いまの僕には君以外、考えられないんだよ。
「……
僕とさくらんぼの通話に割り込んできた
――まったく驚いたな。ここまで親父の読み通りになるなんて。
二年間に起きた交通事故の後遺症による記憶喪失、そして
「……さくらんぼ、お前の書いたプロット帳がすべての答えなんだよな」
「えっ!? 恵一さん、いったい何を言っているんですか!!」
「恵一お兄ちゃん!!」
最新型のインカムマイクには、つぶやきのような僕の小声までしっかりと捉えてしまう。まだ事情がよく呑み込めていない聡の戸惑った返答に妹の声が重なった。
「聡くん、いまは説明している時間がないんだ!! この通話回線にさくらんぼも参加させることは出来るかい?」
「は、はい。マイクの予備がありますから。……桜さん、これを耳に掛けて下さい。通話の発信ボタンは俺が遠隔操作でコントロールしますので、そのまま恵一さんに繋がります」
さすがに状況の把握が素早いな。今回のサポート役は親父の見立てどおり聡が適任だろう。通話回線に新規参加者が登録された軽快な電子音がこちらの耳もとに鳴り響く。これでさくらんぼも僕たちと一緒だ!!
「はああっ!! ……ふうっ」
んっ、このイヤフォンから聞こえてくる息使いは何なんだ!?
「……大きく深呼吸しないとぼやけた頭に酸素が巡らないから。聡くん、いきなりお願いして悪いけど、あなたが耳に着けているイヤフォンを外してもらえるかな」
「えっ、桜さん。俺のイヤフォンをですか? いまは大事な計画の遂行中なので通話用の機器を勝手に外すわけにはいきません!!」
「そっか、そうだよね。
「それなら構いませんよ。……久しぶりですからね、兄妹だけで話したいこともあるでしょうし」
「ありがとう、聡くん」
……地上から通話は聡が回線をコントロールしている。いまはすべての通話が双方向で出来るハンズフリーモードに設定しているんだな。彼とさくらんぼの交わす会話がとてもクリアに聞こえる。それにしても妹はなぜ聡のイヤフォンだけをミュートにさせたんだ?
「……桜さん、準備が出来ました、俺の耳にはふたりの会話は聞こえません。どうぞ話してみてください」
「おはよう、恵一お兄ちゃん、いまのご機嫌はいかが?」
「……おいおい、それはこっちが先に言いたいセリフだぞ。いきなりおなじみの茶番劇かよ。どれだけさくらんぼのことをさ。心配したと思ってんだ」
努めて明るい声を出そうとしてもさくらんぼの声を聞いた途端、思わず感極まってしまい言葉につかえてしまう。胸にこみ上げる物を抑えきれない。
「お兄ちゃん、私ね。眠っている
あの人の声、っていったい誰のことだ!?
「さくらんぼ!! もしかしてその声の主は……」
「そう、恵一お兄ちゃんにも聞こえたはずよ。行方不明になった藍お姉ちゃんの呼びかける声が」
「……藍が僕に呼びかける声!?」
これまで僕が聞いた彼女の声は夢なんかじゃなかったんだ。あの桜が満開の太田山公園で自分の名前を呼ばれた気がして振り返った過去の記憶がよみがえる。大切な想い出が散るように桜の花びらが舞う景色には藍の姿はなかった。だけど決して幻聴なんかじゃない。僕にむかって手を振る彼女の姿がはっきりとまぶたの裏に焼き付いて離れなかった……。
「私がぼんやりとした世界にいた時間。こっちではおおよそ二年間か……。けっして退屈じゃあなかったよ。藍お姉ちゃんとも会っていたから寂しくなんかなかった。ふふっ、自分のことよりも他人を優先する心配性なところは相変わらずで、さくらんぼのそばにいてくれた時間も長かったんだよ。三人で遊んでいた小学生のころみたいにお話しをいっぱいしたんだ……」
大切な家族を語るような妹の口調はとても優しさに満ちていた。そして妹の口から明かされる空白の二年間。藍はこの世界線に間違いなく存在していたんだ。記憶喪失に陥ったさくらんぼの心配までしてくれたなんて……。現在の藍の存在はきわめて曖昧な物かもしれない。僕が元々いた世界線で彼女に触れて覚えた感触。身体の重さがまったく存在しなかったみたいに。
だけどはっきりとした想いを持って僕や妹のそばに寄り添ってくれていたとしたら……。
