罪と罰

 通りに面した窓が大きな振動でがたがたと音を立てる。けたたましい騒音の正体は楽園パラダイス前の県道をひっきりなしに往来する重量級のダンプカーの仕業だ。小学生時代に藍が苦心して窓に取り付けたステンドグラスが壊れてしまわないか心配になるほどだ。僕と聡は仮眠の休憩を挟みながらずっと語り合っていたんだ。すでに夜が明けてしまったな。古民家の古材を再利用してしつらえたおもむきのある長テーブル。その卓上に置かれた実験用ビーカーの中身もすっかり冷めてしまっている。眠気があるわけではないが、僕は残りのコーヒーを一気に流し込んで喉の渇きをいやした。


「……恵一さん、俺の言っていることはどこか間違っているでしょうか?」


 テーブルの差し向かいから聡が僕に問いかけてくる。彼の腰かけている三人掛けのソファーは僕が知っている楽園には存在しなかった物だ。こげ茶色の革張りでとても座りごごちが良さそうだ。途中の仮眠でも横になって快適そうに寝ていたっけな。


「聡くん、僕に同じ質問をするのはこれで何度目かな。まあ、きみの気持ちも分かるけどさ……」


「……すみません。俺も香月かつき先生の唱える説をまったく信用していないってわけじゃないんです。でも話があまりにも荒唐無稽こうとうむけいすぎて」


「理系の聡くんにはすべてを信じろってほうが無理な相談さ。息子の僕だって親父のオカルティックな話にはついていけないときもあるから仕方がないって」


「尊敬する香月先生を疑うなんて失礼なことを本当はしたくないんです。だけどあいお姉ちゃんが二年前に行方不明になった本当の理由わけが事故でも事件でもなく、もうひとつの世界線に行ってしまったからだなんて……」


 テーブルに肘をつき片手の指先で頭をかきむしる。その仕草にいまの彼の強い苦悩が現れていた。


「……そして目の前にいる恵一さん、あなたがむこう側の世界線から例のBCLラジオを使ってはるばる姉貴を探しに来た。先生が説明してくれた話は本当に正しいんですよね?」


「聡くん、僕のことを気味悪がらないんだね。こちら側の世界にいたきみのよく知る香月恵一かつきけいいちの身体を乗っ取った異星人エイリアンかもしれないのに……」


「ははっ、それが悪役の正体なら作品のジャンルが全然違っちゃいますよ。それこそ小説家の香月先生にダメ出しをされます。それにあなたと小学校の前で会ったときから俺は一ミリも疑ってなんかいません」


「聡くん、それはどうして?」


「……これを言うと姉貴から怒られるかもしれませんが、恵一さんの特徴はさんざん聞かされてますから。良いところも悪いところも包み隠さずです。まったくのろけられっぱなしの俺の身にもなって下さいよ」


「そういう聡くんにも意中の相手はいるんじゃないのかい」


「いまは。 ……自分の片想い中ですかね、僕の意中の女性ひとはそれどころじゃないんで」


 彼の教えてくれた藍とのやり取りの話を聞いて驚くと同時にほろ苦い気持ちが自分の胸にこみ上げてくる。僕の住む世界で、もし藍が亡くならなかったら訪れていたかもしれない明るい未来がそこにあった。仲の良い姉と弟の何気ない会話。大好きなボーイフレンドについて無邪気に語る姉の藍。それを迷惑そうにしながらものろけ話に最後までつき合う弟の聡。


 二年前にこちら側の世界線でまるで神隠しにあったかのようにこつ然と姿を消した藍。聡の話では四月一日に太田山公園で僕と待ち合わせの約束をしていたそうだ。


 一晩中語り合っていたが、僕はまだ聡に伝えていないことを思い出した。上着の胸ポケットをまさぐる。幾度となく読み返したために端が折れ曲がった紙の感触が指先に伝わってくる。親父が僕に託してくれた数枚のメモと地図だ。メモの内容はすでに暗記してしまったほどだ。その一節が脳裏に浮かんでくる。


【恵一、藍ちゃんが他界してから、お前が太田山公園に毎日通っていたことはお父さんも桜から聞いている。お前の藍ちゃんへの想いは強い思念としてあの公園に渦巻き一つの磁場的存在になったはずだ。有名なSF小説や映画でもある事例なんだ。亡き女性への想いだけでタイムスリップを成功させた話も】


 親父が事例に挙げた映画は僕も良く知っている。とても大好きな作品だ。もしも藍が生きていたら彼女にも観てもらいたかったとかなわぬ夢想までしてしまったほど、熱病にうかされるような素晴らしい恋愛映画。その作品では過去に亡くなった映画女優の写真を偶然見て、ひとめ惚れした主人公が彼女が生きていた年代に想いだけでタイムスリップに成功するんだ。


 もしも僕がその映画の真逆に想いだけでもうひとりの藍を呼び寄せてしまったとしたら……。


 こちら側の世界線で幸せに過ごしていた彼女。


 ……その何げない姉弟の幸せをぶち壊したのは他ならない。


 幻影のような世界で藍が懺悔のように口にした罪と罰という言葉。


 罰を受けるのは彼女じゃない。


 ――すべて僕のせいだ。



 次回に続く。


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