第38話 忘れた忘れ物

 ユニオン歴469年7月。


 学校行事のイベントは暦通りに過ぎていく。

 周辺人物の行動がどれだけ早くても、マリアベルがあっという間に追い込まれていたとしても、期末テストの時期は変わらない。


『今日は、テスト結果の発表だ!』


 なんて、どこかに書いてあるのかなと、白髪の青年がキョロキョロしている。

 そして、金髪の少女は挙動不審な彼に話しかける。


「アイザック君!テスト結果、どうだった?」


 彼は肩をビクつかせて、テスト結果が張り出された掲示板を見る。

 そして、その成績の並び順に目を剥いた。


「一位から五位までが満点⁉……そんな、バカな。」

「だって、みんな優秀だもん。私も一緒に勉強しているし。……だから、アイザック君も一緒に勉強しない?私たちと一緒にいれば、次はアイザック君も満点だよ?」


 少女ははにかんだ笑みを青年に向けた。

 ただ、少年の目は掲示板に釘付けのままだ。


(……いや、これは絶対にやってるって。俺とマリアベルだけ異常に点数が低い。脳筋ゼミティリが満点とか、あり得ない。っていうか、私たちと一緒にいれば成績上がります、彼女出来ますって、何その怪しすぎる団体)


 小さな声で、ワナワナと震える青年。

 因みに少女は気さくに話しかけるが、彼の周りは異常なまでのパーソナル空間が広がっている。

 つまり、あの眼鏡貴公子の策が見事に決まっている。

 陰謀塗れの彼に、貴族の代表たる子供たちが近づけやしない。

 そして、同じ理由で彼はマリアベルの所に行けない。


 最近はジョセフとして部屋に呼ばれることもない。

 ジョセフが語ったアイザックと、現実のアイザックの行動が違い過ぎて信用を失っている。

 その半分は彼の自業自得なのだが……


「どういうことですの!どうして私の点数がこんなにも低いの!?」


 ——ただ、今日だけは別である。


 勿論、一定の距離は離れているが、この瞬間だけはマリアベルの近くに居ても、彼女が陰謀に巻き込まれることはない。。

 青い髪の美少女も掲示板を見て、ワナワナと震えている。

 そして、その取り巻きたちも同様にワナワナしている。

 陰謀論の中心にいるアイザックのみならず、マリアベルに対してもクスクスと笑う大勢の生徒たち。

 「ボルネーゼも大したことない」だったり、「あんなに堂々としてるのに勉強できないんだ」だったり。



 少女は懸命に話しかける。

 彼に話さなければならないことがある、そんな気がしていた。


「今回は仕方ないよ。でも、大丈夫だよ!八月は臨海学校だから、みんなで勉強ができるんだって!」


 無邪気な少女が宗教勧誘、いや新たな情報を彼に授ける。

 そして、勧誘主の願いが今日は見事に叶う。


(やっと応えてくれた‼)


 グルンっと頭を回して、白髪の彼が久しぶりに見てくれた。

 しかも、とても良い反応だった。


「臨海学校⁉……聞いてない。そんなイベント聞いてない!」

「でしょ!私も聞いた時びっくりしちゃった!今年は特別なんだって。イグリース君が別荘を提供してくれるみたいなの!お父さんが文部大臣って凄いよね!」


 少女は、彼が違う意味でびっくりしているとは思わず、一緒に喜んだ気分になった。

 

(学校側はどうなっている?こんな時にペペロンチーノのカードがあれば……。ボルネーゼの力が予想以上に弱まっている?)


 彼が思っていることは、少女には分からない。

 少女にとっては嬉しいことばかり起きている。


「これでみんな仲良しになれるね!」


 友達が喧嘩をしなくなったし、彼に近づいても良いという許可も出た。

 ただ、マリアベル・ボルネーゼに関しては、まだ許可がおりていない。

 彼女には前科があるからダメなのだそうだ。


 ——少女も学校がおかしいことには気がついている。


 一ヶ月前と比べるとびっくりするくらい平穏な学園生活が送れている。

 作り物のような平穏が学校を包み込んでいる。

 そして、少女は。


「アイザック君、……気をつけてね。」


 その言葉を何故か紡ぐ自分の口を、少女は慌てて蓋をした。

 最近、勉強のやり過ぎなのか、色々おかしい。

 物忘れが特に酷い。

 友人にもそう言われている。


 ——でも、少女は神に愛されているのだ。


 だから、どれだけ拘束されようと、どれだけ束縛されようと、どれだけ利用されようと……


 彼にとっての最適解を

 彼に対する口説き文句を


 ——主人公補正で、彼女は口にできてしまう。


 彼女単独では知り得ぬ話。

 もしかすると、彼女が彼の独り言を聞き取っていたのかもしれない。

 それでも彼女は彼に一番必要な言葉を一つだけ伝えることができた。


 彼女が知らない、彼に必要な言葉


「このテストのヒントは……おとう……さんの……し、だよ。」


     ◇


 白髪の青年は謎の言葉を耳にした。


(リリア、なんて言った?今、テストのヒントって言った?その後、お父さんの死って?)


