第19話





「グオオォォォゲェヘヘヘァァァア!!?!」

『こな、くそぉっ!理性なき獣が、聖獣を騙るなあっ!』


 その身体から光の粒子を散らしながら、聖獣マアトとなったアルトは叫ぶ。

 よもや邪なる龍神だけでなく、ヒヒイロカネ等級冒険者を元にした聖獣もどきまでもが現れようとは、アルトは予想だにしていなかった。


 凄まじい力を持つその聖獣もどきに組み付かれ、アルトはその組み付きを振り払うべく何度も聖獣もどきの身体めがけて光線を放つ。

 だが、聖獣もどきは何度も深い傷を負っているにも関わらず、まるで痛がる様子も見せずに一心不乱にアルトが変身した聖獣マアトを殺そうと襲い掛かってくるのだ。


『くっ、この化け物めが……っ、あれは!』


 アルトがこうして聖獣マアトとして戦っていられる時間も限られている。厄介な聖獣もどきをどう対処したものかと、聖獣もどきと組み付きながら彼が思案していた時だった。


「オオオオロロロォォケァァァ!」


『龍神っ!?逃げたのでは!』



 溟渤龍イドラ・ヴァーグ。おそらくは龍神になる一歩手前の存在。しかし、その力は既に神域へと達しつつある怪物。

 英雄セシルと同じ名を持つそのドラゴンは、聖獣マアトとアルヴィが変化した聖獣もどきに襲い掛かる。



『戦いを、やめろおおぉぉ!』


 青年のような声がアルトの脳内に響き、アルトは思わずその目を見開く。


『貴様、言葉を……!?』


 まさか、あのドラゴンが人のような心と知能を備えた魔物であるとは思いもしていなかったのだ。






 セシルは着地と同時に、二匹の魔物へと向けてその両腕を振り下ろした。

 両腕が叩きつけられた瞬間、鋭く尖った氷塊が地面から幾重にも重なって生え、纏っていた炎がその勢いを増しながら二匹の魔物へと襲いかかる。


『ぐあ、がああっ!』


「ゲギャァァアアアァァ!?!」


 

 不意を突かれたアルトと聖獣もどきの身体は大地に叩きつけられ、氷の槍に貫かれ、そして炎に飲み込まれてしまう。二匹の身体を包んでいた白い羽毛があたりに舞い散り、血飛沫が飛び散る。


 だが、同時にアルトは違和感を感じた。


『ぐうぅ……なぜ、手加減をする!』

『僕は、戦いたくない。こんな争う意味なんて、どこにあるんだ!』


 聖堂騎士団の騎士として生きてきて、世界の暗い部分を見てきたアルトからすれば、あまりにも甘ったれたお優しい言葉。だが、そんなセシルの言葉には熱があった。


『お前は何も知らないのだろう。だからそんな甘い台詞を吐けるのだ。見ただろう、こいつが理性を全て失っているのを!』

『でも、貴方は生きている。話せてる。だったら、対話で解決できることもあるはずだ!』


「ウウウ、グルゥギシャァエェェッ!」


『ぬう、こいつ!』

『この人、また力が上昇して……うあっ!』


 爆炎と氷によって大地に縫い付けられていた二匹の魔物。しかし、突如としてアルヴィが変化した聖獣もどきの力が膨れ上がり、その身体から無数の光線が無差別な方向へと向けて放たれた。

 二匹を押さえつけていたセシルも、すぐ隣で押さえつけられていたアルトも、その光線を全身に受けて無数の火傷を作りながらふっ飛ばされる。


『げほっげほっ。なんだ、今のは……?!』


 氷の鎧でその身を守り、いち早く体勢を立て直したセシルはアルヴィが変化した聖獣もどきへと意識を集中させた。土壇場での急激な成長。どこか、ここ最近の僕によく似ている。


『龍脈だ。龍神の癖に知らんのか』


 聖獣もどきが放った光線によって地表を覆い尽くしていた氷はかなりの割合が蒸発し、白い蒸気にあたりは包まれていた。蒸気が風に流されて晴れていくと、吹き飛ばされたアルトもなんとか無事に姿を表した。


『聖堂騎士団の……』


『お前もそうやって成長していただろう。聖なる獣然り、邪なる龍神然り、大地に流れる魔力の塊である龍脈は魔物に力を与える。もっとも、龍脈から魔力を引き出せるものに限るがな』


『龍、脈……?』


 聞いたことのない単語だ。

 彼がいったい何のことを言っているのか、よくわからない。だが、彼の言葉通りに受け取るのであれば、もしやこのマギステア聖国の大地には、僕らドラゴンを強大に進化させる恐ろしいものが眠っているのではないだろうか。


