第12話
◆◆◆◆◆
セシルが央海の島にて療養していた頃と、時を同じくして。
フランクラッド西部。
樹海の民と呼ばれるエルフの一族が住まう森に、エルフの女、エルフの男、ドワーフの女の三人組が訪れていた。
若いエルフの女は古風な装飾が目立つ白いローブに見を包み、他二人は布の旅装に複数のプロテクターを装備した、冒険者などによく見るタイプの服装をしている。
そんな三人組の一人。
若いエルフの男『オルステッド・ミトス・レイナード』は、すっかり荒れ果てた森の木々を見上げて呟いた。
「酷い有様だな。紛い物の龍神ですらこれだけの被害を出すとは、いったい何匹のドラゴンをこの世界に放ったのやら」
「あの御方はそれだけマギステアの戦力を危惧していたのですよ。それに、世界の各地でこのような騒ぎが起きれば、各国はイヴリースとマギステアの争いに介入するだけの余裕も失われる。そういう事です」
「………良かったのかラトリア殿。私は構わないが、今の貴女は主君はおろか故郷すらも裏切っている」
オルステッドの言葉にラトリアと呼ばれたエルフの女性はただ微笑みで返し、彼の問について言葉を紡ぐことは無かった。
ただ、この地で起きた事件の中心地である樹海の民の里の中央部を指差してオルステッドとドーランの二人に向けて言葉を放つ。
「あの人が居るとすれば、恐らくあの辺りでしょう。滞在しているタイミングに合っていることを願うばかりですが」
そうしてまた歩き始めた彼女のあとをついてゆくオルステッドとドーラン。オルステッドは先をゆくラトリアの背中を眺めながら、少し前の事を思い出していた。
『ああ゛〜、いってえよぉ〜』
『大人しくしないか、綺麗に包帯が巻けなくなるぞ』
『でもすげえ痛いんだってー』
『当然だろう。一回の治癒魔法では治らんほどの傷を負わされたのだ。その足が失われなかっただけマシと思え』
『ううう〜。あの女、強すぎだってぇ。あれで下から二番目とかわけ分かんねえよお』
第五聖天ウルド・バーンズとの戦いを終えたのち、彼女を捕縛することに失敗した二人は召喚士の里で療養していた。
強力な風属性魔法を操るウルド・バーンズ相手にオルステッドとドーランの二人は善戦したが、痛み分けに終わってしまったのだ。
特にドーランが負った傷は深く、一度の治癒魔法では治りきらないほどであり、千切れかけた足を治すためにオルステッドによる治療を受けていた。
『てかさあオルステッド。お前そんな喋り方だっけ』
『………これが素だ。近頃は碌でもない連中との交渉事も多くてな、やさぐれた雰囲気を演出していたほうがやりやすかったんだ』
『それが染み付いたままだったってか。変なの』
『ほら、巻き終わったぞ。2回目の治癒魔法をかけるからじっとしてろよ』
『はーい』
ベッドの上に横たわっているドーランは、怪我を負っている足に負担がかからないようにじっとする。そんな彼女の脚の上にオルステッドは手をかざし、治癒魔法をかけていく。
こうして形を安定させてから治癒魔法を重ねがけしていくのが、大怪我を負ってしまったときの治療方法だ。治った後に、妙な異物感が残らずに済む。
その時、二人が滞在している部屋の戸が外から叩かれる。
何者かの訪問に気付き、丁度治療を終えたオルステッドは立ち上がった。
『すみません。オルステッドさん、ドーランさん。お二方にお話があって来たのですが、今よろしいでしょうか』
『その声は、ラトリア様でしたか』
声で戸を叩いた主が何者か気付いた彼は、部屋の戸を開けて彼女を部屋の中へと通す。
部屋の中では、オルステッドによる治療を終えて、足がちゃんと動くかどうか、ドーランがベッドの上で足をぶらぶらと動かして試していた。
『ラトリアさん、久し振り〜』
『こら、ドーラン。目上の方に対しての口のきき方がなっていないぞ。申し訳ありませんラトリア様、彼女はあまり良い環境で生活してきた訳ではないので……』
『ふふ、構いませんよオルステッドさん。お久しぶりですね、ドーランさんも無事な様子でなによりです』
『ラトリア様、ひとまず席を用意したので此方へ』
『ああ、ありがとうございます』
そう広くもない部屋だが、三人が集まって話していられるだけの余裕は十分にある。オルステッドは部屋のテーブルをベッド近くまで寄せ、そして三人が顔を合わせて会話ができるように椅子を並べた。