 まるで意味の分からない言葉。

 主人公ヒロインが口にする言葉とは思えない。

 そも、恋愛ゲームの主人公の親はあまり登場しない。

 このゲームでは田舎から出て来た少女という設定しかない。

 ただ、彼女は主人公である。

 アイザックの目から見た彼女は悪意を持っていない様子だった。


「……リリアさんのお父さんってもう?」


 すると少女はハッと口を塞いだ。


「……あれ?私、何を言っているんだろう。私の父はちゃんと生きてますよ!時々、お手紙も貰えるし!」

「そ、そうですか。良かったです。」


 返事はしたものの、その言葉に呆然とするアイザック。

 そも、テストの点数が弄られるなんて、おかしなストーリーは存在しない。

 それだけでも今は頭が大混乱しているのだ。


 ——ただ、それだけではない。


 彼に分からないことがいくつも存在している。

 勿論、自分がアイザックだったことも、その一つ。

 でも、それは自分の計画だったことが、ネザリアの口から判明している。


(だから、それを抜きにして考えるべきだ。)


 まず、先に聞いた臨海学校イベントは存在しない。

 海でのデートイベントならあるが、学校行事としてはただの夏休みである。


(考えろ、俺‼絶対に良くないことが起きているぞ!)


 次に考えること。

 これは彼が一番重視すべきことだ。


 ——マリアベルはとても良い子だった、ということ。


 まず性格がキツくない。

 自分にかなり厳しいだけで、他人を貶める行為は絶対にしない。

 それどころか誰かの為に行動できる人間だ。

 あんなのを悪役令嬢とは呼べない。


(でも、それは俺が未来をネザリアに伝えたから、尊大で自分勝手な性格を直されたのかもしれない。……あと、分からないことはなんだっけ。)


 どうして自分の正体を暴露してはいけないのか、だ。

 何か、理由があった筈なのに、何故か思い出せない。

 思い出せないのか、思い出す内容が無いのか、つまり何も考えていなかったのか、さえ思い出せない。


 ——そして思い出せない理由も分からない。


 もしかしたら、ネザリアの魔法にまだ掛かっているのかもしれない。

 でも、学校の豹変ぶりから察するに、彼女の命は長くない。


(そしてこれは流石に追加。リリアの今の言葉の意味が分からない。何を言ったか分からないじゃなくて、意味が分からない。)


 リリアに聞き返したが彼女の父の話でなかった。

 だとすると、マリアベルの父が次の候補だ。


 マリアベルの父・ペペロの死。だが、あれは決定事項である。

 その結果、彼女は学校で婿探しをするという動機に繋がるし、本来ならそれで性格がねじ曲がる……筈?

 そこを埋める為に、アイザックが父親代わりになったのだ。

 アイザックの父親は既に死んでいるらしいが、この作品では顔だけでなく、名前さえも出てこない。

 そも、ペペロの死に不審な点はなかった筈だ。


(もしかしたら夏休みにネザリアに会えると思っていたのに。既にこうなることが決まっていたのか?ネザリアには世話になったのにな……。会える機会はあれが本当に最期だったのか……)


 彼は首を傾げて考える。

 だが、どれだけ考えても思い出せないし、気付けていないことがある。


 ——その一つが彼の背中にある『紋章』だ


 正当な後継者だと知っているのに、紋章の話だけ何故か覚えていない。

 作中に登場するにも関わらず、紋章の事は何故か思い出せない。

 更に言えば、世界をズラした原因は、本来の彼なら気付ける筈だった。

 でも、彼自身がズラそうとしているのだから、その事に気付けない。

 彼にとっての人生のスタートラインである『マリアベルの入学』

 その時に彼女が言った言葉さえ、記憶の奥に沈んでしまっている。


 曖昧模糊とした記憶の迷宮を彷徨い続けた彼。

 そんな時、ふとマリアベルと目が合った。


 ただ、彼女はその瞬間、視線を逸らしてしまう。

 そこで彼は現実に戻ってしまった。


(……テスト結果に不満。それに俺の評判も悪い。さらに今、リリアと一緒にいる。それはそうなるか。)


 そして彼と彼女は別々に校舎に戻っていった。



 互いに、忘れ物は何だったかを思い出そうとしながら。

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