第30話 白の貴公子の転入と父の帰還

 放課後だというのに、学校は賑わっていた。

 校長のさらに上の存在、——いや、国で一番偉い人からのお達しがあったからだ。

 それが。


 『転入式』

 

 確かあの時、生徒たちはそんなものはないと言っていた。

 彼らは今頃、ペペロンチーノ先生が偉大なお方だったとむせび泣いているか、やはり情報を裏で抜き取る悪い奴と思っているか、圧倒的に後者が多いのは間違いない。


 ただ、そんな彼のネタバレを知らない生徒達にとっては、聞いたこともないイベントが開催されることになった。


 合宿帰りの生徒にとっては、本当に寝耳に水だっただろう。


「……転入式って?ジョセフが言っていた彼の国の王子様の転入ですね。そしてベコン・ペペロンチーノ様が仰っていたことですね。それにしても転入式とはこんなにも大きなものだったなんて。」


 彼女は勘違いしているが、これは王家による演出である。

 大講堂は教職員が立ち並んでいて、物々しい雰囲気を醸し出している。


「何?転入式って何かのセレモニー?」

「言葉の意味の通りだと思うけど、もしかして第一王子か第二王子が学校に来るのかな?」

「いやいや、卒業したのに戻ってくるって意味分からんし」

「それにしたって、貴族の高官が全員が集まるなんて、国家行事じゃん!」

「え、もしかしてあの噂が本当だったりするのかな」


 一方の生徒はおしゃべりをしながらソワソワとしている。

 ただ、その一方でネタバレを受けた生徒は式典の大きさに目を白黒させている。


「……教職員どころか、殆どの貴族が集まっている?その上、兵士まで。」


 自然と彼を探してしまう。

 これだけいれば、その中にいてもおかしくないのに。

 こんなにも貴族の人間が集まっていても、本当の意味での貴族は居てくれない。

 何度見返しても、国外追放になった彼はいない。

 母からは「とにかく転入生を口説き落とせ」と言われているが、彼女にその気はない。


(形だけの結婚で、私が力を持てば、先生の国外追放処分を取り消せるかしら。でも、それは形だけでも彼を裏切っているのと同じ。……やっぱり私には無理。……先生は私の気持ちは知らないでしょうけど。こんなことなら、あの時いっそ——)


 少女は馬鹿なことを考えて、頭を振った。

 あそこで抱きついたりしたら、四大貴公子がただほくそ笑んだだけだ。

 ボルネーゼ家と密接に繋がっていた証拠となり、彼も自分も家族さえも今頃投獄されているか、この世から居なくなっているだろう。


「静粛に……」


 教員が音声拡張器で生徒達を黙らせる。

 

