最終章・永久の龍神

第1話





 数日間、全く動けない日々が続いた。

 太陽が登り、沈み、そして月が登り、沈むと代わりに太陽がまた登ってくる。

 そんな景色を、眺め続けるだけの日々。


 食事を得るために狩りをする事すらもままならず、一滴の水すらもとれず、空腹にあえぐ日々が続いた。

 だがそれでも死なずに済んだのは、この身体が強いドラゴンであったからだろうか。一週間と数日ほどが経過して、セシルは遂に再び立ち上がることが出来た。


 飲まず食わずの日々が続いたために身体はすっかりとやせ衰え、波打ち際にずっと倒れていた為に体臭は磯臭い。倒れていた間、何度死にたいと思った事か。

 だが、再び立ち上がることが出来たその日、心は意外にも随分と晴れやかだった。


 『生き残れて、良かった』と。


 照りつける日差しに晒され続けた為に、聖獣マアトとなっていたアルトの遺体はすっかりと腐った上に干からびて、見るに堪えない状態になってしまっていた。すぐにでも彼を埋葬してやりたいところだったが、今の自分がそんな作業を始めれば、今度は自分が飢えて死ぬ。


 だから、最初にやったのは狩りだ。

 海へと入り、ひたすらに小魚を食む。時折、大きなサメが現れれば容赦なく襲いかかり、軟骨ごとバリバリと噛み砕いて飲み込んだ。

 もちろん、味は酷いものだ。すっかり味覚が鋭敏になってしまったせいで、あらゆる雑味がはっきりと感じられる。だけど今はそれで充分だった。食べられるものならなんでも食べ、ひたすらに肉をつける日々。


 やっと体力をいくらか取り戻したのは、それからまた一週間ほど後。体力を取り戻した僕は、島の海がよく見える崖の上にアルトの遺体を持っていき、そこに彼の遺体を埋めて石を立てた。石の表面には爪でがりがりと削ることで彼の名前を刻み、ここに彼が眠っている事を示す。


 自分を殺しにきた相手の遺体を埋葬して、祈りを捧げて、自分も不思議な気持ちだった。


『……おやすみ』


 彼が持っていたブローチ。おそらくは、彼を聖獣マアトへと変えた道具。放って置いておくのも何だと思い、ニニィから貰った魔道具の中にそれをしまった。

 触ってみた時、不思議な感覚があった。懐かしいような、暖かさ。


『あなたに、話してなかった事が一つだけあるんだ』


 彼が眠る墓を見つめ、呟く。


 自分でも未だに信じられないし、あの記憶が本物である根拠もない。だけど、僕を進化させたあの力が、マギステアの大地を巡っているという龍脈の魔力であるのならば、龍脈に眠っていた誰かの記憶なのかもしれない。


 だけど、不思議と確信していた。

 あの記憶は『本物』で、『彼』は確かに僕を見ていたと。



『父さんが来てたんだ、この世界に』



 あの崩壊した瓦礫の街で、龍神アイオーンと思われるドラゴンに立ち向かっていた黒髪の男。彼の顔に見覚えがあると思っていた。

 戦いの中で記憶を取り戻すと共にその違和感に気が付いた。彼は僕の父さんだった。記憶よりもかなり若々しかったが、あの顔は間違いなく死んだ父さんの顔だった。


 なぜ父さんがこの世界に居たのかもわからない。

 父さんがなぜ英雄セシルとなったのかもわからない。

 龍脈と繋がって、何故あの記憶が現れたのかもわからない。


 ただ言えることは、この世界に現れた父さんと僕に何かしらの共通点が存在していた事。


『僕は、どうしてこの世界に転生したんだろうね』


 力なく。ぼんやりと墓石を眺める。

 彼がもし生きていたら、なんと言っただろうか。


 まさか、彼が恐れていた『龍神』とやらの父親が『英雄セシル』だとは思うまい。「龍神の父が英雄セシルだなどと、馬鹿な話があるか」と、苦笑いする彼の姿が目に浮かぶ。


 そう、感傷に浸っていた時だった。



 遠く西の空の先。

 ふと、誰かの声が聞こえた気がした。


 助けを求めるような、誰かの声が。


『………イリス?』





◆◆◆◆◆◆




 エルフの男、ムジカ・ニグ・デアロウーサはモリア老を始めとした側近を引き連れて、とある森を訪れていた。中間の予想通り、彼は選挙に大勝し、いまやイヴリースの指導者である。


