第三章・聖なる獣と邪なる龍の伝説

第1話






◆◆◆◆◆◆◆◆



 とある宿の一室。

 薄暗いその部屋で、一人の男が跪いて頭を垂れていた。


「セレシア様。聖堂騎士団第8隊所属アルト・ギーソン、獣人族の少女を一人取り逃した事、深くお詫び申し上げます」

「良い、構わぬ。それより報告があるのだろう」


 宿の椅子に腰をかけ、アルトを見下ろしている鎧姿の女性。セレシアと呼ばれた銀髪の美しい女性は、冷たさを感じさせる切れ長の瞳で彼を眺めながらそう言った。


「はっ。ご報告ですが、炎を自在に操る水竜の出現を確認致しました。また、窮地における急激な成長も同時に」

「それで、殺せなかったのか?」

「奴は、ニニィ・エレオノーラと行動を共にしておりました故」

「例の『死ねずのニニィ』か。『ヒヒイロカネ』等級の冒険者だと聞いていたな。今回の件で6人ほど死んだと聞いたが、手を抜かれていたか。まともに相手をされていたらこちらが全滅していた所だ、全く」


 セレシアはそう言うと、深く息を吐き出して机の上のペン立てからペンを一本抜き取り、紙に何かを書き始める。


「そなたが目にかけていた部下も死んだと聞いた。気の毒であったな」

「未熟でしたが、彼には確かな才能を感じておりました」

「そうか。そなたも辛いだろう、もう下がると良い」

「……はっ」


 アルトは深く頭を下げた。

 しかし、彼はすぐには部屋を出ていかず、顔を上げるとセレシアへと力強い視線を向ける。


「もし、【奇跡】が中央より送られてくるのであれば、是非、私にその役目をお願いいたします」

「滅多なことを言うな。あれは軽々しく使って良いようなものではないのだぞ」

「……出過ぎた事を、申し訳ありません。ですが、私は本気です。それだけは理解して頂きたい。では」


 アルトは簡単に礼をすると部屋を出ていった。

 残されたセレシアは紙の上にペンを走らせ、中央教会に向けての報告書をしたためていく。


「炎を操る水竜か。そして、『死ねずのニニィ』。出来ればニニィの相手はしたくないが……上はそうさせんだろうな。水竜だけは殺すように命令してくるだろうが、どうしたものか。しかし、【奇跡】の使用について指示が来たら……いや、今は考えるべきじゃあないな」


 彼女はその端正な顔を歪め、眉間に皺を寄せながらため息をついた。









◆◆◆◆◆◆◆◆



「お、見えてきたな」

『寒くなってきたと思ってたけど、雪降ってるなあ』


 馬車の窓から外を覗くと、外では雪が降っていた。

 前の街にいたときは丁度よい気温であったから、ここまで急に気温が下がってくると前世の感覚からすると奇妙なものだ。

 まあ、そもそも気候含めて世界の仕組みが前世で生きていた地球とは全く違う可能性すらあるのだから、少し北へと向かえばこんな気候の場所もあるのだと覚えておけば良いだろう。


『遠くから見ても綺麗な街だね、ニニィ』

「ああ。以前、『オラクル』はガラス工芸が発達した街だと言っただろう? マギステアで使われている街灯の多くはこの街で作られていてねえ、そんな訳だから街の景観にもだいぶ気を遣っているのさ。自分のところのガラス工芸をアピールする為にね」


 しんしんと降る雪と空にかかった雲とで、まだ昼間だというのに薄暗かったのだが、そのお陰か街から見えてくる街灯や建物の灯りがとても暖かく感じられた。








 オラクルの街へ入ると、ラバルトは以前話していた依頼の用事で一度僕らとは別行動する事になった。まあ、なんとなく察してはいたが、やはり亜人関連の依頼らしい。

 諸事情あってマギステア聖国に来なければならなくなった人の護衛をし、安全に国外に退避させるのが依頼内容らしい。今回の依頼者は、住んでいた村が魔物の被害を受けて逃げてきたはいいが、マギステア聖国から出られなくなってしまい、助けて欲しいと護衛に来てくれる冒険者を国外から募集していたそうだ。


