眠り姫の憂鬱

「……結局、お前の顔を見に来てしまった。こんな自分が情けないって心の底から思うよ」


 眠れないまま、ここへきた。


 僕の心はずっと沈んだままだった。あれほどまでに熱望していたもうひとつの世界線に到達することが出来たというのに……。


「昔からお前にもさんざん注意されたよな。よく確認せずに行動する悪い癖。今回はその中でも最悪の事態を巻き起こしちまったかもしれないんだ。本当に取り返しのつかないことを僕は、この手で……!!」


 後悔の言葉にも目の前にいる相手は何も答えてくれはしない。パイプ椅子に腰かけた自分の膝の上で指先が赤くなるほど両方のこぶしを握りしめた。


「いまさら泣き言をいっても仕方がないのは分かっている。……明るいお前ならこんな逆境でもきっと前向きに立ち向かうだろうな」


 窓の外はいつしか大雨になっていた。強風が窓ガラスに多量の雨粒を叩きつけてくる。楽園パラダイスで聡と別れてから真っすぐこの場所に足が向いてしまったな。その理由わけは自宅には帰りたくなかったから。


「……本当はだけじゃなく、いまの僕を取り巻くすべての状況が壮大などっきりで仕掛け人の親父が笑いながらこの部屋に登場したら、どんなに気が楽になっただろうな」


 次第に外は暴風雨に変わっている。あの太田山公園の満開の桜の花もこの風で一気に散ってしまわないだろうか? 頭の中で公園内の情景が浮かんでは消える。風にあらがいながら揺れる桜の木を自分の大切な人たちの姿と重ねて考えてしまう。いまにも散りそうな枝先の可憐な桜の花が、風に激しく長い髪の毛を揺らされ運命を翻弄される藍に思えてならないんだ。


 そしていま僕の目の前にいる妹のさくらんぼ。彼女の生命のともしびも桜の花とともに散ってしまうんじゃないのか!? そんな最悪の想像に打ちひしがれそうになる。


 ちくしょう、何が【必ず藍を救い出す】だよ。こちら側の世界線にいるもうひとりの彼女を僕が逢いたい想いだけで無理やり呼び寄せてしまったから。幸せに暮らしているみんなの運命を変えてしまったんだ。


「……さくらんぼ、お前の運命だって僕が勝手に捻じ曲げたから、こんな童話の眠り姫みたいな身体にさせちまった。なあ目を開けてくれよ。頼むから!!」


 ベッドに横たわったままの彼女は何も答えてはくれない。むなしい叫びは窓の外の暴風雨にかき消された。



 *******



 さくらんぼの入院している病室を訪れた際、親父と入れ替わりになった。徹夜明けの僕に負けず劣らず、親父の顔には疲労の色が浮かんでいた。こちらの世界では小説家の仕事と掛け持ちな上に藍の弟のさとしが通う理工大学付属の高校で特別講師として教鞭も取る忙しさだ。まだ親父には聞きたい謎は山ほどあった。


 なぜふたつの世界線、どちら側でも行方不明になった藍が生きていると断言出来るのか? そもそも僕がむこう側の世界線から来ることをあらかじめ親父は知っていた。


 しかし謎を問いただす前に疲労の限界になって病室で親父に倒れられても困るので、休憩を勧めて妹の付き添いを変わったんだ。


『……恵一、悪い知らせだ。今朝の健診で担当医から告げられたんだが、桜の状況があまり良くないそうで昏睡後の睡眠時間がどんどん長くなっている。このまま目覚めない可能性も出てきた』


『そんな……。さくらんぼはこのまま昏睡から覚めなくなっちまうのかよ!!』


『すべて恵一に背負わせて本当にすまないと思っている。行方不明になった藍ちゃんを探し出す。それが桜を救うことにも繋がるんだ。あのを読んだお前なら分るだろう!!』



 *******



 親父との会話を思い返していると自分の頭の中でさまざまな連想が広がるのを感じた。ふと人間の脳のメカニズムについて聞いたオカルティックな話まで浮かんでくる。とこかの偉い哲学者の説にあった。人間の肉体と魂は睡眠時に別々になるそうだ。俗に言う幽体離脱だ。たしかアストラルたいとかエーテル体とか難しい用語を用いていたな。とにかく入れ物としての身体から抜け出た精神として魂は壁や建物など物質をすり抜けるだけでなく、自分の住む世界から見たこともない別の世界にも自由に行き来が可能だそうだ。


 昔の自分ならこんな荒唐無稽な話は、昨晩の聡みたいに完全に信じたりはしないだろう。だけど亡くなったはずの藍が現れたり、僕自身が並行世界を移動した事実の後ならばその説を一笑に付したりは出来ない。現に普通に見る夢の中でも自分がまったく体験したことのない情景も浮かんでくる経験は誰しも一度はあるはずじゃないか……。


 もしも動物やBCLラジオ改のように媒介を使わなくとも、別の世界線に元の肉体から抜けた魂だけ移行出来るとしたら。そしてその場所に存在するもうひとりの自分の身体に入って少しずつ異なる人生別ルートの体験を見ているのが夢と仮定したらどうだろう?


「……恵一さん、ここにいらっしゃってたんですか」


「聡くん!? ……悪い、ちょっと考え事をしていて気が付かなかったよ」


 慌てて両手の指先で自分の頬を拭った。先ほど流した涙の跡はすっかり乾いている。気付かれてはいないだろうが照れ臭くて聡の顔をまともに見れない。


「探しましたよ。急で悪いんですが、僕と一緒に来てくれませんか? ……あっ、桜さんの付き添いがいなくなってはまずいですよね。何だか俺、ひとりで焦ってすみません」


「いったいどうしたの? そんなに慌てて聡くんらしくないよ。さくらんぼの付き添いなら駐車場の車まで仮眠に行った親父が後で戻ってきたら交代を頼めると思うけど」


「それなら香月先生を待ちましょう。俺、恵一さんに伝えなければならないことがあったんです。こんな大事な話をいままで忘れていたなんて本当に間抜けだなって……。もしこの場所に姉貴がいたらめちゃくちゃ怒られるかもしれません」


 大事な話って。藍に関係があることなのか……!?


「俺の家に行きましょう。藍お姉ちゃんの部屋で恵一さんに見てもらいたい物があるんです……」



 次回に続く。

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