。……なるほど、俺の人生が始まった地……か。」

「そう。貴方の人生が始まる地……」


 最後は彼女に聞こえないように言ったつもりだった。

 それに対しても、彼女は丁寧に返事をしつつも、やはりおかしな返答だった。


(流石にロザリーもこれほどに焦っているのか。俺の助言ってやっぱり意味がなかったのか。それはそうだ。定められたシナリオを歪ませようってんだから。……でも、事実として歪んでいなかったか?いや、今は忘れよう。これからのことを考えないと)


 どうしても自責の念が湧いてしまう。

 それをどうにか抑えて、次の作戦を考える。

 それにロザリーもなんだかんだ、心配だ。

 彼女の母親の死期は予言で分かっている。

 実の母の死ぬ日が分かっている。


 ——それがどれほどのことかは、流石に分かっているつもりだ。

 

 内務省の仕事をしながら、自領の管理を引き継ぐ。

 更には娘のことも気にしなければならないのに、もうすぐ母親が死ぬと知っている。

 まだ始まって二か月と少しだが、自分よりもロザリーの方がよほど辛かっただろう。

 辛くないはずがない。

 だから結局、車内で数時間、会話は殆ど無かった。

 彼女に、なんて話しかければ良いか分からなかった。


 ——因みに、これらの予言の全てが、誰の口から発せられたのかを彼は知らない。


 噂の降霊術士にも会ったことがない。

 全て、秘密主義という理由で触れないようにしてきた。


 だが、そのタイムリミットもあとわずか。

 

「着いたわよ。ほら、急いで!」

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