第48話 チート行為、ダメ、絶対!

 そして、この世界は最初からゲームの世界線とはズレていた。


 まさか、そんな理由で彼らが狂っていたなんて、アイザックには分からない。

 そも、学校とはなんだったのか、という現状である。

 彼の中にあるのは、自分の予言が間違っていたのでは、という根本的な悩み。

 元々は、単にゲームみたいな世界だったのではないか、という考察さえできる。

 だが、彼がどれだけ悩んだところで、その前提が間違っている。


 今の彼では導けない。

 自分が余計なことをしたせいで、ボルネーゼは、マリアベルは罪を背負う。

 本当はリリアもマリアベルも誰も彼もが普通に生きて、普通に死ぬ世界だったのかもしれないと、自己責任の念が彼を襲っている。

 ただ、似ていただけの世界を、自分が余計なことを言って、掻き回しただけに思えてしまう。


 ——だから、全ての罪を自分が背負うという、『死』への現実逃避をしてしまう。


「テンパっていたとはいえ、あの殺人事件でマリアベルと引き剥がされたのは誤算だった。マリアベルの様子がおかしかっただけに心配だ。リリアをあんな使い方するとは……」


 マリアベルの調子がおかしかったのは目に見えて分かった。

 倒れたことからも、キャロットとレチューが、彼女の食べ物か飲み物に薬物を入れていたのは間違いない。

 全てがあの男の罠であり、逃げ道は用意されていなかった。

 もしかしたら逃げることが出来たかもしれない。

 逃げたら、それが証拠の一つになってしまうかもしれない。

 それにマリアベルの容態が心配だった。


「逃げてもよかったのか?……いや、俺が全部の罪を被るしか。」


 あの後、レオナルドとリリアが来た。

 逃げるには戦うしかなかった。

 でも、レオナルドとイグリース、そしてもしかするとリリアも加われば、三対一。

 マリアベルを庇い続けて戦うのは困難極まりない。

 だから、あの場にたった一人いた女性、リリアに彼女を託すしかなかった。

 彼女がいることで、ひとまずのマリアベルの身の安全が確保される。

 それに女性同士だから、それがあの時の自然な流れだった。

 罠とは知りつつも、あの時点ではリリアに縋るしかなかった。

 そして、アイザックは全てを自分のせいと言うために、大人しく連行された。


「容疑者を引き剥がすのは常識だ。後は、マリアベルが気付いてくれたらそれでいい。今までの学校での流れを追えば良いだけだ。俺はゼミティリと一悶着起こしているし、シーブルに悪い噂を流されたという動機がある。そして彼女は……」


 何も悪いことをしていない。

 本当に真っ直ぐに育ったものだ。


 勿論、彼の目にはボルネーゼ家の教育の賜物だったとしか思えないのだけれど。

 まさか、彼が記憶を消してもらう前に、別の記憶が消えていたなんて思いもよらない。

 二重で記憶消去の魔法が掛けられていたなんて、考えられない。

 彼はずっと匿われていたのだし、幼少期のマリアベルは遠くから見守っていただけ。

 

 近づいたらいけない。


 バレたら世界が壊れてしまうから。


 ——でも、その苦労も全て無駄な努力だったように思えてしまう。


「そもそも、学級裁判は年末なんだ。まだ八月だぞ?シーブルもそうだが、何故直接俺を殺しに来ない?いや、そもそもこいつら、色々と勘違いしてないか?」


 そこで彼はハタと気付く。


(全く違う世界ではない。やはりここは同じ世界。どこかで狂ってしまった世界だ。)


 もしも、知っているゲームと違う世界なら、色々とおかしな点がある。

 

(……なら考えろ。思い出せ。あの男は絶対に揺れている筈だ。)


 ただ、この留置所にいたのでは何も始まらない、——現状を打開できなければ、記憶が戻ったところで意味がない。

 彼は取り戻すべき記憶があることも忘れてしまったが、現状を打開すべき策は的確に考えることが出来る。


 ただ、その為には——


「ここから出しやがれ!このっ!このっ!このっ!」


 突然扉を蹴り始めたことで、警備兵が慌てて駆けつける。

 牢獄の中で囚人が暴れるのは、よくあること。

 それにこの者は曰く付きの男。

 対処も完璧である。


「そんなことをしても無駄だぞ!その扉はマルス様専用に考案された封印結界だ。お前如き暖簾分け王子に破られるもんじゃない!」


 だが、完璧が故にここは彼の領域だ。


(……なるほど、やはり。この世界は元は俺が知っている世界だ。)