 彼らが訪れた森は、周囲が雪の白に包まれているというのに、そこだけ青々と緑が茂る奇妙な森。

 そう、ここはアルバータ大森林。その奥地に存在している小さな森だ。本来であれば人が住めるような土地ではないが、この場所だけは陸に浮かぶ孤島のように、ぽつんとこの土地だけに暖かな空気が流れていた。


「【ウラハ・コイトヤチカ・ニヘトクカ】」


 森を進んでいたムジカはある一本の大木の前で立ち止まると、その木の幹へと手を向けて奇妙な呪文を唱えた。すると木の幹に亀裂が入り、ミシミシという音を立てて左右に開く。その内側は人工的な空洞になっており、青白く光る魔法陣がその床に広がっていた。


「いつ見ても壮観ですな」

「古代の魔法など、今知っている者がどれだけいるかもわからぬからなあ。よもやあの戦いで『転移門』すら失われるとは思わなんだ」

「しかし、そのお陰でこうしてマギステアの連中にも気付かれずに済むもの」

「ふふふ、たとえ気付いたところで入っては来れんさ。なあ」


 ムジカはふと振り返り、そして森の木々へと目を向ける。

 ムジカと共に居た側近達もまた、彼と同じ方向にちらりと視線を寄越した。


 今、この場にいる者たちは全て強者ばかり。

 冒険者の等級で例えても、一番弱い者ですらミスリル等級に等しい強さ。故に、その存在に誰もが気付いていた。


「バレていたか……」


「たった一人でよくここまで来た。だが、残念ながらここまで、だ。第五聖天ウルド・バーンズ」


 樹上から一人の女騎士が降りてくる。

 ふわりと、綿毛が舞うようにゆっくりと降りてきた彼女は、ムジカ達の目の前に立つ。


 木々の間を通り抜ける風が彼女の桃色の髪をなびかせる。森の緑の中にそよぐ桃色は、一輪の小さな華を想起させた。


「マギステアの土地に入ってきたかと思えば、探し続けてきた『里』がこんなところにあったとはな。目星はつけていたが、古代魔法を使うことが出来る者に管理されているとは思わなかったぞ」

「知ったところで里の中へは入れぬであろう。古代魔法の使い手なぞ、私の他にはの他に知らん。だが、貴様らはあやつを敵に回した。愚かよのぉ」

「龍神を倒すためだ。当然だろう」

「それが愚かだと言うのだ。調査不足、知識不足だとも」


 ムジカはくすりと笑うと、悠々と木の内側へと歩いていく。だが、ウルドはあえてそれを追うことはしなかった。

 なぜなら、敵は全て強者ばかり。それが4人も居る。たとえ六大聖天の一人といえど、勝利は厳しい。勝ち目のうすい戦いに挑むほど、彼女は愚かではないのだ。


 それに、今回の彼女の任務はムジカ・ニグ・デアロウーサとその周辺についての情報収集。彼らの討伐までは任務の範囲外だ。

 ムジカの側近二人を追っていったボリスと離れた後も、それは変わらない。



 だが、ムジカ達は彼女を見逃すわけには行かないようだった。


 二人だけ、顔のピアスが目立つ赤髪のドワーフの女と、顔色の悪いエルフの男が残る。ドワーフの女は大筒、エルフの男はレイピアを構えてウルドと対峙する。


「倒せんのかねえ、アタシ達に」

「知るか。やるっつったらやるんだよォ。逃げられる前にやっちまうのが俺らの役目だァ」


「ミスリル等級の女冒険者『爆砕のドーラン』に、フランクラッド王国の元・近衛兵隊長『オルステッド・ミトス・レイナード』か。面倒な事になったな」


 誰も知らぬ森の奥地で、戦いは静かに始まった。



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