第52話 崖下の花『マリアベル』

 リリアは机に向かい、書類と格闘していた。


 彼女はこの世界の主人公である、つまりはやることが山積みだ。 

 どこかの誰かさんが勝手にハッピーエンドを迎える中で、彼女の肩には無限大とも思われる書類が乗っている。

 とっくに終わったはずのことではあるが、書類仕事となるとそうもいかない。


「えっと。真実の間では……」


 今でも真実の間の出来事はユニオン民主国の人気コンテンツである。

 理由はその『痛快さ』だろう。

 当時、イグリースは、洞窟殺人事件で『アイザックとマリアベル』を晒し者にする為、魔法による全国放送予定の準備をしていた。

 だが、その『真実の間』をヨシュア率いる王国軍が、『殿中で無許可の抜刀および魔法戦闘』の取り調べに使ってしまった。

 王族の息子と侯爵の息子は剣を抜いて、お互いに斬り合おうとしていた。

 聖女リリアが居なければ、そこは血の海に変わっていただろう。


 だから、目下話題沸騰中の聖女リリアがそこから先は取り仕切った。

 ただ、リリアは全国放送の予定を見抜き、そのふざけた仕組みを取り除いた。

 なので、予定通りの全国中継は行われていない。


 だが、裁判は裁判だ。

 しかも、学校の生徒が起こした事件、ならば学校関係者のみならず、自由と平等の下に、傍聴人は身分を問わず、厳正な抽選とした。


 そこでイグリースは数々のフラれエピソードと『マリアベルの魅力』を大いに語った。

 その上で、無計画な殺人事件の全容を晒してしまった。

 更には、偽の真実の間を用意して、そこから中継するという計画もあったらしい。


 レオナルドは反省をするとともに、計画の過程を正直に話した。

 同じ内容を先に彼は話していたので、彼には真実の間は必要なかったのでは、と言われたらしい。


「ポモドーロ侯が放送に気付いて止めようとしたんだけど、あれは失敗だったわよね。既に装置は外していたのに、彼が関与していたことがあからさまになっちゃった。そして、そのせいでポモドーロ候も真実の間へ。グラタン家とドリア家の繋がりもはっきりして、……生徒を一人ずつ。あー、ほんと!あの時逃がして大正解だった。何年かかったと思ってるのよー。あれは今、思い出しても胃が痛くなる……」


 あまりに子供じみたアリバイ作りと仲間割れ

 狂ってしまった男イグリースと、茫然自失の男レオナルド。

 そして、被害者の子供二人も実は加担していたという、事実。


「もしかしたら、生放送の方がマシだったのかも。貴族は噂話が仕事。それに当時の平民も傍聴席に居たわけだから……」


 王の権威も貴族の権威も地に落ちようとしていた。

 ヨシュアとマルスの行動がなければ、この国は滅んでいたかもしれない。

 彼らは即座にリリアに平伏した。

 平等の象徴である学校、——あの時点での成績トップは『平民代表』のリリアである。

 そして犯罪者を捕まえたのもリリア。


 リリアが取り仕切るから、大暴動は起きなかった

 一時的に、リリアが国のトップに上ったくらいだ。


「いきなり私が担ぎ上げられたんだっけ。……私はマリーちゃんとアイザッくんを国外に逃すことを条件にそれを呑んだ。その後、本当にアイザッくんの言った通り、革命が起きちゃったんだよね。」


 正確には王族及び貴族制度の解体。

 富の再分配と、土地の解放。

 ヨシュアとマルスはうまくやった。


 ——リリアの名の下なら、国の形を変えるのは簡単だった。


 それこそ、初代ヨハネスの再来のように。


 作ったのは議会制民主主義だけど。

 そして、その制度を考えるにあたって、リリアは何度かマカロン王国を訪ねている。


「イグリースは十七歳、この国の成人年齢を超えていた為に死罪。それからポモドーロ一派も悪目立ちしすぎた。そして王は人知れず自らの命を絶った。その裏でヨシュア君とマルス君は民主化を進めていたのだけれど……。私が一番大変だったのは、私自身が真実の間に入らないこと。……絶対に言っちゃうもん。マリーちゃんとアイザッくんの話どころか、アイザッくんにちょっとときめいちゃった話まで言ってたと思うし。マリーちゃんは笑って許してくれそうだけど。もしも入ってたら、ゾッとする……」


 レオナルドも命は助かった。

 それもヨシュアとマルスの働きによるもの。

 ただ、助かったというより、酷使されている。

 彼はそもそも隣国『チャハ』に行く予定だったから、国使として酷使され、世界各国を回らされている。

 今も、どこにいるのか分からないほど、彼は多忙だ。

 いや、現状を考えれば彼は国外に居た方が幸せだろう。


「私目線の革命のきっかけは「トマト」。でも、それを取り上げてくれるのは温厚な雑誌と、マニア向け雑誌くらい。皆が食いついたのは十年前にイグリースがマリーちゃんにフラれたこと。……とはいえ、流石にこれはマリーちゃんには見せられないな。」


 今も連絡をとっている彼女、——彼女には見せられない現状になっている。


「真実の間だったから仕方ないんだけど、あの二人は四人での作戦会議の内容を、自分の感情を乗せて全部ぶちまけちゃったんだよね。イグリースはマリーちゃんにフラれた腹いせだったことを暴露したし、シーブルがマリーちゃんにゾッコンだったとも言った。ついでにゼミティリも。レオナルドもそうだった。二人がマリーちゃんの魅力を懇々と語ったんだよね。そしてそれを全国民が尾ひれが付いた噂話を聞いてしまった。」


