第6話





『えっ、あれってそういうことだったの。勝手に属性が付与されたと思ってたけど、やっぱり身体のせいだったのか』


 魔法についての本を読み始めてから、何ページか読み進んだ頃。

 最初の数ページは魔力についての説明が続いた。これについては概ね知っていた通りだ。

 要約すると、『魔力とはほぼ全ての生物が持っている、あらゆる物体や現象の源となる力であり、人間や魔物は自らの持つこの力を魔法という形で引き出すことで、魔力を実体化させて使うことが出来る』といった内容。

 魔力は全て生物が持っていると思っていたから、ほぼ全て生物、と言うところが少し意外だったが、まあだいたいは知っていた通りだった。


 問題はその後の部分だ。

 魔力の説明の後に、さっそく魔法により魔力が実体化する仕組みについての話に移ったのだが、これが中々に興味深い。



 どうやら、魔法の発動の際に魔力は魔法という『枠』を通り抜け、実体化する時の『属性』『形』『規模』などの条件を決められるらしく、その条件を設定させる部分が魔力操作の熟練度、つまり能力でいう『魔術』に相当するようだ。


 今まで僕は、この身体の部分を活かして魔法を使いたいと考えながら魔法を使っていたのだが、そんな訳だから魔法の細かいところなんて考えてはいなかった。

 だと言うのに魔法がちゃんとした形として現れたのは、身体構造をそのまま魔法の『枠』として使用した結果だという。


『つまり、口を枠にすると水属性のビームみたいな条件になって、手を枠にすると風属性の爪になる。それで、皮膚を枠にすると毒属性の液体が滲み出てくる、と』


 身体に適した能力が決められているといえば聞こえは良いが、相手からすれば予想通りの魔法しか出てこないと言う事。

 そもそもこの魔法の『枠』の組み方を知らなかったのだから、これでは魔法の初歩の初歩から進めない訳だ。




「どうだいキミ。どれぐらい進んだかな?」

『あ、ニニィもう出たんだ……って、ちょっ!!』


 いつの間にか水音も消えて静かになっていて、声がした方を振り返るとバスタオル一枚で半裸のニニィが立っていた。

 昼間の冒険者の格好も目に毒だったが、今の格好はその比ではない。たった一枚のたいして大きくもないバスタオルは彼女の身体を隠すにはあまりにも小さく、少しでも身体を動かせば見えてはいけない部分が見えてしまいそうになる。


 慌てて僕は彼女から目をそらして本にかじりつき、大声で叫んだ。


『なんで、あなたはそんな無防備なんですか! 僕が元人間で、男だって知ってるでしょう!』

「ええ〜、別にいいじゃないか減るもんじゃないんだし。それに今のキミが私にどうこう出来るなんて思ってないからねえ」

『そういう問題じゃないんですよもう! なんで、この人こんなにずれた感性してるんだよぉ……』


 ニニィさんは色々特別だとわかってはいたけれど、いちいち危うくてこちらの心臓が持ちそうにない。

 今だって、心臓がドクドクと激しく脈打ち、息苦しいくらいだ。女性への免疫が無さすぎるというのも中々考えものである。


『そういうの、他の人にもしてたりしないですよね……』

「するわけ無いだろう? 訳あってこの200年と少しずうっと独り身なんだ。それとも何だい、私の裸体を見たかもしれない何処かの誰かさんに嫉妬でもしたのかい? 可愛いねえ、キミは」

『んなっ、そういう訳じゃ。……はあ』


 前屈みになった彼女が僕の顔をじっと見つめてくる。

 目をそらそうとしても視線の先を追いかけてきて、前屈みになった事で更に強調された彼女の胸がチラチラと見え隠れする。これは、おそらくわざとやっているのだろう。僕の平静を乱したいのか知らないが、両生類相手に色仕掛けなんてやはり彼女は変人だ。