テーブルの上に棚から取り出してきた安物のグラスを3つ並べ、魔法を用いて丁度よいサイズの氷をグラスに落とす。ポットに入れておいた茶をそのグラスへとそれぞれ注げば、カランコロンと風鈴のように涼し気に鳴った。
『どうぞ、麦茶です。もう暑い季節ですからね』
『わあ、ありがとうございます。麦茶なんて外に行かなければ買えませんから、嬉しいです。私、これ好きなんですよねえ』
少女のように喜ぶ彼女に対して、オルステッドは平静を装いながらも怪しみの目を向ける。それには、とある理由があった。
ラトリアという女は、この召喚士の里においてかなりの地位のある者だ。それゆえに、ムジカの側近として身の回りの世話や、彼が里に不在の間の大召喚士代理を任されている。
一方でオルステッドとドーランの二人といえば、ムジカの思想に賛同して集まってきた亜人達の一部ということになっている。まあ、当のオルステッドは建前として、ドーランは金目当てでやってきただけであり、彼の思想なんてものに微塵も興味など無いわけだが。
そんな薄いつながりというだけあって、当然ながら彼からの信頼なんてものは殆ど無い。一応、腕を買われて彼の護衛として様々な場所へと付き従う事はあれど、所詮は切り捨てても痛くも痒くもない使い勝手の良い駒だ。
もちろん、そんな二人とラトリアの接点なんてものは無いと言っても良いものであり、互いに顔を合わせたのも最初にこの召喚士の里に連れてこられた時依頼である。つまり、一度だけ、ほんの少し会話をした程度の仲。
そんな二人に対して突然話などと、彼女はいったい何を考えているのか。詰まるところ、気味が悪く感じたのだ。
『ふう、美味しい麦茶をありがとうございますね。さて……そろそろ本題に入ろうと思うのですが、このお部屋は大丈夫ですか?』
一口、麦茶で喉を潤した彼女は部屋の壁へと視線を向けて、人差し指を口に当てた。そのジェスチャーを目にして、オルステッドは部屋に防音の魔法をかける。
『……他の人に聞かれたくない内容とは、穏やかではないですね』
『ええ、まあ』
ラトリアの表情にほんの少し、影が差す。
だが、すぐに彼女は顔を上げると、二人の、特にオルステッドの目をじっと見つめて力強く言葉を放つ。
『単刀直入に言います。私と共に里の外へと出てはくれませんか? 私の護衛として』
『…………正気、ですか?』
『正気。ええ、正気と言うよりは、本気ですよ』
思わず、オルステッドはラトリアへと睨みつけるような視線を送った。ラトリアはこの召喚士の里の大召喚士代理も勤めている。そんな立場から、そうやすやすと里を離れられる立場ではないのだ。
それに、召喚士という存在自体、外の世界では既に衰退した存在であり、最後に外の世界に残された召喚士の一族である『紅樹の民』も百数十人ほどしか生き残っていない。召喚士を知るものは外の世界にはもうほぼ残っておらず、彼等からすれば異質な力を使う召喚士は迫害を恐れて里の外へと出ることは許されない。
『今、ムジカ様、いえ、大召喚士カジム様はマギステア攻撃のため、イヴリースの代表としてアルバータ大森林へと向かわれています。彼の側近達も、龍神の確保の為に出払っている。大召喚士が不在の今、あなたは里から離れることなど許されないはず。それでも里を離れると言うのであれば、それは明確な裏切り行為になります。それを踏まえてもう一度お聞きしますが、今あなたは正気ですか』
大召喚士カジムに最も近い召喚士、ラトリアがなぜそのような裏切りを働こうというのか。
オルステッドは問う。
今一度、彼女の真意を確かめる為に。
『正気です。ですから、まともな接点も無かった貴方がたにこうして頼んでいるのです。貴方がたならば、そうしてくれる余地が残っていると踏んだ上で。私とともに、大召喚士カジム様を裏切り、あの方の望みを阻止するのです。何千、何万という命が失われる前に』
彼女の言葉、口調、息遣い、瞳。
オルステッドはそうした振る舞いや仕草のそれぞれを確認し、自身の経験に基づいて判断を下す。
この女は本気で、世界を壊せる怪物を裏切ろうとしていると。
ふと、目を落とすのは自身の腕にも装着された金色の腕輪。これがあれば、龍脈の流れる土地であっても亜人は聖獣化せずに済む。もちろん、限界はあるが。
ラトリアはイヴリースの兵士達が聖獣化する事を知って、彼を裏切ることを決めたのだろう。あれは変化した亜人たちを死に至らしめるだけでなく、暴走した彼等によって被害は拡散し続ける。
『勝算は?』
