第4話
「んふふ、泣き続けて少し腹が減ってきたんじゃないかい? 私達も、この美しい景色を眺めながら昼食にしようじゃないか」
彼女は丁度よい木陰に腰をおろすと、先程と同じように僕を太腿の上に乗せて荷物を漁り出す。
しばらくすると荷物の中からいくつかのパンと乾燥した肉が出てきて、僕にもそれがちぎって渡される。
「誰かと食事を共にできる。同じ食を楽しむ仲間がいる。こんな幸せなことって、中々無いよねえ」
『はい……本当に』
肉はともかく、この魔物の身体でパンなんて食べられるのかと思ったが、硬いパンを口に含んでみるとこれが中々食べられる。
味覚も少し変化があったのだろうか。人の時の味覚に近付いてきているのか、噛みしめるたびにちゃんと甘みを感じるし、鼻から抜ける香ばしさも心地よい。
「一人じゃない時間なんて久々だから、私も少し不思議な気持ちだよ」
『ニニィ、ずっと一人ぼっちだったの? あまりそういう風には見えないけど』
海を眺めながらそんなことを呟いたニニィに、思わずそんな言葉が飛び出た。
ニニィは多少ずれているところはあるけれど、美人だし性格だって悪くない。今日出会ったばかりの短い付き合いだけど、弱い魔物の僕がわりとあっさり心を開くぐらいには良い人だと思う。
だから、そんなニニィが一人ぼっちだったというのが信じられなかった。
「うーん、まあキミも最初言ってたみたいに年齢を気にする人って多くてね。ちょっと、化け物扱いされたりとか。他に寄ってくるようなのなんて私の身体目当てだし、そんな奴らこっちから願い下げさ」
『そうだったんだ。なんか、聞いてごめん』
「良いのさ。今は、『キミ』がいるだろう? セシル君」
彼女は妖艶に笑い、両手で僕を持ち上げてぎゅうと抱き締めた。
柔らかな2つの山に包まれて男としては役得だが、一匹の魔物としては正直苦しいしやめてほしくもある。けど、コロコロと雰囲気を変える彼女を見ていると何処か不安定で、心配で、僕は大人しく彼女の抱擁を受け入れた。
「キミを見つけた時、ほんとうに嬉しかったのさ。久々に話の通じそうな奴がいるってね」
『……僕も、ニニィに会えて良かったよ。きっと、一人だったら帰り道もわからずに死んでただろうし』
「ふふふ、キミは現金なやつだなぁ。わかりやすいのはキライじゃないけどねえ♪」
故郷に帰る旅に付き合ってくれるというから共に旅をすることになったけれど、この関係は少し危険かもしれないな。なんて、大抵危ないと思った時はもう遅いものだ。
しばらくは、この居心地の良い危うさに身を任せてみても良いかもしれない。
「さぁて、ぼちぼち今日の寝床に向かうとするかねえ」
『寝床……今まで葉っぱの上とか石の影が寝床だったから、懐かしい響きだ』
「おや、そういえばキミ、水中にいなくても平気になったんだねえ」
『え? ああ、確かに……』
自然と陸上で過ごせていた事で今まで気付いていなかったのだが、いつの間にか陸上で長時間過ごしても平気になっている。
そりゃあ肺だって成長と共に発達してきたのだから陸上で過ごすことも今までだって可能だったが、呼吸に上がる以外であまり陸上に向かおうという意思が湧いてこなかった。
不思議なものだが、これも一種の本能という事なのだろうか。無意識に水中から出ることを忌避していた気がする。
それが、今度は無意識に陸上で生活をしているのだから本当に生命とは不思議なものだ。野生の環境において、自分がどんな生き方をするべきなのか自然と理解していくものなのだろうか。
「一応、水竜だから水棲種のようだけれど、まあ竜にもなれば生活環境なんて選ばなくなってくるから、こんなものかねえ」
『本当に、強くなってたんだな、僕』
「ンフフ。イノリから水竜にまで進化しているんだから当然さ。逆に、たったの数ヶ月でそこまで進化するなんて、どれだけ死にかけるような目にあったのか気になるねえ」
『それは、すぐ死にそうになる種族でしたし……』
