第3話
さて、今日も今日とて冒険者酒場にたどりついた僕たちは、宿泊の受付をして今日泊まる部屋で一息ついていた。
いつものような部屋かと思えば、さすがにガラスの名産地だけあって気合が入っており、精巧なガラス細工が使われた調度品の数々で彩られた部屋は異国情緒あふれる雰囲気を醸し出している。
窓から見える街は一面の雪景色だったが、魔法道具による暖房が効いているこの部屋は暖かく、厚着なんてしていようものなら寧ろ暑いぐらいだろう。
そんな部屋の中で、ニニィは今日買ってきたグラスを彼女のぶんと少女のぶんと一つずつ洗い、さっそく冷たい紅茶を淹れて使い始めていた。
少し遅いが、おやつの時間だ。皿の上に並べられたクッキーを、獣人族の少女はよだれを垂らしながらじっと見つめている。心ここにあらずといった様子で、そんな姿もまた可愛らしい。
人間だった頃の僕にはきっと子供は居なかったのだろう。そうした小さな事に喜怒哀楽をはっきりと示すそんな様子が、僕には新鮮に感じられてどこか愛おしい。
本当に、命を救えて良かった。
「これ、たべていいの?!」
「うん? 勿論だとも。好きなだけ食べると良い」
「やったあ! ね、かみさまも、たべよ!たべよ!」
『うん、僕も貰おうかなぁ!?……むぐっ、もご!?』
食べていいと言ったら、そのままもりもり食べ始めるかと思えば、少女は自分のぶんからではなく僕の分から食べさせてくる。少々強引に食べさせられて息苦しいが、そんな思い遣りの心を彼女から感じて少し嬉しくも思った。
これが親心というものなのだろうか。いつかは彼女も親元に返さなければならないのに、実の子供のように愛おしく思ってしまう。その上、僕は魔物で人間ですらないと言うのに。
『セシル、あまり入れ込み過ぎないように。別れが辛くなるだけだ』
『むぐ、ぐ……わかってるよ。ただ、今は、これで良いでしょ』
『まあね。けど、彼女を助けてから、キミの雰囲気が少し変わってきたものだから』
『別に、そんな事は……』
ニニィから冷ややかな視線を向けられる。
耐えきれなくなって思わず目をそらせば、今度は少女の方に視線が向く。なんともやりにくい。
『はあ……まあ、出来るだけしないようにするから』
『よろしい。ちなみに若い頃の話だが、私は旅先で助けてやった子供が実は私の命を狙う暗殺者で、殺されそうになったのに反撃できなかったという経験が一度だけあった』
『え、ええ!? それ、どうしたのさ』
『見ての通りさ。私は生きている。なんたって死ねない身体になっていたからね。結局、落ち着いたところでサクッと首を刎ねて終いさ』
『え、うぅん、えぇ……』
ニニィのそんな話を聞いてしまい、思わず少女の方に一瞬目を向けてしまう。幸せそうにクッキーを頬張りながら、紅茶の入ったグラスに口をつける彼女は年相応の少女そのもので、まさか暗殺者などの類には見えない。
『ンフフ、流石にその子にその心配は無さそうだけどねえ』
『あ、やっぱり……』
『だけど、それ以上に面倒事を抱えていそうな雰囲気はするね』
『それは、この子の故郷の事、とか?』
『その内の一つだねぇ。キミも彼女の事を調べてみるといい』
ニニィに促されて、僕は少女に目を向けて魔法を使う。
急に自分の方を向いてきた僕に、彼女は不思議そうな表情をしながら首を傾げた。
無名 7歳 ♀
種族:人間
体長:121
状態:健康
生命力 140
魔力 47000
筋力 110
防御 20
速度 55
魔術 30
技能:なし
『名前が、無い? それに、なんだこの能力。すごく、アンバランスだ』
生命力、筋力、防御、速度、魔術はおおむね見た目通り。
しかし、魔力のみが飛び抜けて高い。ニニィのそれに迫るほどのこの魔力量は、他の人間では見たことが無い。そのくせ技能は一切習得しておらず、せっかくの魔力も宝の持ち腐れになっていた。
『ニニィ、獣人族に名前を付けない文化のある地域とかは?』