『ありません。カジム様は不死の身体を持っていますから。ですが計画を台無しにするだけで良いので、叩くべきはカジム様が見つけた龍神です。龍神を通してカジム様はマギステアの龍脈を支配するつもりなのでしょうが、肝心の龍神が死んでしまえば計画は破綻します』
『だが、龍神は件の龍神もどきよりも遥かに強いと聞く。私達では倒せないでしょう』
『……オラクルで、その龍神もどきに突然変異が現れたのが確認されたそうですね』
『死ねずのニニィが連れていた……彼女らの協力を得るつもりか。あの女の性格からしてあまり期待出来そうにないが。それに、龍神もどきの方も行方不明になったと聞いているが』
『ですから、探すのですよ』
『味方をしてくれる保証もないのにですか』
『では、マギステアの六大聖天を除いてカジム様の率いる戦力に対抗できる者がこの世にどれだけ居るか、教えて頂けますか?』
その問いにオルステッドは何も答えられなかった。
フランクラッド王国の軍と同規模の軍隊が3つほど集まれば、対抗できるかもしれない。だが、イヴリースとマギステアの戦争にわざわざ首を突っ込む口実がある国なんて無い上に、表立ってマギステアに協力したい国はほとんど無いだろう。どのような理由であれ、行き過ぎた亜人弾圧はそれだけ他民族からの反感を買っている。
だからと言って、カジムの凶行を見てみぬふりしていられたならば、
『なるほど、結果として一番手っ取り早く戦力になりそうなのが死ねずのニニィと龍神擬きだったと』
『それと、貴方がたです。元・フランクラッド最強の兵士とミスリル等級の冒険者。腕は立つけれどカジム様からの信用は薄く、浮いた駒。味方に付いてくれるか、試さない手は無いでしょう?』
『まったく、ご尤もですね』
これ以上、ここに居ても新しい情報は手に入れられないだろう。むしろ、当初危惧していた以上の危険をムジカ・ニグ・デアロウーサが有していた事が判明しただけでも任務としては上々。
二人の話がよくわからないといった表情のドーランへと視線を向ける。あとは、一応現時点での相棒という立場になっている彼女がどうするかだけ。
『ドーラン。確か、金の為にカジム様のもとについたのだったな』
『ん?あー、まあちょっと金が必要でよお』
『幾ら欲しいですか』
『なんだよいきなり。お前そんな大金――』
『いいから、話せ』
『わ、わかったよ。その、こんぐらい……』
指が4本立てられる。
『それだけあれば、一生遊んで暮らせる額ですね。わかりました、ならこちらについてくればその倍を約束しましょう』
『え……は、ぁ………?』
ぽかん、とドーランの目がまん丸く見開かれた。
ラトリアは何かを察したようで、何も言わずににこりと微笑んでいる。
『別に、私としてはどちらでも良いのだが』
『そ、そっち付く!なんかよくわかんねーけどさ、カジムさんやべーんだろ?だったら、お前の方についたほうが良い!胡散臭いけど!』
『そうか。だ、そうですよラトリア殿』
一先ず、これで話は成ったと彼女へと視線を戻す。
『そちらも色々と事情があるようですが、宜しくお願いしますね』
こうして、一人の召喚士と二人の傭兵は密かにカジムを裏切り、召喚士の里を出ていったのだ。
樹海の民の住まう土地。
その中でも特に多くのエルフが生活をしていた街の中心地にそれは静かに横たわっていた。
血なまぐさい臭いに、ギラギラとした鋭い鱗、ねじれた角とコウモリのような翼を持った巨体は、多くの家屋が倒壊して出来た瓦礫や木屑に埋もれるようにして死んでいた。
「滅炎龍王ネレ・パラムディア、ですか。この土地には居ない種類の魔物ですね」
「これもカジム様が持ち込んだものが成長したのでしょう。この樹海にはネーレテイアの主食になる虫が多くいますからね」
ネーレテイアは主に洞窟に生息しているトカゲの魔物だ。生息地も限られており、その多くは東の大陸のドワーフの国『ユミトモンテ』に生息している。
ネーレテイア自体は大型だが大変おとなしい魔物で、時には冒険者が従魔として調教する事もあるが、成長してドラゴンに進化すると性質が一変。獰猛な捕食者として一気に生態系の頂点へと駆け上がるのだ。
ネレ・パラムディアはそんなネーレテイアの最終進化系とされている種であり、ネーレテイアもその巨体から被食者になりにくい種である為にあちらでは頻繁に討伐隊が組まれていると聞く。
「でも、ここまで被害がでかいのは初めて見たなあ」
「ドーラン、これは貴女が一番詳しそうですね」