 ——そのせいで、彼女には絶対に見せられない演劇が、小説が、絵画が流行ってしまった。


 窓から見える演劇場に掲げられた演劇のタイトルを見て、リリアはため息を吐く。


「崖下の花……か。私には最初から高嶺の花にしか見えなかったんだけどな。あ、あっちはトマトだ!」


 レオナルドが語った話がそのまま小説のタイトルになってしまった。

 

『崖下の花を取ろうとして、皆が奈落に落ちてしまった。私も含めて——』


 因みに、トマトの方もそれなりに売れているらしい。

 そして、それを元にした演劇が今日から始まる。


「あそこで私が真実の間に入って、今は友好国のマカロン王国とその王に恋をしていた、なんて話してたら、それも絶対にネタにされてる。ほんと、入らなくて良かった……。あれだけは担ぎ上げられてて良かったって思っちゃった。」


 因みにリリアは「崖下の花」よりも「トマト」の方が気に入っている。


「トマトは毒リンゴじゃない。調理器具や食器に含まれていた鉛が、トマトの酸で溶けだしていただけだった。だからトマトを食べると鉛中毒になった。まるでマリーちゃんみたい。マリーちゃんはとっても良い子。きっと他の人だってそこまで悪い人じゃなかった。……でも、マリーちゃんが愛しいあまり、自分の中にあった悪い部分が溶け出てしまった。」


 ボルネーゼ家にトマトを食べる習慣が付いたのは、子供の頃にアイザックが食べたのが理由だったと、リリアは後から聞かされた。

 その時から家庭菜園でトマトを育てていたらしい。

 マリアベルは、今考えたらそれこそがヒントだったと語ったが、リリアにはよく分からなかった。

 ただ、彼女はその話をするとき、彼女自身もトマトのように赤くなる。

 今ではユニオン国のどこでも、トマト料理が食べられる。

 当たり前になってしまったから、話題性を考えれば、やはりこっちだろう。


「王子を虜にした女、文部大臣かつ侯爵の息子を狂気に走らせた女、金融王の息子を破滅させた女、防衛大臣の息子の幼児趣味を変えさせた女、これはいいか。それより……、そして白き悪魔と共に忽然と姿を消した女——」


 一時期、奇を衒った作品『防衛大臣の息子の過ち』が世に出たこともあったが、皆のスター・リリアが題材だっただけに、すぐに出版禁止になった。


「マリーちゃんが、貴族の男達を美貌で狂わせた悪女扱いになってるんだよね……。全然違うのにぃ。マリアベル・ボルネーゼは、どんなに虐げられても、どんなに白い目を向けられても、絶対に挫けない人。すごい人だったもん!」


 ただ、それも若人を狂わせた理由の一つだったと、あの時に暴露されている。

 彼女の魅力は、周りの人間が持つ毒を引き出して、猛毒に変えてしまった。

 リリアは機密文章もとい、親友からの手紙を一瞥した。


「……言えない。演劇で悪役令嬢として登場しているなんて、絶対に言えない。」


 その機密文章のやり取りの中で、予言の真相が綴られていた。

 あの時は少しチンプンカンプンだったが、機密文章には何度も「ゴメン」と綴られている。


「……勿論、アイザッくんにも言えない。奥さんが魔性の女になっているなんて、絶対に言えない。——アイザッくんはこれから先の未来は分からないって言ってた。それにネアンデール先生は、歴史は後世の人間が勝手に考えるって言ってたけど……」


 貴族制度は廃止されたけれど、庶民は貴族の話が大好きなようで、マリアベルの話はなかなか消えそうにない。

 もしかしたら、男を狂わす悪女、世界三大悪女として、歴史に名を刻んでしまうかもしれない。



 ——ポトン


 リリアはため息を吐いた。

 無論、彼女は彼女で演劇の題材にされている。

 アイザックとの絡みが少ないことは、数年経った今でも救いである。

 あちらにその話が流れて、勝手に修羅場を迎えられても困る。


 さて、そんなリリアだが、どれほどの男から求婚されたか数知れず。

 

「う……、また手紙。今のはヨシュア君?マルス君?それとも……」


 彼女はある意味、うんざりしていた。

 自由とは、不自由でもあるらしい。

 だから彼女は密かに文通している親友に届くように叫ぶ。


「マリーちゃん、それでも羨ましいよぉ!幼馴染が白馬の王子様だったなんて、世の中の女の子のロマンなんだからね!」


 そして、彼女は手紙の返事を後回しにして、今日から始まる仕事に向かう。


 いつものルーティン。


 ただ、今日だけは違っていた。


「あれ、この手紙っていうか……、封筒?」


 一時期は政府関係者だったが、数年で彼女はそれを辞めている。

 そして、その後、あらゆる誘いを受けたが、彼女はそれら全てを断った。


 彼女にはやりたいことがあったからだ。

 そして、封筒の中身を読んだ彼女はパァっと明るい笑顔になった。


「今日から新任教師デビューだ。マリーちゃんの真実を伝えられる自信はないけど、私、頑張るからね!マリーちゃん、アイザッくん。いつか世界について話し合おうね!…としてね!」

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