 無論、彼はその為に扉を蹴り続けているわけではない。


「へぇ。第二王子は元気なのかい。全く登場していないから、存在していないのかと思ってたよ!ま、同じようなもんか。一定の条件を満たさないと出てこないんなら、それは幽閉と同じだもんなぁ!」

「貴様、マルス様はご養生されているだけだ。人聞きの悪いことを言うな!」


 実は第一王子ヨシュアは定期的に現れる。

 それはそうだ。

 彼は重要な後継者。

 だが、第二王子は彼の予備。

 予備の予備とどれだけの違いがあるだろうか。


 ——それでも、アイザックの行動は第二王子とも関係ない。


 おそらく?

 いや、間違いなく。

 

(絶対にこの近くにいる。今の状況を一番気にしているのは——)


「何事だ!」


 間違いなく駆けつける。


「レオナルド君、急に走り出してどうしたの?」


 なるほど、ヒロインも一緒らしいが。

 となると、あの男がいないことになるのだが。


「お前達、どういうことだ?兄上に何があった?」

「いえ、マルス様は何も……」

「お兄さんがどうしたの?」

「いや。今のは……。——お前か?いや、そんな筈は……」


 レオナルド。

 彼のルートで出てくるエピソード。


「昔はほんと、仲が良かったのにな。お前達兄弟は。」


 本当はリリアにその話をする筈だ。

 だが、彼らは狂っているとしか言えないほど、一心不乱にアイザックとマリアベルを陥れようとしている。


「貴様……。やはりお前の言った通り、お前が裏で————」


 その結果、彼の顔は可哀想なほどに青くなる。

 勿論、彼を呼ぶ為に、決められたリズムでドアを蹴った。

 だが、彼女が来てくれたなら、彼女にも話しておきたいことがある。


「リリア。僕は確かに疑われても仕方がない。……でも、マリアベルは関係ない。そう思いませんか?」

「えと……。その前に……少しいい?」


 ただ、彼女は彼女で既に青い顔をしている。


(……当然か。俺も幼少期のマカロン王国での記憶がなければ、あの惨劇でぶっ倒れているところだ。イグリースはもう手遅れだな。顔色一つ変えなかった。あの男はマリアベルを嫌っている筈だが、そこが今回のターニングポイントか?)


 二人はまだ、あそこまでは狂っていない。

 リリアはさておきだ。

 ただ、レオナルドは明らかに何かに怯えている。

 ならば。


(……現状、あいつは裁判に拘っている。だけど、気分一つではマリアベルを殺しかねない。なら、裁判なんて待っていられない。)


 そう、ここが彼のターニングポイント。


 ——アイザックは動き始める。


 裁判にかかれば、記憶が取り戻せる。

 それにも拘わらず、彼は別の発想で世界を俯瞰し始めた。


「……あの。どうして……、なんで二人を殺したの?……どうしてそこまでする必要があったの?」


 いや、どうやらその前に一つ仕事があるらしい。


 気合を入れて進まねばならぬ道。

 主人公ヒロインの彼女をなんとかしないといけない。

 おそらくも何も、この世界の命運は彼女が握っている。

 どこかで枝分かれしたとはいえ、ここは知っている世界なのだ。


「それを考えるのが、リリアの仕事だよ。僕が二人を殺す動機、それから——」

「リリア、この男からは何も聞くな。なるほど、マリアベルを解放すればいいんだな。……クソ。そういうことか!!」

「ええ⁉どうしたの、レオナルド君。話はまだ終わって——」


 ——そして彼らは去っていく。


 可哀想なレオナルドは去っていく。

 彼の後ろ姿を赤い目の彼はじっと見つめる。


(……悪いけど、俺にはマリアベルしかいない。レオナルド、お前もそれなりに狂っているらしいが。まぁ、あれだ。多分どうにかなるだろうよ。)


 ——お前ももっと狂ってくれ


     ◇


 リリアは彼に手を引っ張られながら、被疑者の話を考える。

 そして、何かに焦っている第三王子もチラっとだけ見る。


(……アイザック君はすごく冷静だった。でも、どうして?)