――どれだけ君は優しいんだ。僕が藍を完全に見失っている瞬間も君は僕を見つけていた。いや、僕だけじゃない。さくらんぼや親父も、弟の聡だって、藍に関係する僕たちの喜びや悲しみの表情も全部見逃さずにいてくれた……。
藍、君が僕の幸せを誰よりも考えてくれている存在だったんだ。だから悲しい出来事の多いこちら側の世界線に来ては駄目だと、きみさらずタワーのらせん階段の踊り場に設置したBCLラジオ改の周波数に合わせて、悲痛な警告のメッセージを届けてくれたに違いない。
「……」
「黙っていても兄妹の
「さくらんぼ、お前は……」
「だから、泣くのは藍お姉ちゃんを救い出してからにとっておくの。私がプロット帳に書いたとおりの結末になるはずだから」
例のプロット帳に書かれた物語か!? やっぱり親父の推測が当たった!! さくらんぼはその目で見て来たからあんな詳細な内容が書けたんだ……。
「さくらんぼ、お前は過去にきみさらずタワーの屋上展望台で見たんだな。藍が神隠しにあう瞬間を……」
「……いまはノーコメント。余計なノイズを恵一お兄ちゃんに与えるとロクなことがないし。私の身体はもう大丈夫だから。それより藍お姉ちゃんには時間がないの。急いで展望台に向かってあげて!!」
「わかった急ぐよ。お前が教えてくれたみたいに二対の像の真ん中に立って藍に呼びかけるんだよな」
「うん、きみさらずタワー突端にしつらえられた悲恋の銅像。ヤマトタケルとオトタチバナヒメ、その向かい合うふたりの銅像の真下にある方位を示す円形のプレートの前に立つのを忘れないで。こちらからはその位置からの呼びかけしか藍お姉ちゃんの耳には届かないから」
「わかったよ、お前の言う場所にBCLラジオ改のクーガーを設置するのも忘れない。今回の僕はもう間違えないよ。藍が本当に大好きだった場所は最上階にある展望台からの眺めだ!!」
僕が記憶の改ざんまでしていた
きみさらずタワーについて想いを巡らせると、不意に過呼吸になったのもそんな事件の影響が大人になっても如実に表れていたんだろう。
「そこまで恵一お兄ちゃんが思い出したのなら安心だけど、念には念を入れて最後にさくらんぼからの特別なエールを送るよ!!」
「なんだよ、お前からのエールって? 嫌な予感しかしないんだけど」
こちらにはお構いなしでさくらんぼが言葉を続ける。耳を傾けながらも階段を登る足は止めない。背後から盛大な拍手が聞こえてくる。現在、太田山公園内で開催されている桜祭り。その目玉である【
「じゃあ、恵一お兄ちゃん、良く聞いていてね。いくよ!!」
ああっ、桜祭りの歓声に気を取られて完全に油断してしまった。慌ててさくらんぼの通信に耳を傾ける。
「……はああっ!! すうっ」
さくらんぼがまた大きく深呼吸する音がイヤフォンに届いた。
『恵一おにいいいちゃあぁぁぁ~~~ん!! ファイト!! ぜったい藍お姉ちゃんを救い出してしっかり告白するんだよ!! これはさくらんぼとの約束!!』
「うわっ、ヤバい!?」
すっかり油断していた僕は妹からの熱いエールに驚いて危うく階段を踏み外しそうになってしまった。感度の良いイヤフォンのおかげで鼓膜が破れたかと思うほどの大声だった。
「……ふうっ、これでスッキリした!! 聡くん、どうもありがとうね」
「さ、桜さん、だから俺にイヤフォンをミュートしておけ。って言ったんですね。いまの大声で訳が分かりました」
僕にエールを贈る何て言いつつ、飛び切りの
だけど安堵するのはまだ早過ぎる。いまだ救われていない姉弟が目の前には存在しているのだから……。
「ふたりともありがとうな。おかげさまで目が覚めたよ。いまはごちゃごちゃ悩んでいる場合じゃない。藍をこの世界に連れ戻すことだけを考えるよ。……聡くん。必ず君とお姉さんを会わせる。そして元の幸せな生活を彼女に過ごしてもらうんだ」
「……恵一さん。姉貴をよろしくお願いします」
彼の短い返答に込められた強い感謝の念がマイクを通じてこちらまで伝わってくる。
心地よい夜風が僕の首筋を通り抜ける。いよいよ今回の最終目的地だ。視界が一気に開け、
きみさらずタワー最上階にある展望台。ここで藍は僕が来るのを待っているはずだ……。
次回に続く。
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