「あれは父上?なんで父上までいらっしゃるんだよ……」


 イグリースの声が小さく講堂内に響いた。

 ここにいるほとんど、いやリリア以外は知っている。

 最近、やたらとポモロード侯に話を聞く。

 本来は彼が学校長なのに、ここに来たことは今の生徒の記憶には。

 第一王子、第二王子の時には来ていたという話だが。

 だから、今の教員が誰なのかさえ知らない者のほうが多い。


 その学校長が音声拡張器を片手に壇上へと上がっていく。

 本来は入学式でそうするべきだろうに、あの時は別の誰かが話をしていた。

 それは、第三王子を目立たせる為だったのかもしれないが。


「未来ある諸君、ごきげんよう。本日、我が校は転入生を迎える。学校設立以来の異例の事態であるため、私自らが彼を紹介する為にここに登壇した。」


 『転入式』と『転入生』が同じ意味と確信した瞬間だった。

 そこまで言わないと確信が持てないのは、設立以来初めての出来事だったからだ。

 そして、噂と式典が結びついたことで、ヒソヒソのサラウンドが大講堂中に響き渡る。


「静粛にと……、私は言った筈だが?あぁ、噂のことは聞いている。だが、それは犯罪者の言葉。それとは全く関係ない。教頭、今私語をしている奴の成績を落とせ。」

「は、はい!」


 これで私語はピタリと止まる。

 実は、合宿中に殆どの生徒に伝わっていたので、一人一人は小さな声でも大音響になっていた。

 ただ、国外追放処分となったベコン・ペペロンチーノがうっかり口を滑らせた、という前置きが入る為、それはあくまで『噂』扱いだった。 


「君、こちらへ来なさい。」


 全生徒が息を呑む瞬間。

 そして、舞台の袖から一人の男子生徒が歩いてくる。


「え?嘘……」

「あれ、何?」


 結局、私語は止まらない

 噂話の方が成績よりも大事な生徒だっている。


「静粛に!……先日、小さな国から難民として王国に来られたアイザック・シュガー君だ。」


  紺色のブレザーを纏った真っ白い青年。

  噂話の方が成績よりも大事な生徒だっている。


「白い髪……、白い肌……」

「病弱ってだけだろ?」


 更に彼が正面を向いた時、会場からはあらゆる声が漏れた。

 髪も肌も真っ白であり、白兎を思わせるルビー色の瞳はどう見ても異様だった。


 ——そして、この世のものとは思えない美しい青年だった。


 彼がニコッと笑って手を振ると、生徒達から二種類の息が漏れる。

 無論、美しさに惹かれた女子生徒の憧れの溜め息と、それを羨む男子生徒の嫉妬の溜め息。


「私語は……、もういい。教頭、今後のテストを厳しくするように。」


 その言葉に一瞬どよめくが、やはり生徒の口に戸は立てられない。

 壇上の生徒は、ほら、転校生イベントって盛り上がるだろ?っていうか俺も憧れてたし!なんて、心の中でほくそ笑んでいるが。


「彼は先の事情により、この国のことや学校のことをあまり知らない。だから、成績優秀者でもあり、教員からも生活態度の面で認められているリリア君のいる1年のCクラスに入ってもらう。」


 これは前から分かっていたことだ。

 だから、リリアが圧倒的に有利となる。

 ジョセフの記憶しかなかった時にアイザックの狙い撃ちが出来なかった理由がここにある。


「……そこで我が校の規則、とくに『階級に関わらない自由と平等』について教えてやってはくれないか。その役目にはリリア君が適任だと、私も聞いている。——以上だ。」


 そして、この言葉を聞いてマリアベルは「そういうことか」と義父の言葉を思い出していた。

 数日間、出張で家を空けている彼は、学校の時間は止まっていると言った。

 合同合宿から戻ってくるタイミングで、彼が転入するように段取られていただろうから、完全に出遅れるところだった。

 しかも、少女は彼の正体が隠された国の皇太子だと知っている。

 学校側もそれを知っているのだろうことは、校長の話し方と物々しい雰囲気からも分かる。

 だから、自由と平等の象徴であるリリアのいる教室に入れた。

 そのことも予言で知っていたか、王のやり方から推測していたか、くらいは今のマリアベルなら考える。


 ——そしてもう一つ。


 この学校は、いや王は学校制度を過信している。

 彼は平等の精神、そして階級に関わらない人事をするつもりだが、預言者の話によれば、王の考えに関係なく、この学校のせいで国は滅びる。

 圧倒的大多数の平民がその気になれば、身分など関係ないということだ。

 実際、今の軍は殆ど私兵と言っても良いレベルだ。

 群雄割拠時代は平民が兵士だったとも聞く、ならばその気になれば貴族をも打ち倒せる。

 ただ、相当量の血が流れるのだろうが。


 ——平民にとっても良き政治をすること。


 そんなカリスマを持った者、民が崇めたくなるような者が上に立てば、革命は起きない。

 ジョセフが言っていたことがなんとなくだが、理解できる。

 それでも。


「……はぁ。やっぱり無理。」


 それが彼女の本心。

 確かに眉目秀麗、色が白過ぎて、妖艶なまでの美しさを持つ少年だ。

 でも、顔を忘れ始めている彼の存在が、心の中を支配する。

 どんどん美化されていく彼という憧憬があまりにも大きすぎる。



 チッ


 また、舌打ちがする。

 確か入学式でも彼は舌打ちをしていた。

 あの時は確か数席隣にいて、「貧乏人の癖に……、マリアベル様を褒めるべきだ」と小さな声で言っていた。


「……やっぱり、亡霊じゃなくて本当に公爵家は存在した。今更、公爵家が何をしに来たんだ。」


 メガネのボンボンの声が近くではあるが、少し離れたところから聞こえてくる。

 彼の家は金貸し、いろんなところに顔を出しているということだろう。

 もしかすると壇上の貴族もグラタン家に金を借りているかもしれない。


 チッ


 いや、舌打ちは各所から聞こえる。

 出どころは分かるが、今度ばかりはマリアベルには関係のない舌打ち。

 全て、メインヒロイン・リリアのための舌打ちだ。


(……モテるというのも大変ね。はぁ……、あの四人ね。別に悔しくないし。……でも、こんなことじゃ、やっぱり私。)


「今日は紹介だけだ。明日からは彼も登校する。以上‼」


 ポモドーロ侯が、真っ白な青年を連れて舞台袖に消える。

 暫く、大講堂はざわめきが続いたが、教師たちが入り口に近い順に生徒を無理に近い形で誘導した。

 そして結局、その日はそのまま下校となった。

 大多数の生徒にとっては合宿帰り、合宿を締めくくる大イベントも味わって、ぐっすり眠れるに違いない。

 だが、マリアベルにとってはくだらない一日。


「ただいま帰りました。」

「おかえりなさいませ、マリアベル様」


 メルセスの出迎えを受けて自室へ一度戻るが。


「ロザリー様が話を聞きたいと仰られております。それに夕食の支度も出来ておりますので、着替えられましたらリビングへいらしてください。」


 そういえばそうだった。

 彼女の母に今朝言われていた。

 ただ正直、どんな顔をしてよいのか分からなかった。


 ——それでも、この国の命運は自分の肩に乗っているわけで。


 彼女は母の前でさえ、貴族であろうとする。

 そのように躾けられて生きてきた、——彼女の理想はネザリア様。

 だから、寝巻きの方が楽そうだと思いつつも、貴族らしい家着に着替える。


「全部無意味。この習慣も意味がなかった……ってことね。」


 彼女は愚痴を言いながらもダイニングへ移動する。

 そして、その瞬間に少女は気が付いた。

 