『龍神の癖に知らぬとは言わせないぞ。たとえその名前は知らなくとも、そうしたものがあるのは知っていただろう』

『いいや、知らない。何なんだ、その龍脈って』

『本当に知らないのか……?』


 聖獣マアトから驚いたような声が届く。

 本当に驚いた時の、困惑を隠すことの出来ない声色。


「ギギゲァァァッ!!」


 だが、状況はそれ以上彼と話す時間を与えてはくれなかった。興奮した様子の聖獣もどきが、更にその力を増大させながら立ち上がってきたのだ。


『あなたこそ、魔物になってまでどうして戦いたいんだ!』


 聖獣もどきに向かって叫ぶ。すると、聖獣もどきの顔がぐるりとこちらを向いた。


「オオォ、ギャエェアァァァア!!」


『……そんな、理性が、人間の心が』


 人としての面影など欠片も残っていない、理性なき獣の叫び声。殺意と呼ぶのもおこがましい、破壊衝動で塗りたくられた真っ黒な目がこちらをじっと見つめている。


「ンンビギィィィィ!?!ギャィアァァ!」

『くそ!【大氷界ヨトゥンヘイム】!』


 狂ったような叫びをあげ、全身から光線を放ちながら突進をしてくる聖獣もどき。もはや自分の全力で止められるかもわからなかったが、今できる全力を尽くして周囲の空間を全て凍り付かせ、彼を凍てつく氷の中に閉じ込めようとした。

 しかし凄まじい光のエネルギーを放つ彼の身体はそんな絶対零度の寒さすら寄せ付けず、壊れた機関車のように突進を続ける。


『なんで、こうなるんだ!みんな、ただ平和に生きていたいだけのはずなのに!』

『戦わなければ生きていられない命もある!』


 だが、突如として聖獣もどきの頭に巨大な光の剣が突き刺さり、その身体を大地に縫い付けた。はっとして横を見れば、聖獣マアトとなった騎士アルトがいる。

 彼はこちらを攻撃するでもなく、ただ隣に立ち、そして聖獣もどきに対峙した。


『なんで、貴方が僕を助けて……』

『……知らん。俺も何をしているのかよくわからない。だが、一つだけ聞いておきたい。お前は人を守りたいのか?それとも、滅ぼしたいのか?』

『僕は――』


 彼の問いを聞いて、脳裏に過ぎるのはこの世界で出会った人々の顔。僕と妹をすくってくれたランド少年に、僕の友達になってくれた冒険者ラバルト。僕を慕ってくれている獣人族の少女セレスと、そして恩人であり、旅の相棒であり、大切な女性ニニィ。


『僕は、人が好きだ。ニニィと共に旅をしてきて思ったんだ、時には傷付けたり、殺さなきゃならない事もあるけれど、僕はやっぱり人が好きなんだ。だから、僕は人を守りたいよ』

『………そうかい』


 ほっとしたような、少し残念そうな、そんな様子で彼は呟いた。

 そうしている間にも、目の前では聖獣もどきがまたしても立ち上がろうとしていた。頭に深々と刺さった剣を無理やり引き抜きながら、虚ろな瞳をこちらに向けるその姿は怪物以外のなにものでもない。


『奴の力が増大している。このまま奴が暴れ続ければ、オラクルの街は滅びるだろうよ。だから、手伝え、龍神』

『僕は龍神じゃないけど、手伝うよ、聖獣マアト』



 三つ巴の戦いは終わり、英雄の名を冠したドラゴンと聖獣マアトが、恐ろしい怪物に立ち向かう構図となっていた。それは奇しくも英雄セシルの戦いを彷彿とさせる構図であったが、二人はそれに気付くことはない。ただ、自分達の全力をかけてこの怪物を止めるのだと、覚悟を決めていた。


「キシェェァァ……ギャアァァォッ!」


『っ、飛んだぞ!』

『追います!』


 聖獣もどきが大空へと凄まじい勢いで飛び立っていく。僕はそれを追って、勢いよく飛び立った。

 ただ羽を動かすだけではない。羽ばたくたびに勢いをつけ、羽を折りたたんで空気抵抗を減らしながらスピードを上げていく。


『【四頭炎弾ヘカテマグメア】!』


 空をオラクルの方向へと飛んでいく奴の背中めがけて、爆発する炎の弾を発射した。炎の弾は全弾命中して爆発を起こしたが、もはや痛みすらも感じなくなっているのか、聖獣もどきは多くの命があるオラクルの街を目指して飛んでいく。


 そうして、オラクル上空に辿り着いた瞬間だった。

 聖獣もどきは街を、見下ろすとその口に凄まじい量の魔力を集中させ始めたのだ。明らかに、街を全て破壊するつもりだった。


 このままでは、皆が危ない。

 セレスも、ラバルトも死んでしまう。

 ニニィならもしかしたら助かるかもしれないが、僕の中で彼女の力を測りかねている今、もしかしたらの話でしかない。


『まずい、街が!』


 遅れて飛んできた聖獣マアトは聖獣もどきへと急接近し、その身体に組み付いた。


『龍神、こいつの攻撃をそらす!手伝え!』

『わかってます!』


 自分も聖獣もどきの巨体へと組み付き、その狙いをオラクルの街から自分達へと向ける。その途中でも、聖獣もどきは更に力を龍脈から吸収しているのか、その膂力は膨れ上がっていく。


『これ以上強くなられると止められない!』

『わかってる、ここで倒すぞ!』


 自分は炎と氷の2属性を込めたブレスを、聖獣マアトは聖獣もどきと同じ光属性のブレスを。一匹のドラゴンと二匹の獣が空中で向かい合う。



 次の瞬間、轟音と共に全てが白く消え失せた。



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