過去からのラブレター

「……恵一けいいちさん、ちょっとここで待っていてくれませんか」


 二宮聡にのみやさとしは玄関先に立ち、こちらにひと声かけてから頭に被っていた上着のフードを襟元まで下げた。僕は無言でうなずきながら雨で濡れた傘を玄関ドアの脇に立てかける。


「そんなにかしこまらないで下さいよ。親は仕事で家にはだれもいませんから」


「……緊張した顔を見せたりして悪かったね、とってはきみの家にお邪魔するのは久しぶりだから」


 僕が言いよどんだのに気が付いて聡は一瞬、怪訝そうな表情を浮かべた。こちら側の世界線で二宮藍にのみやあいは二年前から行方不明だが亡くなってはいない。だとすれば元々の世界線のように彼女の家族が隣から引っ越して、この場所が更地になる事象もなかったのだろう。二宮家と我が家の交流はずっと変わっていないとしたら、何度も家に招いているはずの僕が妙にぎこちない態度を取ることを彼は不思議に思ってしまったのだろう……。


「恵一さん、そうでしたね。頭では理解していてもつい忘れてしまうな。……藍お姉ちゃんにまた怒られそうだ。昔から俺はデリカシーがないってよく注意されましたから」


 どうやら勘のいい聡にはすぐに理由わけが分った様子だ。こちら側ではいまも動き続けている繋がりという名の時計の針。僕と藍、ふたりの間に流れる時間が別々の世界線ではまるで違う。


 向こう側の世界線からやって来た僕が、藍との時間が止まったままの空虚な世界で悲しみに打ちひしがれていた残酷な事実に彼も気が付いたのだろう……。


「……」


 僕たちの間を気まずい沈黙が支配する。


「そういえば小学生のころ、藍の部屋のドアには聡くんに向けて注意の張り紙が貼られていたよな。【勝手に部屋に入らないで!!】って。さすがにもう剥がしてしまっただろうけど……」


 神妙な面持ちになった彼をなごませようと、僕はつとめて明るい声を出した。


「……恵一さん、よく覚えていますね。何だか照れくさいな。あっ、でも今回は黙って部屋に入るわけじゃないですから安心してください。ちゃんと姉貴の許可は取ってますので」


 二年も前に行方不明になっている藍の許可を取った!? いったい聡くんは何を言っているんだ。


「許可は取ったといっても上がってもらう前に部屋の中の最終チェックをしてきますね。恵一さんはちょっとリビングで座って待っていてください」



 *******



「恵一さん、どうぞ中に入ってください」


 ……またもや緊張気味になってしまうな。藍の部屋に入るのは本当に久しぶりだ。


 彼女が亡くなった前日、入院先の君更津きみさらず中央病院から一時帰宅していたとき、ちょうど隣に住む僕が学校からのプリントを届けて以来だ。あのときは初恋の女の子から予期せぬまま部屋に招かれて、あまりにも気が動転して室内をゆっくり見まわす余裕すらなかった中学時代の自分を懐かしく思い出した。


 清潔感のある緑色を基調としたカーテン、そして同系色のカーペット、北欧製のソファーベッドの脇には可愛い小物も飾れる本棚兼用のシェルフが置かれていた。その反対側には古いミシンのテーブル部分を自分でリメイクしたドレッサーがある。どれも小学生当時から藍が使っている物が多く見受けられる。気に入った物を大切にする彼女らしいな。微笑ましい気持ちとともに藍のことを想うと切なさが胸にこみ上げてくる。


「まあ、そこらへんに座ってください」


 聡が置かれているソファーベッドを指し示す。


「う、うん……」


 良く整えられたベッドシーツをシワにしないよう慎重に腰掛ける。ふわり、と柑橘系のかすかな香りが漂い、僕の中の郷愁をくすぐった。


 ……藍。


 まるで自分の隣に彼女がいる錯覚まで浮かんできてしまう。当時と変わらぬ藍の面影が色濃く残る部屋を目の当たりにした僕は、もしも弟の聡がこの場に同席していなかったら思わず叫び出してしまっただろう。


「……さ、聡くん、このぬいぐるみは?」


「ガナーピーフレンズのぬいぐるみ。藍お姉ちゃんが小学生のころから大のお気に入りでしたよね。ガナーピーと言えば部屋の扉を開けていたから恵一さんは気が付かなかったかも知れませんが、ほらっ!! 姉貴の宝物の筆頭がまだ扉にぶら下がったままなんですよ」


 開け放たれた部屋の入り口扉から半身を出した後で、再度僕の前に戻ってきた聡の指先で揺れていた物は!?


「これは……!?」


 彼の見せてくれた木製のルームプレートには【あいのへや】と書かれている。


 ガナーピーとは世界一有名なスーパービーグル犬の名前だ。漫画のキャラクターでお供の黄色い鳥モントレーとのコンビだ。ネームプレートにも藍お気に入りのガナーピーたちが描かれている。たしか文字は一文字ずつ彼女が選んで小学生の工作の授業で一緒に手作りしたんだ。


「……藍はこんなに古い物まで大切に飾ってくれていたのか」


 思わず感極まって声が震えてしまうのを抑えきれない。


「うちの姉貴にしてみれば、どれも恵一さんとの大切な思い出がある物ばかりなんですよね……」


「聡くんが僕に見せたい物って……!?」


「恵一さん、俺が本当に見せたかった物は残念ながらこのネームプレートじゃあありませんよ」


 そう言って聡はレトロなドレッサーの天板にある引き出しを開けておもむろに何かを取り出した。


「なっ……!?」


 忘れようとしても絶対に忘れられない……。女の子らしくシールでデコレーションが施されたピンク色の長四角な筐体きょうたい


 ――彼が僕に差し出したのは、あの携帯ゲーム機だった。


 次回に続く。

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