第17話




 魔導師アルヴィの脳内で、急流のように思考が駆け巡る。自身の力ではまず勝つことが出来ないほど強いドラゴンに、恨みの籠もった視線で睨まれているこの状況。如何にしてあのドラゴンを出し抜き、龍神の巫女を奪って逃げるか。


 アルヴィにも北国イヴリース最強の魔導師としての矜持がある。それゆえ、死の恐怖に押し潰されようとも、未だに作戦の成功を諦めてはいなかった。


「(あのドラゴン、たしか【溟渤龍イドラ・ヴァーグ】だな?)」


 確か、央海の温暖な海に棲息していると言われている海龍の一種だ。

 だが、最後にその存在が確認されたのは50年以上前の事。紅樹の民が住む島の周辺海域で年老いた個体が一体確認されただけ。あまりにも情報が少な過ぎる。


 一応、イノリが進化した姿であるという情報があるが、それもどこまで定かなものか。


「(水竜であるのなら、雷魔法か炎魔法が有効であるはず……だが、こいつは炎を使う。なら、弱点は雷魔法だけか?)」


 冷や汗を流しながらも、いつでも魔法を放てるように杖を構えておく。もう第六聖天など相手をしていられない。向こうも同じようにドラゴンへの警戒を強めているだろう。

 だが、そうして精神を研ぎ澄ましていたアルヴィの平静は一瞬で崩される。


『お前は何故セレスを拐った? 何が目的だ?』

「なっ……!??」


 突如として脳内に響いてきた声。

 魔力を使用した会話ではない。あれは会話をする者同士で魔力をつなぎ合う事が必要なのだから。


 だが、今は一切魔力の接続もしていないというのに、奴の言葉が脳内に直接送られてきたのだ。

 しかも、はっきりとした人間の言語を伴って。


「こ、こいつ、知能が!?」

『質問に答えろ。僕は今、とても怒っているんだ』


 もうアルヴィの脳内は、全ての荷物をぶちまけた部屋のようにぐちゃぐちゃになっていた。


「(あれはムジカ様が用意した偽物の龍神ではないのか!? ドラゴンが人の言葉を理解するはずが……)」


 ムジカ・ニグ・デアロウーサは、マギステア聖国を撹乱させて計画を完遂する為に世界中に向けて特殊な処理を施した様々な水竜の卵をばらまいた。たしか、外側だけで中身が伴っていない紛い物だと言っていたか。水竜でありながら炎の力を使うことが出来るようにされたそれらは、各地で成長し、そして人々にとって脅威となっていた。

 マギステアで現れたこの個体は、おそらくフランクラッド王国に放たれた個体だ。どのような経緯でここまで来たのか知らないが、龍神の巫女の力とマギステアの大地に広がる龍脈の魔力にあてられて大きく成長したのだろう。


「龍神を、呼び出す為だ……」


 だが、今は話せる部分までは吐いておくべきだ。

 あの龍神のような何かはかなり怒っている。全身の鱗が玉虫色に変色するたびに、ぞくりと肌が粟立った。


『龍神を呼び出す? どうやって』

「その獣人族の娘は、現代の龍神の巫女なのだ。龍神の巫女には、ドラゴンとつながり、龍脈から引き出した魔力を与える力を持つ」

『ああ、だから僕はこの身体に……』


 妙に人間くさい様子でそのドラゴンは自身の身体を見下ろした。納得した様子でそんな事を言った。


 やはりおかしい。紛い物が人と同じだけの知識を得ることなど有り得ない。まさか、紛い物として創り出した卵の中に本物が混じっていたのか?


 そんな思考がぐるぐるとアルヴィの脳内で回り続けて止まらない。


『だけど、その龍神を呼び出して何をする? 戦いの道具にでも使うつもりなのか?』

「それ以外に何に使う? 太古の時代の神の力を自在に扱えるのだぞ。我々は龍神の力を使って亜人を虐げる人族を滅ぼし、亜人に真の安寧と自由を与えるのだ!」

『そうか……』


 アルヴィが秘密にしなければならない事は話していない。

 こちらにとって都合の悪い事実は隠した。

 だが、変わることのない目的だけは全て吐いた。


 英雄と同じ名を冠したそのドラゴンは、何やら考え込んだ様子で目を細め、今度はアルヴィではなくボリスをじっと見つめた。


『確かに、差別感情からの殺人なんて許されない』


 若干の怒気を含ませながら、龍は言う。

 ざくり、と、ボリスが少し後退った音がした。


 よもや邪魔者を一思いに屠ってくれるのかと期待したアルヴィ。しかし、彼の頭に流れ込んできたのは思いもよらぬ言葉だった。


『だけど、争うだけじゃ本当の平和は得られない。僕はそれを知ってるから』

「………なん、だと?」


 これほどの力を手に入れたばかりの魔物が。

 人と同程度の知識があるのなら、力に溺れ、横暴の限りを尽くしてもおかしくないと言うのに。


「暴力の権化のようなお前が、それを言うのか……?」

、全部思い出したから。暴力で解決したところで、また新しい暴力が産まれるだけだ。貴方たちのやりかたは間違ってる。どちらも、僕には正しいとは思えない。それに、僕はただ平和に生きたいだけなんだ』


「かみさま、かえろう」

『そうだね、セレス。ニニィを拾って、すぐにフランクラッドに行こう』


 ドラゴンはゆっくりとその身を屈め、セレスと呼ばれた獣人族の少女は足からドラゴンの背中へと登っていく。

 アルヴィにはどうしようもなかった。少女を巻き込んで強力な魔法を放つことも難しければ、あのドラゴンが反撃も出来ないほどの攻撃を瞬時に出すことも不可能。完全に詰んでいた。


 そうして、彼等が飛び立とうとしたその時だった。

 街の飛空艇港から巨大な何かが飛び出して、またしてもこちらへと向かって飛んできている。


 アルヴィはそれを見て、思わずボリスへと振り返った。


「貴様ら、アレを出したな……?」

「教皇聖下の、御判断だ」

「この街は滅びるぞ!? それほどまでに、あれを倒したかったのか!?」


 アルヴィも知っている。マギステアの国宝であり、切り札の一つである宝具『奇跡』。かつて英雄セシルと共に戦い、人の身でありながら龍脈の力を吸い上げて聖なる獣と化した聖女イリス。その力を賢者マギが閉じ込めたという、まさに奇跡の道具。

 それを使えば、ひとときだけ聖女イリスの力を手にできるが、必ずその命を落とすことになる呪われた力。奇跡と呪いなど、紙一重だ。



―――アルヴィよ。予定がかわった。巫女は放っておいて良い。だが、聖なる獣とあのドラゴンは確実に殺せ。次の戦いに出張られては困るからな。


「む、ムジカ様」


 アルヴィの脳内に突如としてムジカの声が響いた。

 途端に彼の腕に付けられていた金色の腕輪が震えはじめ、段々とひび割れていく。


「……防護器が」


―――アルヴィ、そなたも獣となれ。どれ、そなたの身体が龍脈の魔力にあてられてやすくなるよう、私が調整してやろう


「良いでしょう。ムジカ様。この命、我等の崇高な使命の為とあれば喜んで捧げましょう」


 次の瞬間、にっこりと笑った彼の顔は、ブクリと醜く膨れ上がった。



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