第31話 父、追い詰められる

 ジョセフは娘の部屋に呼び出されて困惑していた。

 彼女の誘い方におかしなところはなかった。

 恋バナさえうまく出来ない彼女が、殿方を口説く方法を聞く。

 恋バナに慣れていても、本当の家族には聞かれたくないのかもしれない。


 ——ジョセフが赤の他人だからこそ、彼女は本心が出せる。


 それで困惑している?


 全く違う。


 これは彼自身の問題だ。


 この世界で一番大きな変化が起きたのはジョセフ、そしてアイザック。


 彼はアイザックの頃の記憶が戻っている。


 アイザックの記憶に含まれていた、前世の他の記憶さえも戻っている。


 ゲーム上で一番同情したキャラは、判官贔屓かもしれないがマリアベルだった。

 自分がヒーローなら、マリアベルを幸せにしたいと男目線で思っていた。

 まず、それが前提にある。

 アイザックとして生まれ変わった彼は、6歳の頃には本土に渡っていた。


 だが、マカロン王国の王子として生まれた少年に生きる場所はない。

 ただ、そこはネザリアが手配をしてくれた。

 つまり広大な面積を持つ、ボルネーゼ領の一画で隠れ住んでいた。

 因みに、その頃のマリアベルはペペロとロザリーと共に貴族街で暮らしていた。

 王都の中にある貴族街の方が、周りの動きを察知しやすい。

 でも、よほどの事情がない限り、彼らは偶に里帰りをする。

 そこで。


 アイザックは遠くからではあるば、マリアベルを見てしまった。


 ——太陽のように眩しく見えた少女。


 小さいながらも気高さを内包した彼女。

 確か、当時はまだやんちゃ盛りだった気がする。

 でも、前世の記憶も絡み合い、彼は一目で彼女に恋をした。


 その思いの全てを心に仕舞い、その記憶を封印し、父親として導く心構えもした。

 ただ、彼の体は17歳に戻ってしまった。

 今は三十代の体とはいえ、流石に鼓動が早くなる。


 何度も言う。

 ネザリアの変身魔法は完璧である。

 だから、表情はなんとか抑えられている筈である。

 

『コンコン』


 いつもより早いリズムでノックをしてしまった。

 だから彼はここで大きく深呼吸をする。


「ジョセフだ。」

「入って。」


 直ぐに返事が返ってきた。


(大丈夫、気取られる筈はない。魔力が衰えているとはいえ、ネザリア様の魔力は凄いんだ。……魔力が衰えているとはいえ、だ!)


 彼は心の中で「絶対に気取られない」という言葉を書いて丸呑みした。


 ガチャ


 ただ、入った瞬間、またもや鍵がかけられた。

 そしてあの魔力圧を感じる。


 ここが第一関門である。

 彼は記憶を取り戻した、つまりアイザック・シュガーを取り戻した。

 封印された記憶には魔力も含まれている。

 正統なる後継者である彼の魔力は高い、だからそれも含めて隠蔽した。

 

 つまり今は、彼女の魔力圧に耐えられてしまう。

 ネザリアの魔力は衰えており、巨大な魔力の封印はもう出来ないと言っていた。


(ごく自然に、前みたいに足をついて——、……よし、大丈夫。バレる筈がない。)


 何もかもが完璧だった筈だ。

 ちゃんと前のように父親を演じられている。


 だが、そんな彼の考えを、少女は簡単に超えてくる。


 ただ、やはり彼女の発想はあまりにも速すぎて、時速200kmを優に超えて……


「ジョセフ。貴方、嘘をついているわね?」


(駄目か。やはり、勘付かれた?)


 でも、アリバイ工作も完璧であり、ロザリーとのやりとりも完璧。

 だが、嘘をついていることは間違いない。


 ……でも、ジョセフと言った?


「嘘?何のことかな。お父さん、大変だったんだぞ。それより——」

「あんた、ボルネーゼ領には行ってないわよね?」


 ……は!?