 それはそれで不気味である。

 彼の動機は『煽られたことへの衝動的殺人』くらいにしか思えない。

 もしくは人とズレているか。

 いわゆるサイコパスなのか。


「リリア。あいつのことは考えるな。……今の私にはお前しかいないんだ。」


 彼はここ最近、そう言ってくれる。

 普通に考えると王子様にそんなことを言って貰えるなんて、庶民にとって最上級の幸福、富くじレベルではないハッピーエンドだ。

 でも、この少女は、そんなことを考えない。

 はっきり言って、今の彼らは魅力的ではない。

 熱病にでも冒されているのではないかと思えてしまう。


 ——ただ、二人死んでいるにも関わらず、クールでカッコ良い彼もおかしいのだが。


「待って。レオナルド君、本当にマリアベルさんを解放してくれるの?」


 そう、彼女も。


 一番まともなのが、マリアベルだと分かっている。


「マリアベルさんはとっても優しい人なんだよ。それなのに、こんな仕打ち……」

「いや。分からないんだ。毒物を……」

「毒物って?」

「習っただろう!毒リンゴのことは授業で!植物室でも見かけただろう!アレをあの娘は私に食べろと言った」


 そして、ここでリリアは、ついに突破口を見つける。

 これはアイザックにも読めない展開だ。


「レオナルド君!それ、違うよ!蕃茄ばんかは毒じゃないよ!私たち平民はそれを食べてたんだから!」

「……な……何?そんな話は……」

「貧困層は何でも食べるの!酸っぱいけど美味しい食べ物だよ。……はぁ、なぁんだ。本当に良かった。マリアベルさんは本当に悪くないんだ!それに……とっても親近感が湧いちゃう!」



 乙女ゲームの主人公ヒロインがヒーローに幻滅するストーリー。

 そして、悪役だった筈の令嬢を尊敬するストーリー。

 ズレてしまったこのゲームは、マリアベルこそが囚われのメインヒロインなのだ。

 そして、彼はリリアのその言葉に項垂れる。


「そんな……。俺は……、本当に馬鹿者だった……のか。」


 あっさりとそれを認めてしまう。

 自分の口から言ってしまう。


「そうだよ。マリアベルさんを助けなきゃ!」


 リリアは当然、この世界の主人公である。


「俺は利用されていた。あいつは俺のことをよく知っている。それを考えれば当たり前だった。」


 そして、彼の言葉の登場人物を確認するのも当然で、


「あいつってイグリース君のことだよね?」

「あぁ。あいつは最初から俺を利用するつもりだった。——そして、その後は俺を切り捨てるつもりだ。」


 と、考えるのも当然である。


 ——たったあれだけのことで、彼を操ることが出来る。


 アイザックはマリアベルを助ける為なら、なんでもするということ。

 最初からアイザックの勝利条件はマリアベルの生存と決まっている。

 彼自身がそう決めたのだから、その為にはなんでも利用する。


 ——つまりは、彼をキレさせたのが悪い。


 彼は誰よりも、この世界を知っている。

 そも、これはチートである。

 チート行為を使ったのだから、レオナルドも容易く操れる。


 操られているのだから、彼は当然、イグリースのところに向かう。

 彼奴はマリアベルが閉じ込められている部屋にいるに決まっている。


 白髪の赫眼少年が動けないのだから、代わりに行ってくれる人間を使っただけ。


 ただ、ここで。


 ——アイザックのターンは終了。


 そして彼のチートをなかったことにするルートが発動する。


 そう、アイザックを悪人にしないルート。

 レオナルドを立ち直らせるルート。


 そして、メインヒロインを救い出すルートも。


 彼女なら、主人公ならば用意できる。


「切り捨てるって……、それ、どういう……」

「決まっている。イグリースはアイザックと繋がっているということだ。」


 ここでリリアは慌てて絶望する可能性もあった。

 だが、彼女は何度も言うが主人公である。

 主人公が助け出すのはメインヒロインに決まっている。


「そんな訳ない!私たちはマリアベル・ボルネーゼを助け出すんだよ!」


 そう、ここでアイザックの読みは外れていく。

 問題を考えるのはレオナルドの役目だった。

 レオナルドを狂わせる筈だった。


「リリア、どうすればいい?リリアの目から見て、どうすれば誰にも悟られずにイグリースを消せる?」


 でも、果たして主人公にそんな手が通じるだろうか。

 果たして、主人公はこんなに無能だろうか。

 今まで、彼女は操られていただけだ。

 そして、はっきり言って、彼女は怒っている。


「いい加減にして!消す必要なんてないの!全てを話すだけで良い。その為の部屋があるんだよね!」

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