「ま、ユミトモンテじゃ割と有名な魔物だしな。けど、ドラゴンの割にはそんなタフな魔物じゃないから、腕のある前衛で抑えつつ魔法で袋叩きにすれば案外楽に倒せる程度の魔物なんだけど……やけに大きく育ってるね、こいつ」
彼女の言うとおり、そのネレ・パラムディアの死骸は記憶していたものよりもかなり大きい。通常の個体と比べてみても1.5倍はあるだろう。
元々、それほどタフなドラゴンではないと言っても、これだけ大きければ仕留めるのにはかなり苦労したはずだ。実際、倒したあともその死骸の処分に困っているのか、今もその死骸の周りには冒険者達が集まって解体作業が進められている。解体されたネレ・パラムディアは素材として換金され、今回の討伐に加わった冒険者達に分配されるのだろう。
「さて、この辺りに滞在してくれていると良いんだが……死ねずのニニィがまさかドラゴン一匹にそんな執着するとは、正直なところ考え難くはあるな」
「そうなのですか? 私の聞いた話では、オラクルで龍神もどきが傷を負った際に酷く動揺していたと聞いたのですが」
「まあアタシもオルステッドに同意見だなー。冒険者達の間に流れる噂でしか知らないけど、とにかく強くて怖えっていう話だし。不死身になった影響で頭まで化け物になったんじゃないかって噂もあるぜ」
「そうなのですか?私はあまり里から出たことが無いので、外の世界については想像でしか話せないのですが。聞いた限りではそんな変わった人には思えないのですけれど。むしろ、情にもろいような……」
そんな話をしながら半壊した街の中を歩いていく。
それらしい人影はないかとあたりを見回すが、ほとんどは地元に住んでいるエルフばかりだ。それ以外の人種は街が復興するまでの守りを任された王国兵や、ドラゴン討伐に参加したらしい冒険者、街の建物を建て直しにやってきた作業員達。
ドラゴンの騒ぎを聞いて、旅人の類いはこの街を避けているのだろう。自分たちのような集団は今のこの街では浮いた存在だ。
と、その時。
「あ、もしかして。オルステッド、オルステッド!」
「何かなドーラン」
「あの人。めっちゃ綺麗なヒューム!子連れだけど!」
「子連れ……?」
ドーランが指差していたのはこの街の冒険者酒場からたった今出てきた人影だった。黒髪のヒュームの女性で、狐のスロゥプと手を繋いでいる。
彼女が子連れだったという記憶は無いが、そのヒュームの女性はおおむね記憶の中にある死ねずのニニィの人相書きと合致していた。
「………龍神の巫女様」
「……………は?」
話し掛けるべきか逡巡していたオルステッドとドーラン。しかし、同じく彼女の姿に気が付いたラトリアはそう呟いて、彼女達へと向かって駆け出した。
慌ててこちらも彼女を追いかけてニニィらしき女性へと駆け寄っていく。
「やはり違っていたねえ。まあ、彼がこんな事をするとは思えないから安心した所もあるけれど。ン? 何かな、私達は今忙しいのだけれど」
「……ぁ、ぁ、うぁ」
「どうしたんだい、セレス?急に後ろに隠れたりして。見たとこ敵意は無さそうだが。なに私がついている、落ち着き給えよ」
「あ、あの!ニニィ、エレオノーラさんですよね!」
不躾に投げ掛けられたその言葉。
女性の顔がその途端に強張った。
知らない相手から突然自分の名前を呼ばれれば誰だって警戒する。いくら何でも世間知らずにも程があるだろうと、オルステッドは内心冷や汗をかいた。
まずい、このまま不用意に距離を詰めればあちらからの攻撃を受けかねない。
だが、そんな心配とは裏腹にその女性は警戒しつつも3人それぞれに視線を向け、そして口を開いた。
「ふむ……この子が無意味に他人を怖がる事は無いからねえ。恐らくはキミたちの誰かが故郷の関係者なのだろう。セレスは故郷の話を異様に嫌がるから」
思わずごくりと息を呑んだ。
彼女に敵意は無い。だが、それは私達を害の無い相手だと認識しているのではなく、そもそも警戒するほどの脅威ではないと判断したからに他ならない。
間違いない、この女が死ねずのニニィだ。
200年間、若い姿を保ち続けるヒヒイロカネ等級の冒険者。
世界最強の人類として真っ先に候補に挙がる怪物中の怪物。
「私がそのニニィで間違いないよ。どういうつもりで私を訪ねてきたのか知らないけれど、話があるなら場所を変えようか。彼についての情報を貰える事、期待しているよ」
探していた人物が、そこに居た。
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