第12話



 マギステア聖国の北端に位置しているこの森『アルバータ大森林』は、凍える寒さに強い針葉樹のみで形成された広大な森だ。生息している魔物も寒さに適応して進化してきたものばかりであり、中でも『ワーム・ヨルムンガンド』という巨大な虫の魔物は神出鬼没な上に力も恐ろしく強く、この森において特に危険な魔物として有名だ。


 基人族にとってはとても厳しい土地。

 だがしかし、豊かな土地ではなくとも生命の溢れる場所ではあったはず。


「魔物の姿がまったく見られない……あの時と同じだ。嫌な予感がする」


 積もった雪の上を駆け抜けながら、彼はひとりごちる。


 遠くからは絶え間なく爆発音と怒号が聞こえてくる。

 第8隊の騎士たちはあの音のもとにいる。






「前線を下げろ! 抑えきれなくなってきたぞ!」

「後方部隊、魔力障壁を展開せよ!」


「あひっ、ひいッ、ひゃはハハハハ!!」


 オルキスが音のもとへとたどり着いた時、10人以上の手練の騎士達はたった一人の森人族の少女によって押されていた。

 後方の部隊が魔力障壁を展開してエルフの少女による激しい攻撃魔法を防いでいるが、前線で戦っていた者の中には既に倒されて血を流してぐったりと倒れ伏している者までいる。


「あれは……遅かったか!」


「くくく、ひいっ!いひひひひ!」


 エルフの少女は風魔法を駆使して宙へと舞い上がり、狂ったように笑いながら炎や雷の弾を無差別な方向へと乱発する。もはや人としての理性など欠片も残っていないのだ。


「龍脈の魔力にあてられたか……」

「オルキス様」


 宙を飛び回る少女を眺めてそう呟いたオルキスに、一人の騎士が歩み寄ってくる。先程まで前線を支えていた騎士の一人だ。


「そなたは……」

「アルト・ギーソンと申します。あのエルフは見ての通り寸前となってしまいました。我々が倒しきれなかった落ち度です。申し訳ありません」

「そう気を落とすな。あとは私に任せなさい」


 あのエルフ、既にミスリル等級の冒険者ほどの力をつけている。元がそれほど強くなかったのか、流石にヒヒイロカネ等級の化け物共ほどにはならないように見えるのが不幸中の幸いだ。

 部隊も死人こそほぼ出ていないが、かなり消耗してしまっている。これ以上戦わせるのはさらなる死者の増加を招き、後の作戦にも響くだろう。


「第四聖天オルキス・トラヴァースの名の下に命ずる。全隊、退却したのち、一帯に結界を張って侵入者を防げ!」


「「はっ!」」


 オルキスの命令を受けて、戦っていた騎士たちは退却していく。その間もエルフの少女は攻撃魔法をこちらに向けて放ち続けていたが、その全てをオルキスは自らの魔力障壁により防ぎきった。

 そうして全ての騎士の退却が終了した、その時だった。


「おひっ!? ひぃ、いひひひひ!いぎ!ぎぃ!?」


「……来たか!」


 突如として宙を笑いながら飛び回っていた少女が苦しみ始め、身悶えし始めた。

 その姿を目にした瞬間にオルキスは身の丈ほどもある黒く分厚い大剣を抜き放つ。全身に魔力を滾らせ、一欠片の隙もない臨戦態勢。彼の身体から放たれる熱波があたりの雪を急速に溶かしていき、あっという間に蒸発していく。


「おひっ?!んぎぎぃい!いぃぃひひぃぃぃ!」


 ボコリ、と。少女の背中が膨れ上がり、服が破けた。

 次の瞬間にはドラゴンのような大きな翼がネチャネチャと音を立てながら生えてきて、更に少女の腕がブクブクと膨れ上がっていく。


「おぉぉんんぎぃぃひひひあはは!ぎひひぃギィィァアァ!」


 絶叫が笑いへと変化して、そして咆哮となる。

 全ての変化が終わったとき、少女としての面影は僅かに残った若草色の髪の毛だけだった。


 今や彼女はドラゴンの羽と頭、マンティコアの胴体、コカトリスと同じ蛇の尻尾を持った巨大な魔物と化してしまっていた。


「懐かしいな、亜人はみんな敵だと信じて簡単に殺せていた頃が」


「オオオオオォォォオォン!!」


 彼の言葉は届くことはない。

 新たなる誕生を喜ぶ魔物の叫びだけが森に木霊する。


「原因不明、マギステア聖国領に入った亜人に『奇跡』が発動する謎の現象。しかもご丁寧に理性まで失う始末。初めて聞いたときは馬鹿馬鹿しいと思ったよ。そんな理由で殺人を正当化されているなんてな」


