第9話




「龍神様、もう少し左斜め方向に」

『うん。これぐらい?』

「そう!それぐらいです、龍神様!」


 数あるエルフの中でも、紅樹の民のエルフ達は特別方向感覚に優れているらしい。


 僕一人、いや一匹では海上で方角を確認する事なんて出来なかったが、ウィニアさんは僕の背中の上ですいすいと進むべき道を指し示してくれる。


 それはまるで、暗闇を斬り裂いて現れた一筋の光の道のよう。


『もう大陸が見えてきた。ウィニアさん、凄いですね!僕一人だったらこんなに早くここまで来れなかった!』

「えへへ……それほどでもぉ。とはいえ、龍神様の飛ぶスピードも凄まじいです!ここまで来るのに夕方にはなるかと思っていたのに」

『そうなんだ。あ、でもまだ降りないよね。長老さんも、マギステアは避けてフランクラッドに直接行くことを勧めてたし』

「そうですね。このまま上空を突っ切って行きます?それとも、大陸の南側を迂回していくルートもありますけれど」


 安全を重視するのであれば迂回ルートが良い。

 マギステアとイヴリースの戦争はまだ始まっていないはずだが、イヴリースの軍が国境付近まで来ていると言うこともあり、可能性は低いがあのエルフの男のように聖獣へと変化した者が出ている事も考えられる。


 聖獣は強い。

 アルトがあのブローチを使用して変身した本物の聖獣マアトは当然凄まじい力を持っていたが、亜人の聖獣化によって生じた聖獣もどきもそれに並ぶかそれ以上の力を持っている。