『そんなところ、聞いたことも無いねえ。それにキミも見ただろう? この年齢でこの魔力の量は尋常じゃない』
彼女の眉間に皺が寄る。
『そもそも、獣人族という人種は総じて魔力量が少ないはずなんだ。素の身体能力が優れているから、魔力をあまり使わない方向に進化したと言われてはいるが。そんな獣人族の中で、この魔力量は異常だね。魔力量の多い森人族ですら、これほどの魔力を持っている者がどれだけ居るものか』
『……ねえ、この子に、故郷がどこにあるか聞ける?』
『そうだねぇ。気が引けるが、聞いておく必要はあるか』
「なあキミ、少しこちらを向いてくれるかい?」
彼女はハンカチを取り出して、食べかすで汚れた少女の口の周りを丁寧にふく。そうしてニコニコとご機嫌な様子の彼女に、ニニィは話し掛けた。
「キミの、故郷について聞きたいんだが」
「……やだ」
「え?」
「やだ!かえらない!かみさまとずっといっしょにいる!」
次の瞬間、彼女は椅子から降りると、隣りにいた僕を抱きかかえて走り出した。
「えっ、おい!キミ!」
ニニィの制止もきかず、部屋を飛び出した彼女は僕を抱きかかえたまま階段を駆け降り、冒険者酒場を飛び出していく。
途中、冒険者酒場の一階で飲んでいた冒険者達が訝しげな視線を向けてきたが、誰も追い掛けてくる者は居なかった。
少女は僕を抱えたまま雪の街へと飛び出していく。
外は寒く、まともに上着など着てこなかった彼女は震えながら走っていた。
口から吐き出された息は白く広がっていき、冷たい空気に溶けていく。
『ねえ、ちょっと!どうしたのさ!』
「やだ、やだ、やだ、やだ」
彼女を止めようと身動ぎしてみるが、僕を抱き締める彼女の力が強くなる一方で何も変わらない。
彼女は二人の聖堂騎士に追い詰められた時と同じ、絶望したような表情で「やだ」と繰り返すばかりで周りが見えていない様子。
このままでは彼女がこの寒さで凍死してしまう。そう思うのもつかの間、彼女は雪があまり入ってきていない路地裏を見つけると、その奥へと進んでぺたんと座り込んでしまった。
『駄目だよこんなところに来ちゃ。帰ろう、お部屋に』
「かえりたくない、こわい……みんな、こわい」
『何があったのさ……』
せめて彼女が魔力の扱いさえ知っていたら会話が出来たと言うのに。こういう時、魔物の身体だという事がもどかしい。
とりあえず、彼女が凍えて死んでしまう事が無いように、僕は炎魔法を使って周囲の空気を暖める事にした。彼女に抱き締められている僕を中心にして一帯の空気が暖められ、凍えるような寒さを和らげていく。
彼女もそれに気が付いたのか、身体を丸めながら僕を更に抱き寄せてぽつりと呟いた。
「かみさまは、やさしい、ね」
『普通の事をしているだけだよ』
彼女がなぜ故郷にこれほどまでの拒否反応を示すのかわからない。だが、間違いなくろくな事が無かった事だけは想像に難くない。
『不思議な感じだな。僕なんて、故郷で何回も死にかけたのに、まだ帰ろうとしてる。良い想い出なんて、ほとんど無いのに……やっぱり家族がいるからかな』
生き残っている家族がどれほどいるかもわからないのに、家族がいるだろう故郷を目指したい。魔物としては奇妙だろうが、家族を想うならば不思議なことでは無いようにも感じる。
だが、家族を大切に思えないような環境に置かれていたとしたら、個人的な考えだけどもそれはとても寂しくて、悲しい事だ。孤独であり続ける事ほど、人間にとって辛いことは無いと、そんな風に僕は思ってしまうのだ。
だから、
『君の気が済むまで、一緒にいよう。僕は君の言うかみさまでは無いと思うけど、一緒にいる間だけならそれでも良いよ』
しんしんと雪の降る空を、少女の腕のなかから見上げる。
じきにニニィも追い付いてくるだろう。それまでずっと、彼女と二人でここで待っていよう。
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