第5話





◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆



 ニニィの荷物の上に乗っかったり、彼女と並走しながら進み続けて小一時間。日も傾き始めた頃に、僕とニニィは小さな港町に辿り着いた。


 小さいとは聞いていたが、本当にこぢんまりとした町だ。

 数軒の民家と、例の冒険者酒場っぽい大きな建物と、町役場らしき大きな建物と、そして倉庫と小さな船着き場と灯台がある。そんな町だ。


 夕焼けに照らされた町はノスタルジックな雰囲気を醸し出して、初めて訪れる町だというのに故郷に帰ってきたような気持ちになる。


 けれど、今の僕はそんな穏やかな気持ちに浸っている余裕は無かった。


『ほ、ほんとに行くの?』

「そりゃあ行くでしょ。私もお風呂入りたいし、あったかい布団で眠りたいしねえ」

『そ、そりゃあニニィはそうかもしれないけど』

「まあね。けどキミだってそんなに怯えなくても大丈夫だから。私強いって言ったでしょ?」

『ううう、信じてますからね』

「わっ、私信頼されちゃった♡」

『ふざけないでくださいよ、もう!』


 こちとら妹と再会するまでは絶対に死ねないのである。

 生き残るためにも出来るだけリスクを避けたいと思うのはそんなに贅沢な話だろうか。


 いや、やっぱり贅沢かもしれない……。

 そもそも自然界で暮らしていれば常に死が隣合わせなのだから。周りは天敵まみれでも、今の方がずっとましだ。


「それじゃ、行こっか♪」

『…………はい』


 あまり乗り気では無かったが、離れないようにとしっかり荷物にしがみついた。









「お前らぁぁぁ、今日は俺の奢りじゃああ!」

「「うおおおおお!」」


「明日は何処に依頼を受けに行こうか」

「北上していって、ホワイトボアの依頼でも狙ってみるのはどうだ?」

「ホワイトボアか。結構実入りがいいんだよなあれ」


 ニニィと共に冒険者酒場の扉をくぐる。

 夕暮れの冒険者酒場は仕事終わりの冒険者達で賑わい、美味そうな料理と酒の匂いで充満した空気は特有の熱気を帯びている。


 皆それぞれの会話に夢中で、酒場に入ってきた僕達に興味を持つような人もおらず、ニニィは建物の中央を通るようにに雑に敷かれたカーペットの上を歩いてカウンターへと真っ直ぐに向かった。


「おねーさん。上の宿、空いてる? 私と小型の魔物一匹お願いしたいんだけど」


 カウンターには酒場とは別で受付の女性が座って待機しており、歩いてくるニニィの姿を見るとすぐに受付を始めてくれた。


「お一人様とペットの小型の魔物が一匹ですね。お一人様向けのお部屋がいくつか空いてますが、どこか希望などはありますか?」

「ふぅン。じゃあこの海向きの部屋でお願いね。あ、あと食事も部屋に持ってきて」

「はい、承知いたしました。お食事はいつ頃お持ちすれば宜しいですか?」

「19時くらいで頼むよ」



 部屋の鍵を受け取るとすぐに二階の宿スペースへとあがった。

 いつ狙われるのかとピリピリしていた僕だったが、この様子だと平気そうだ。僕が狙われるだのと言っていたのは、ニニィのちょっとした脅しのようなものだったのかもしれない。





「うゥーン、田舎町の宿の割には結構綺麗にまとまってるじゃあないか。久々に来たけど、段々良くなってきてるねえ」


 部屋に入るとすぐ、彼女は荷物を放り出してベッドに倒れ込んで大きく伸びをした。

 僕は荷物が放り出されると同時に飛び上がり、未発達な羽を羽ばたかせての僅かな飛行の後、窓際へと飛び降りる。夕暮れの時間は随分と短いもので、窓から眺めた町と海はすっかり闇に包まれて、灯台の明かりがその闇を鋭く斬り裂いていた。


 一階の酒場はあれだけ賑わっていたというのに、二階の宿スペースは落ち着いて過ごす事が出来るくらい静かで、僅かにきこえてくる喧騒は遠くの世界のことのように感じられた。