 これではらちがあかないと諦め、彼女の瞳を見つめ返すと、少し目を細めた彼女の整った顔が視界いっぱいに映り込む。

 普段の彼女の透き通るようなガーネットの瞳は影を含んで少し濁り、血のようなどろっとした粘度を纏い僕の心の隙間に入り込んできた。


「ふむふむ、ちゃあんと読み進めているようだねえ。魔法の基礎の行程はとても大事なところさ。あとで私が手取り足取り教えてあげよう。じっくりとね」

『ニニィ。なんか、怖いですよ』

「愛っていうのはね、多少重いくらいが丁度よいのさ」

『愛って、僕ら今日出会ったばかりでしょうに』

「でも、私の旅の仲間で『愛弟子』、だろう?」


 確かに愛弟子では、あるかもしれない。

 魔法を教わることにはなったし。


『ニニィって、けっこう距離近いですね』

「ふうん、どうしてだろうねえ?」

『ええ、ニニィの事でしょうよ』

「ンフフ、まあ着替えてくるから続きでも読みながら待ちたまえ。食事が来るのを待ちながら魔法の練習といこうじゃないか」


 離れ際に彼女の細くなめらかな指が僕の羽の皮膜をつーっと撫でていった。くすぐったいような、身体の内側を弄られるような何とも言えぬ感覚に鱗が逆立つ。

 いちいち僕の心を掻き乱すような行動をする彼女に、僕は心の中でひとりため息をついた。







「さあて、魔法の特訓を始めようか。一応、キミも魔力を使った身体強化と、身体構造を使用した簡単な魔法は使えるんだろう?」

『ええ、一応は』

「なら今からやる事はそう難しくはないハズさ」


 寝間着に着替えてきた彼女は僕の隣に腰を降ろすと、指を軽くふりつつ短く呪文を唱えた。


「【ともし火メアー】」


 すると指先からライターほどの小さな炎が飛び出し、ゆらゆらと揺らめきながら空中で燃え始める。さすがに鮮やかなものだ。きっと最も簡単な魔法の一つなのだろうが、無駄のないその動作には芸術的な美しさすら感じる。


「今、私は魔法を使ったわけだけど。当然ながら人間の手をそのまま使ったんじゃあ火は出てこない。さて、私は今どうやって火を出せるようにしたか、わかるかな?」

『? その『枠』ってやつを作ったんじゃないのか?』

「そうそう正解。じゃあその枠はどこに作ったんだろうねえ」

『え、何処って、それは』


 先程まで読んでいた本には、『枠』を作ることで魔法の性質を決めるとあったが、何処にどうやってその『枠』を作るかはまだちゃんと読めていなかった。

 というか、なぜそもそも魔法の発動に呪文の詠唱が必要なのか、僕はまだ知っていない。


「わからないのかな」

『んんん……わからないです』

「ふむ、答えはここだよ。指先さ」

?』


 彼女は指先から出していた炎をふっと消すと、今度はまた軽く指を振って指先から小さな氷の塊を出現させて宙に浮かべてみせた。


「今、私は指先から魔法を発動している。枠を決めずに魔法を使えば、身体構造に依存した魔法が発動する訳だが、これを私は魔力操作によって書き換える事で使用する魔法の選択をしているのさ」

『元々ある枠を作り直しているってことなんですね』

「そう、よくわかっているじゃないか。だが、人それぞれ、魔物だって身体の構造には個体差というものがある。それの調整を一人一人が行うのは難しい。だから魔法には【呪文】があり、詠唱することで魔法の発動の補助を行っているんだよ」

『なるほど……』


 今までの僕の魔法は見様見真似のものだったから、なんとなくで【呪文】を唱えていたのだが、そうした言葉の一つ一つにも理由はちゃんと存在していたようだ。


『あれ、でも僕の魔法の呪文って【個体検査】以外は全部適当に名前つけただけのやつじゃ……』

「うーん? それたぶんなんの意味も無いやつだね。こう、気持ちの問題?みたいなノリの。ちゃんと魔法が使えていたら、一部の特殊な魔法を除いて能力を見たときに『魔法系統合』で情報が来るからねえ。なんとなく気付いてはいたけど」

『うっ、恥ずかしい……』


 思春期の恥ずかしい記憶を覗かれたようで、顔から火が出そうになる。あれだけ「魔法使ってます」と言わんばかりに呪文を唱えていたのに、全部特に意味のないものだったなんて。


「ふふふ、誰にでも若気の至りというものはあるものさ。そう気にしない事だよ、キミぃ」

『僕、前世も合わせたらそれなりに年行ってると思うんですけど』

「おっとお……それは、まあそういう事もあるさ」

『ううぅ……』


 魔法の特訓は、さっそく自らの行いから心に傷を負うという前途多難な始まりになってしまった。これから僕はちゃんとやっていけるのだろうか。



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