 まさかの言葉にジョセフは驚きの声を出しそうになる。

 だが、この質問自体がフェイクの可能性もある。

 言葉選びは慎重に。


「何を言っているのかよく分からない。先ほど資料を見せただろう。それにネザリア様にもお会いした。なんなら——」

「はい。嘘ー!資料ならいくらでも言い訳ができるじゃない。あんた、気付いていないの?」


 指を突き付けられ、嘘と言われた。彼は大混乱である。

 確かにジョセフは嘘をついている。

 でも、ボルネーゼ領に居たのは間違いなく、本当のことだ。


「だから、ボルネーゼ領には行った。ロザリーが証人だ。彼女に確認を——」

「ふーん。それじゃあボルネーゼ領の方には行ったのかもね。でも、あんたがボルネーゼ領の話をする時、そしてお婆様の話をする時。知らなかったかもしれないけど、あんた、僅かだけど顔が引き攣るのよ。そんなあんたがボルネーゼ領で調べ物をしてたって?その話をしてる時のあんた、全然顔が引き攣っていなかったわ。」


(……はう‼俺の表情でバレた?いや、バレたというか、俺ってそんなに分かりやすい?ネザリア様の隠蔽魔法を使っても尚、表情に出ていたってことは本当の俺は滅茶苦茶顔を引き攣らせてたってことじゃん!)

 

 ただ、それは仕方がないことだった。

 今の彼の記憶のネザリアは、とても優しい人なのだ。

 例えば、ハットを被るように指導されたのは、変身後も日光の影響を受けるかもしれないから。

 例えば、図書室の教官という地位につけさせたのも、直接日光が入らない造りになっているから。

 アイザックの頃の記憶では、彼女は最初からずっと優しかった。


(俺にとっては母親同然だったんだ。記憶を失うまでは。)


 ただ、アイザックの記憶を失い、ゲームの話と前世のおっさん時代の記憶を僅かに残すジョセフはガチの無能だった。

 ネザリアも呆れ果てて、血反吐を吐くような特訓を、彼に強いた。

 その日々がネザリア=怖い=ボルネーゼ領も怖い、という感情だけを彼に植え付けていた。


「そ……それは……。あれだよ。ネザリア様が本当はお優しいって気付いたからであって——」

「お黙り!大体、あんた立ち振る舞いに気品がありすぎるのよ。つまり——」


 マリアベルの発想は時速200kmを越えているから、どうしても空を飛んでいく。


「——あんた、外で女を作ったわね?恋をすると人は変わるというものね。あぁあ、娘にあれだけ恋をしろ、恋をしろって言ってて、自分が?」


 気がつくと、盗聴阻害の煙が彼女の周りから発生していた。


(……これはマリアベルお得意の斜め上の勘違い‼ここでもそれが発生する……だと!?)


 彼女はごく稀にPONをやらかす。

 特に恋愛がらみだが、PONである。


(……やばい。それも可愛いとか思ってはダメだ。っていうか、これはこれで不味いのでは!?家庭崩壊?マジ?最悪のエンディング?)


「そんなバカなことが。ほら、ロザリーとだって今日も仲が良く……」

「あのねぇ。貴族の仕事は噂話って言われるくらい、みんな噂話が大好きなの。旦那が突然優しくなった時は100%浮気をしているものなの。……それに、あんたは本当の家族じゃないじゃない。確かにそうすればあんただけは逃げられるかもしれない。……でもね、私にだって家族愛はあるの。お母様のことを愛しているの‼」


 少女はとんでもない勘違いをしていた。

 彼女が指した一手は、彼女の読み筋はとんでもない詰み筋へ繋がっていた。

 しかも、それなりに納得の行く詰み筋。

 

 ボルネーゼ家はもうすぐ滅ぶ、そして上流階級も滅ぶ。

 理由は下流貴族や平民が革命を起こすからだ。

 ジョセフ・サンダースは元々下流貴族であり、しかもどうしようもないクズという設定だった。

 地方に女を作り、いや作らなくても良いが、そこに逃げ隠れてしまえば、彼は助かってしまう。


 ——彼女の中でのジョセフは完璧なドクズ人間である。


「ち、違う!」

「違わない。貴族令嬢を舐めないで。毎日毎日噂話を聞いているんだからね?」


 ただの耳年増、なんて言ったらぶっ飛ばされそう。

 でも、中途半端な嘘は見抜かれる。

 例えば、ロザリーを愛していると言ったところで、彼女はあっさりと見抜くだろう。

 勿論、ロザリーは尊敬している、彼女を愛しているのは間違いではない。

 だが、それを夫婦愛と呼ぶかは別問題だ。

 今の感情を率直に言えば、ロザリーはお義母さんとして愛しているのだ。


「私を裏切るのはいいけど、お母さんは本当にあんたのことを愛しているのよ!毎日毎日、門のところまで出迎えて……、あんたみたいなドクズでもちゃんと愛しているの!」


 とんでもないポンコツ具合を見せる少女。

 ロザリーを呼んだところで意味があるか分からないし、今は動けない設定である。


 ——だが、家族崩壊待ったなしの窮地が、彼に奇跡を起こす。


 マリアベルに倣って、斜め上の奇跡だが。


「それは絶対に違う!」

「違わな——」

「黙れ。お前の発言は俺に対する侮辱だ。」

「何よ!お母さんだって——」

「俺はお前を愛している!」


 その言葉にマリアベルが固まる。


「俺はお前が好きだ。大好きだ。そんな俺がお前を置いて、ここから逃げ出す筈がないだろ!命をかけてお前を守ると誓ったんだ!そんな俺がお前以外の女を見るわけがないだろ?」