「セシルくぅん、こっちにおいでよ」

『なんです、ニニィ。僕なんか抱っこしても温かくはないですよ』

「いいからー、はーやーく。女の子は待たせちゃいかんぞお。モテないぞ、キミぃ」

『わかりましたよ、今行きますから』


 窓の縁から床へと飛び降り、マットレスをぼふぼふと叩いて催促する彼女の元に歩いて向かう。ベッドの縁までつくと、ジャンプしてマットレスの上に飛び乗った。


 ベッドの上ではニニィがだらしない格好でひっくりかえっていた。ただでさえ危なっかしい格好をしているというのに、色々と溢れそうで見ていて不安になる。

 タオルケットぐらいならかけてあげようか。


「なんだい、そのビミョ〜な表情は。失礼なことでも考えてないかい?」

『いいえ、全く。それより、用事があって呼んだんでしょう。どうしたんです?』

「いやぁねえ、キミ、元人間だって考えたら私も色々と考えるところがあるわけだよ。その身体になって、苦労したこととかあっただろう?」

『まあ、最初の頃は特に。今はもう慣れちゃいましたけどね』


 そういえば、イノリになってしまったはじめの頃は、ただ移動するだけでもひどく苦労したものだ。

 なんせ両手両足が存在しなかったのだから。しかも、いざ手足が生えてくれば、今度は手足のある身体に違和感を覚える始末。

 歩く感覚や泳ぐ感覚を慣らすのには結構な時間がかかったし、声帯も言葉を話すのには向いていないから魔力を使って会話するテレパシーのようなものでしか会話できない。


 それに、ニニィは特別だったが、人間と会話が出来ないのがかなり辛かった。人と面と向かって会話が出来れば、それこそ世界がぐっと広がる。

 この世界における常識であったり、生活に必要な基礎的な知識だったり、生活圏そのものの情報だったり。そういうものを知る機会が、この身体によって失われてしまっていたのは結構な不満点だ。


「その身体でいいって言うなら別に構わないのだけど、人間の身体になる方法、無くもないよって事を教えたくてね」

『えっ、人の身体に戻る方法が、あるんですか!?』

「正確に言えば、魔法それっぽく姿を変えるってだけなんだけどねえ。だから人に戻れる訳じゃあないよ。その上、変化魔法はかなりの高等技術だから、変化魔法の練習に入るまでだって時間かかるよ。それでも良いなら、せっかくだから、私が魔法を教えてあげようか」

『お願いします! 是非!』


 魔物の身体で不便な日々を今まで過ごしてきていた僕にとって彼女の申し出は渡りに船で、食い気味に僕は彼女に頭を下げた。

 別に人間そのものに戻れなくてもいい。姿かたちだけでも人間になって、人として認識されるようになれば良い。


「おやおや乗り気だねえ。いいよいいよ、やる気があるのは良いことだぁ」


 彼女はニヤリと笑うと、ベッドの上をごろりと転がりながら起き上がった。そしてベッドから立ち上がると、さきほど放り投げたばかりの大きな荷物の中をあさり始める。


「えーっと、どこだったかな。魔法のやつ魔法のやつ………んーっと、あっ、あった」


 彼女が荷物の奥から引っ張り出したのは、古ぼけたやけに分厚い本。カバーに編み込まれた金色の装飾や、埋め込まれた宝石などが、それが結構な年代物である事を雄弁に物語っていた。


「これ、読める?」

『え、でも僕この世界の文字なんて……あれ? 読める。なんでだろう』

「読めるなら上々。難しいこと考えずに、まずはこの本の50ページまでをじっくり読み込むことだね。魔法の扱いについての基本はぜーんぶ、ここに書いてある。キミも、ページめくるぐらいなら出来るだろう?」

『はい』

「うんうん。それじゃ、私はお風呂入ってくるから頑張っててねえ」


 ニニィはそう言うと、用意されていたバスタオルを引っ掴んで風呂場へとヒョコヒョコ歩いていった。

 残された僕はベッドの上で渡された本を開いてみる。想像していたような、細かい文字がびっしり、といった内容でもない。ところどころに挿し絵が挟まれており、説明文それぞれに対応してどういった事が起きているのかがわかりやすいように図解されていた。


『よおし、とりあえず、やってみるか』


 風呂場から聞こえてきた水音がスタートの合図となり、僕はその本を読み始めた。



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