「しかし、その子、本当に任せていいんだな?」

「良いよ。乗りかかった船だからねえ。それに、ちょいと気になることもあるからね」

「拙い内容じゃあ無いだろうな」

「今はわからない。ただ……この子は他の獣人族と比べても、ちょいと特殊かもしれないねぇ。獣人族なのに、こんなに魔力を持っているやつは初めて見たよ」


 心配そうに眉毛を下げるラバルトと向き合いながら、ニニィは獣人族の少女の頭を撫でた。少女は嬉しそうに目を細めているが、それを眺めるラバルトとニニィの表情は少し浮かない様子だった。


『ニニィ。この子、何か問題があるの?』

『問題というか……それはキミが一番わかっているだろうに。聖堂騎士団と戦っている時、急に傷が全て治って強くなったと言っていただろう。原因はおそらくこの子だ。どうしてそうなったのかまでは不明だけどね』

『まあ、確かにあの時は驚いたけどさ……』


 彼女の叫びが聞こえた瞬間、これまでに無いほどの力の漲りを感じたのだ。それこそ、下手な進化よりも遥かに強くなるほどの成長。

 おそらく、今の自分の身体でいるには限界ギリギリまでの力を、僕はあの瞬間に手に入れた。今もなお、滾る生命力が体内で渦巻き、パンパンに膨らんだ風船のように今にもこの身体を破って解放されようとしている。きっと、この身体が力に耐えられなくなった瞬間、身体は新しいものへと作り変えられるのだろう。


『正直、心配なのはキミの方さ。魔物とはいえ、キミの身体に起きた変化はあまりにも大き過ぎる。この子も悪気があってやった訳じゃないんだろうが、無理矢理に身体を成長させるというのはそれだけで大きな負担を課してくる』

『いや、でも僕は別に……』

『そこが怖いのさ。キミがキミでいられるのか、私は心配だよ』


 そう言って、彼女は目を伏せた。

 確かに僕は成長してきている。だがそれは非常に不安定で、魔物としても異常な成長速度だという。

 馬車で移動している途中で今の能力値の確認をしたのだが、その数値に思わず自身の頭を疑ったほどだった。





セシル 4ヶ月 ♂

 種族:水竜イリノア

 体長:48

 状態:健康

 生命力 1850

 魔力 980

 筋力 2545

 防御 1130

 速度 1100

 魔術 1987

 技能:身体強化、個体検査、炎魔法統合、水銃、氷包丁、毒液





 数日前まで高くても3桁、2桁台が並んでいた能力値だったのが、今では4桁台の数値が当然のように並んでいる。

 ラバルトや聖堂騎士団の騎士達が一線級の力を持っているとすれば、僕の現在の能力はまたまだ中堅程度だが、少し考えてみると数日前まで一般人程度でしかなかった僕が戦闘職に従事している人の中で中堅程度まで上がってきたと考えるとその異常さがわかるだろう。


「かみさま! あれ、きれい!」

『建物の窓か。綺麗なステンドグラスになってるね』

「かみさまみた? みた?」

『うんうん、見てるよ』


 僕がここまで急激な成長をした原因だと考えられる獣人族の少女は、美しいガラス製品に彩られた街にきらきらと目を輝かせていた。

 ただの無垢な少女にしか見えない彼女が僕の身体に起きた異変の原因だなどとは考えにくいが、ニニィとラバルトはほぼ確信している様子だ。僕のような魔物と、彼女たち獣人族の間に、何か特殊な関係があったりするのだろうか。


 僕は、何も知っていない。

 思えばこの世界に生まれ落ちてから、一年も経っていない。


 僕は、無知だ。



「じゃ、そいつの事、頼むぜ」

「ああ。安心して任せるといい」


 ラバルトの背中が雪の降る街の中へと消えていく。

 僕らはそれを見送って、彼が行った方向とは別方向へと歩き始めた。


「どこ、いく?」

「ん? 折角ここまで来たんだ。ゆったり観光でもしていこうかと思ってねえ」

『観光か、いいね』

「良いだろう? 旅には楽しみがあってこそだからねぇ」


 ニニィは目を細めてにっこりと笑った。慈愛の籠もった母のような表情に、こんな表情もするのだなとぼんやりと思う。

 獣人族の少女と繋がれた手。まるで似ていないのに、どこか親子のよう。彼女に家族というものはいないようだったが、もしも彼女に子供がいたとしたらこんな感じなのだろうか。


 二人と一匹の影が、雪の白に溶けていった。



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