 この発言も大問題だが、彼女は完全に硬直した。

 そして、懸命に息を吐きだす。


「え、えと。何を……」


 彼女が硬直して動けなくなったのには理由がある。

 数秒前とは立場が入れ替わっていた。


 ——そう、今の言葉には嘘がないと分かってしまう。 


 父親の小さな嘘を見逃さなかったのと同じ理屈だ。

 そのベクトルが自分自身に向いていた、という話。


(あ、俺、言っちゃった。つい、本心を言ってしまった。だって、他の女とか言うから……)


 ジョセフも自分の口から出た言葉に驚きを隠せない。

 心臓が口から飛び出しそうになる。

 彼も心から慌てているのだが、変身魔法のおかげか、そこまでの変化は起きない。

 だからといって、喋り方まで冷静とは限らない。


 それに、今の彼にその資格はない。

 作戦とはなんだったのかと、今度こそネザリアにブチ切れられそうだ。


「か、か、か、家族愛だぞ。その……そういうのじゃ……」

「あ、当たり前でしょ!家族なんだから!ってか、キモいって!キモいキモいキモい!もういいから!ボルネーゼ領に行ったのは間違いないって分かったから!だから今すぐ出て行って!」


 マリアベルが珍しく顔を真っ赤にして、枕やらクッション、なんだったらハサミまで投げつける。

 それを下半身が動かないという設定でどうにかこうにか防いでいく。


「分かったから!分かっているから!致死性の高いモノまで投げるな!」


 そして投げるモノがなくなったのか、今度は警戒してベッドでうー、うー唸っている。


(駄目だ。こいつ、可愛すぎるじゃん!この可愛い生き物と、俺は今まで一つ屋根の下で暮らしていた……だと!?)


 これは不味い。

 何が不味いって、出ていけとか言っておきながら、鍵がかかったままということだ。

 普段、クールな彼女が、父親の罪を見つけて罠に嵌めた彼女が慌てている。

 鍵を持ったまま、唸っている。


「あのさ……、出て行こうにも鍵がかかっているん——」

「は!」


 その瞬間、ガチャっと音がした。


「あと、この煙出しっぱなしだと、またロザリーが何事かって来ると思うん——」

「は!」


 すると少女はベッドから飛び起きて、窓を開け放つ。


「違うから!まずは魔法具を切ってからだから‼」

「は!」


(ここは魔境か?カワ世魔境か?こんなところに閉じ込められていたら、俺という存在がヤバい‼餅つけ、餅つけ、俺!)


 もはや、何が何だか分からない状況。

 そして漸く、救いのノックの音がする。


『コンコン』

「ノックはしたわよ。……マリアベル、どうしたのです?それに……、この部屋、何があったのですか?」


 と、ロザリーがやってきた。

 凄惨な有様の部屋を見て、明らかに顔を顰めている。


「違うの!これはその……」

「ええっと、マリアベルが殿方が狼だった時の対策をしたいってことで……。コホン。ロザリー、俺からの話は終わってるから、あとは宜しく頼む。」


 そしてジョセフは気まずそうに退室し、自室へと戻る。

 そんな彼は明日からは学生だ。

 また、変身魔法具との毎日だから、明日から朝が早い。

 誰にも気付かれないように、暗いうちから登校をする。

 さらに、今度こそ登場人物として生きなければならない。


「分かりました。ゆっくりお休みになってくださいね。」


 ——カチッ


 彼がいなくなったのを確認して、ロザリーは魔法具のスイッチを入れた。

 十分に煙が充満したところで、ワタワタと片付けをしている娘に告げる。


「マリー、パパはもう……、死んだのよ。貴女もそろそろ前を向きなさい。」


 その言葉を聞いて、少女は手を止めた。

 そして少女は俯いて


「うん……、分かってる。」


 と、頷いた。


 少女は早くに父親を亡くした。

 大好きだった父を亡くしたからこそ、強く生きる決意をした。

 そんな少女が父を求めていたとて、何の不思議もない。


 だから、アイザックは記憶を失くす前に、——彼女の父になる決意を固めたのだ。

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