まあ、水竜になった今も骨格自体に大きな変化は無いし、くくりとしては両生類のようなものなのだろう。鱗が出来たことで爬虫類に若干近付いている感じもあるが。
一応、今も水中での長時間の活動は普通に行えそうな感覚は、自分でもなんとなくわかる。だから、今はとりあえず僕の種族は両生類と言うことで。
『ところで、寝床って何処に行くんです?』
「ふむ。それはねえ」
彼女は立ち上がると、スッと砂浜の遠くに見える山の向こうを指差した。
じっとよく眺めてみると、僅かに山のかげに灯台の先のようなものが見えた。
「あそこにねえ、小さい漁村があるのさ。冒険者酒場もたしかあったはずだから、そこの二階の宿屋に泊まるよ」
『へえ……って、あれ、僕そこ入って大丈夫?』
「だーいじょーぶ。へーきへーき。大人しい魔物をペットにすることなんて珍しくもないんだから。ま、素材目当てで狙われないとも限らないけどねぇ」
その言葉に鱗がぞわりと逆立つ。
そういえば、僕は水竜になっていた。ただのイノリなら誰も見向きしなかっただろうけど、今の僕はもしかしてそれなりに貴重な素材なのでは……。
『ちょっ! 僕人間に襲われたりなんてしたらすぐ死にますよ!』
「ま、装飾品にされないように私が守ってあげるから。感謝しなさいよ〜」
『ニニィさん! 僕行きたくないです!』
「あ、今『さん』付けたな〜。暫く口きいてやんなぁい」
『ニニィさ、あ、ニニィ! ごめんなさい、後生ですからぁ!』
ニニィさんと出会って少しは平和な旅ができるかもしれないなんて思っていたけれど、結局死の危険はつきまとい続けるらしい。
自然界では天敵から餌として命を狙われ、人間界では素材目当てに命を狙われる。魔物生とはなんと厳しいのかと、改めて実感しつつあった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「セシル、いなくなっちゃった……」
中身の寂しくなった水槽を眺めながら、小さい息子は悲しそうにそう呟いていた。
元々は水槽に二匹いたイノリのつがい。一匹は大きなオスのルリイノリの『セシル』で、もう一匹は小さなメスのイノリの『イリス』。
今は、すっかり弱ってしまったイリスしか居ない。
日頃から魔物のペットがほしいと言っていた息子を家の水田へと連れて行き、そこでイノリを探したあの日。
ここらでは見たことのない大きな魚を相手に勇敢に戦っていたイノリを息子は見つけ、共にいたイノリとまとめて捕まえてきたのだ。
息子はそのオスのイノリに英雄『セシル』の名前を、オスのイノリに寄り添っていたメスのイノリに妖精姫『イリス』の名前をつけて大切に世話をしていた。
正直、すぐに飽きて世話をさぼるかと思っていたのだが、あれほど大事にするとは父親として思ってもいなかった。
「イリス、さみしそう」
「ああ、そうだな」
「セシルがいなくなっちゃったから、だよね」
「……ごめんな。お父さん、セシルは守れなかった」
想像よりもずっと数が多かったモノハウンドの群れ。隣の家と協力して迎え撃ったが、逆に喰い殺されそうになってしまった。
そして戦いの最中、イノリの入っていた水槽もひっくり返され、小さなイノリ達は水中から放り出されてしまったのだ。
「むしろ、お父さんの方が助けられたのかもしれないよ」
自分達は負けかけていた。だから、突如として飛び出してきたルリイノリには本当に驚かされた。
軽快な動きでモノハウンド達を翻弄し、イノリとは思えないほどの完成度の水魔法を駆使して着実に傷を与えていた。お陰で三匹のモノハウンドの注意がセシルに向き、村の衛兵の応援が間に合った。
そして、リビングに入っていった三匹のモノハウンドも衛兵によって掃討されたのだが、モノハウンドに立ち向かったセシルの姿はもう無く―――
「パパ。セシル、帰ってくるかな」
「わからないけど、あんなに強いイノリなんだ。きっと帰ってくるよ」
今は生き残れた事に感謝しつつ、涙を流す息子の肩を抱き寄せた。
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