 オルキスの剣を光属性のオーラが包み込む。

 そして、彼は一刀のもとにあの少女だったものを屠らんと、深く腰を落として構えをとった。


「これで私達の罪が、また一つ増える」




 白い森の中に、赤い花がぱっと咲く。

 野営地から、騎士たちは戦いがすぐに終わった事を感じ取っていた。










◆◆◆◆





「私と共に、マギステアを倒しましょう! そして、世界中の同胞が平和に暮らしていける世を作るのです!」


『『うおおおおおおお!』』


『『ムージーカ!ムージーカ!』』


 遥か北の国『イヴリース』の首都『フラジール』。

 次の国の指導者を決める選挙で沸き立つこの街で、候補者たちによる演説が行われていた。


 中でも特別な盛り上がりを見せていたのが、『ムジカ・ニグ・デアロウーサ』。

 イヴリースの片田舎の生まれであるという彼は、異例の若さで政治家としての出世街道を駆け上り、多くの支持者を集めていた。


 それほどまでに支持者を集めた理由は、森人族エルフ洞人族ドワーフ獣人族スロゥプをはじめとした亜人種の保護と、平等な権利の主張などの活動にある。

 現在、多くの国において支配層には基人族が立っている。それは旧時代の支配階級の多くが基人族であったことに原因があり、一部支配階級でなくなった者も、その血筋であるというだけで周囲に強い影響力を持っている。それ故に優秀な亜人が国の中枢に関わりにくい体制なる事が多く、亜人中心の国でなければ基人族と同様の出世は見込みにくい。


 だが、それ以上に支持を集めた理由はマギステア聖国による亜人の殺害、弾圧だ。

 ここのところ魔物による被害が増え、住んでいた村を追われる者まで出ている。そうした中で、魔物から逃げるうちにマギステア聖国の領内に入り込んでしまう者も、国境付近では少なくない。


 今までは、マギステア国内にゆかなければ大丈夫だと、彼等の虐殺とも言える亜人排斥は黙認されていた。亜人排斥に反対して事を起こせば、かえって死者が増加するのは目に見えている。

 だが、今回の件で望まずに国境を超えてしまったエルフやドワーフにも彼等は牙を剥いた。それにより、耐え続けてきたイヴリースの国民感情は爆発したのである。


 ムジカには、天性のカリスマがあった。

 亜人の保護活動を行う中で彼に付き従う人々も増えていき、中には世界的に見ても腕利きの猛者の姿すらあった。

 軍が組まれた訳でも、一つの組織として成立したわけでもない。だが、いつしか彼はマギステア聖国に並び得る戦力を手にしていたのだ。


 そんな彼が公約に掲げた内の一つ。

 マギステア聖国への総攻撃。


 あまりにも暴力的なその公約に人々は熱狂した。

 憎きマギステアが遂に滅びるときが来たのだと、理不尽に殺される亜人が遂に居なくなるのだと喜びに打ち震えた。


 ムジカ・ニグ・デアロウーサの勝利は既に決まっていた。









 そして、演説を終えた彼は自身のもつ屋敷へと帰ってきていた。自身の執務室の椅子に背をもたれさせる彼の前で、同じエルフの老人が恭しく頭を下げる。


「演説、お疲れ様でございましたムジカ様。皆、貴方様の素晴らしい演説に感動しておりました」

「くだらん世辞など良い。そなたは報告があって訪れたのであろう」

「ええ、では……お前達、奴を連れてこい」


 エルフの老人が扉の外で待機していた部下に命令すると、二人のエルフの戦士に拘束された一人のヒュームの男が連れてこられた。

 男はその顔にくっきりと恐怖の色を映し、震えながらムジカを見上げる。



「ダオス・グリセント。お前の組織は本当に無能ばかりだ。せっかく貴様の為にお膳立てをしてやったと言うのに、まさか少女一人拐うことすら出来ぬとは、そこらの盗賊にも劣る始末よなあ」

「そ、それは……違うのですムジカ様!あ、あの水竜が、死ねずのニニィが連れている水竜があまりにも強すぎたのです!あれさえ居なければ、作戦は――」

「言い訳は聞き飽きたぞ。ニニィ相手では無理だと言うから、その障害を取り除いてやったと言うのに。龍神もどきの一匹も倒せぬとは呆れたわ」


 ムジカがデスクを指先でトントンと叩くと、音もなく一人のドワーフの男が部屋に現れた。ムジカの呼びかけを受けて、瞬間移動の魔法を使って馳せ参じたのだ。

 その背に処刑用の大斧を背負った彼の姿を見て、ダオスの顔は引き攣り、顔は青を通り越して白くなる。

 次の瞬間、彼の身体は二人のエルフの戦士によって押さえつけられ、頭は真下を向けさせられていた。


「お、お待ち下さい!私は、我々はまだ――!」


「クラッガ。奴の首を刎ねろ」

「承知致しました」


「ムジカ様、やめてくださ―――いやだ、まだ死に――!」


 振り下ろされる大斧。

 断末魔の叫びすらなく、彼の頭はごろりと転がり、カーペットの上に赤黒いシミをえがいた。


「グリセントファミリーは解体だ。構成員は全員殺せ。まったく、世界的な犯罪組織だと聞いていたから期待していたのだがな。所詮この程度か」

「ムジカ様、こちらは我々で処分致します」

「頼んだぞモリア老。ふふふ、血生臭くて堪らんな」


 ムジカは席から立ち上がり、部屋の外へと向けて歩き始めた。


「ムジカ様、どちらへ向かわれるので?」

「外の空気を吸ってくるだけだ。気にするな」


 彼は部屋を出て屋敷のバルコニーへと向かう。

 そのバルコニーからは、フラジールの夜景を一望する事が出来た。


 月の光に照らされた彼の口元が、残虐な色をした弧を描く。


「待っていろ龍神の巫女よ……龍脈と龍神は私のものだ」




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