 ……あれ、もしかしてジョセフが帰ってくるのかしら。


 リビングにもダイニングにも母がいない。

 それは彼女がジョセフを迎えに出ているから。

 三月の終わり頃から、その習慣は続いている。

 毎日、仕事の帰りを門扉まで出迎えているのだから、夫婦仲は円満なのだろう……と、少女はなんとなく思った。

 ただ、普段は貴族たれと言っている割に、あの父は根っこが貴族には見えない。

 約一週間の出張と言っていたが、あの男は今日は帰ってくるということだ。


 ——そして、その予想は正解で、夫婦揃ってメルセスに出迎えられ、その足でダイニングに戻ってきた。


「ただいま、マリアベル。」


 ——少女は目を剥いた。


 そしてパチパチと何度か瞬きをする。

 一週間前と変わらぬ父。

 でも、明らかに違う。

 いや、先まで想像していた彼とは違う。

 いや、この方が当たり前なのだろうが、父親が貴族らしくなった。


「お、お帰りなさい、お父様。」


 つい、なかなか言わない『お父様呼び』をしてしまうほどに何かが違う。

 気配とか、匂いとか、そういうのではないのだが。

 憑き物が取れた?いや、何かが憑いた?


 そのくらい曖昧な何か。

 ただの女の勘。


「マリアベル。ジョセフは内務省として転入生の身辺調査や家の手配などでお疲れなのよ。」


 母には変わった様子はない。

 なら、気のせい?

 いやいや、女の勘、特にボルネーゼ家の女の勘は特別なのだ。


「お父様、出張お疲れ……様です。どちらへ行かれていたのですか?」


 疑っているわけではないが、なんとなく聞いてみたかった。

 いや、実はいろんなことを考えての一手。


「ボルネーゼ岬の調査だよ。予言通り、彼が現れたからね。どんな経緯で本土に渡ったのか、調べる必要があったんだ。やはり氷がずいぶん溶けていた。あれなら中程度の船でも楽々通れるだろうね。」


 言っていることはおかしくない。


「そうだ。本当は見せてはいけないんだが、この資料を持ってきた。……彼のプロフィール、そして生い立ちが書かれている。どのような経緯で本土に渡ったかまで、調べる必要があった。彼からの事情聴取も私が担当したんだよ。どうだい、お父さんを見直しただろう?」


 確かに、普段の仕事ぶりは知らないが、ボルネーゼ家にとって重要な情報を持ち帰ったのだから、彼にしては良い仕事ぶりだ。


「彼の血統は完璧よ。それに写し絵を見たのですけど、とても綺麗な顔立ちでしたね。美は魔力の証、それだけで貴女のパートナーに相応しいわ。」


 母の言葉から、義父があの人の話を秘密にしていることも分かる。

 嘘を吐かれていない、気配で分かる。

 そして、久しぶりの一家団欒。

 恙なく進む夕食風景。

 久しぶりに、ちゃんとトマトの味がする。

 トマトが変わったのではなくて、少しは精神が落ち着いたということ。

 落ち着いたというのが、少しだけ寂しい。


 でも、そんなマリアベルは食事が終わったタイミングでこう言った。


「お父様、三十分後、私の部屋に来てくださいますか?」


 そう、一手目で彼女は結論を出していた。

 マリアベルは彼にクロ判定を出した。

 間違いなく、彼に何かが起きたのだ。


「マリアベル、ジョセフは疲れているの。今日は——」

「いいえ、お母様。明日から私はこの国のために立ち向かわなければなりませんの。殿方が何を好まれるか、何を聞いたら喜ばれるのか、何をしたら好いて頂けるのか。私は聞いておきたいのです。流石にそれは……、お父様の方が適任だと、私は思うのですが?」


 二人が目を剥きそうになるのを少女は見逃さない。

 そんな両親は目だけで会話をし、そして彼の方が口を開いた。


「そういうことなら、喜んで。ただ、それならここでも良いと思うのだが……」

「……私、そういう話をするのは苦手なのです。お母様とはいえ、同性に聞かれるのは恥ずかしいのです。……いけませんか?」

「貴方は本当にデリカシーがないですね。マリアベルの言う通りです。淑女はそんなことを家族の前では言わないものですよ。……では、そういうことで。メルセス、後はよろしく。」

「はい、ロザリー様。」


(俺、一人?……なんか、めちゃくちゃ嫌な予感が……。でも、娘の為、娘の為……って、本当に娘の為?)


 そんな複雑な心境の中、

 ジョセフは初日早々、マリアベルに呼びつけられるのであった。

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