 元となった人間の強さによって、その強さには大きなばらつきが現れると聞いたが、戦闘の覚えがある者が変化したものであれば、どれも当然強くなるに決まっている。

 そんな化け物に集られたら、今の僕ではひとたまりもないのだ。


 だが、聖獣もどきを恐れる気持ちと同じくらい、故郷の村に帰りたいという気持ちもある。


 いや、正確には故郷に帰りたいのではなく、妹に会いたいのだ。


 また二匹で共に暮らしたい。

 ニニィ達やウィニア達に紹介したい。


 フランクラッドの治安も最近悪くなってきているらしく、小さな村が盗賊に襲われて滅んでいる事もあると聞いた。


 僕と妹の産まれたあの村が、無事でいる保証は無い。



 確認できてもいない、未知数の脅威を相手にびくびくと恐れている余裕なんて無いのだ。


『突っ切ります。姿は隠すので』

「はい、龍神様!」

『【不可視インビジブル】!』


 風魔法を唱えると、身体の周りをプリズムのような風と水の粒が集まってきて、僕とウィニアさんの身体を隠す。


 身体を覆い尽くしたそれらは、まるで生物のようにその姿を常に変化させ、周囲の色を写しながら僕らの姿を空の色に溶けさせた。




 やがて、僕らはデュレシア大陸上空へと差し掛かった。


 遥か上空から見下ろしたマギステアの国は、今のところ至って平穏だ。

 美しい自然、街並みが続いているだけ。


 街に住まう人々も、自然に生きる魔物たちも、それぞれが平穏無事に今日を生きている。


 これから戦争が起ころうなんて、思えないほどに。


「どうかしましたか?龍神様」

『いや、ただ少しマギステアの国がどんな状況なのか気になって』

「マギステア……私は、ちょっと苦手です」

『色々事情はあるようだけど、亜人を殺すことを奨励してる国なんて、嫌いになって当たり前だよ』

「……龍神様は、ヒュームについてどう思いますか?」


 ほんの少し。

 ほんの少しだけ、ウィニアさんの声が強張ったのを感じた。


 今の僕の話を聞いて、心配になったのかもしれない。

 彼女もしばらくはフランクラッドというヒュームが中心になっている国にいたのだから。


『ヒュームも、亜人も変わらないよ。どちらも普通の人間だ。僕はね、しばらくあるヒュームの女の人と旅をしていたんだけど、その人はとてもいい人だった』

「ヒュームの……」

『今は戦いのせいで離れ離れになってしまったけど、またいつか会いたい。ずっと、一緒にいたいと思えるような人だったから』


 彼女の顔が脳裏に浮かぶ。

 美しい烏の濡れ羽色の髪。

 艶のあるピンク色の唇が、楽しそうに僕の名を呼ぶ。

 初めてあった時から、僕の心を貫いたガーネットの瞳。

 抱きしめられた時の、柔らかな暖かさ。


「龍神様は、その人の事を愛してたんだね」

『……愛? そうか、愛、愛かもしれないね。けっして叶わない想いだけど』


 ウィニアさんのその言葉が、胸の中にストンと落ちた。


 ああ、僕はニニィの事を愛していたんだ。


 この魔物の身でありながら、ニニィ・エレオノーラという女性を一人の男として好きになっていたんだ。


「龍神様に愛されるなんて、その人は幸せですねえ」

『そんなこと、ないよ……』

「フランクラッドに行ったら会えるかもしれないですよ」

『会えると……いいな』


 急に胸がちくりと痛んで、寂しくなった。


 前世の僕って、こんなに寂しがりやだっただろうか。

 魔物に転生してしまった今の方が、もしかしたら心は人間らしくなったのかもしれない。


 溢れそうになる涙を歯を食いしばって堪え、僕はフランクラッドを目指して飛び続けた。






 フランクラッド王国。

 かつてこの大地すべてに広がっていた様々な人種が住まう国。


 一応、ヒュームの王族が国を総ているが、実際のところは多種族の代表が集まって国を率いている。

 多くの種族が暮らす国としては最も理想的な形で、現代まで続いている歴史の長い国だ。


 そんな国の、マギステアと面している東側にある都市『レインツィア』。


 僕とウィニアさんは、レインツィアからほど近い場所にある森の中にゆっくりと着陸した。


『一応、これで到着ですね』

「すごい……どんなに急いでも普通の魔物なら2日はかかる距離だったのに」


 空を見れば、夕焼けも終わりに近付いて、青褪めた赤色の空が流れている。


 朝に出発してこれぐらいの時間だと、だいたい8時間ぐらいは飛び続けていたのだろうか。


 そう思うと、オラクルでの戦いで吹き飛ばされてからよく生きていたものだと思う。

 アルトさんが庇ってくれたという事もあったが、吹き飛ばされてから更に泳ぎ続けていたのだから、本当によく体力が保っていたものだ。


「龍神様、お着替え用意しましたから、変身しても大丈夫ですよ」

『ウィニアさん、ありがとう』


 ウィニアさんが荷物から僕の服を取り出してくれて、ウィニアさんが目をそらしている間に僕は人間の姿に変身する。

 彼女が用意してくれた服に袖を通せば、立派な紅樹の民のエルフの完成だ。


「よいしょ……これで大丈夫。ウィニアさん、もうこっちを向いても大丈夫ですよ」

「はい。へへ……なんだか、龍神様のその格好、さまになってますね!」


 くるりとこちらを向いた彼女がニコニコと笑う。

 彼女は僕の事を龍神様と呼ぶけれど、こういう気易い感じは、一緒にいて安心する。


「僕もこの服、結構気に入ったよ。ちょっと露出多いけど。あ、そうだウィニアさん、僕の事は人の前では『セシル』と呼んでください」

「セシル……?それって、昔の龍神様と戦った」

「面白いでしょう?僕の名前、その英雄セシルから取られてるんです。僕が弱かった頃、僕の命を助けてくれた人が付けてくれた名前なんですけど」

「命の恩人が……大切な名前、なんですね」

「ええ。ウィニアさんからしたらちょっと変な感覚かもしれないですけど、ぜひそう呼んでくれると嬉しいです」


 そう言うと、彼女はこくりと頷いた。



 さて、そろそろ夜になるしレインツィアの街に行って今日は休むべきだ。


 僕とウィニアさんは森からレインツィアを目指して歩き出した。

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