見えざる神の手は……。

『……なあ、恵一けいいち。BCLラジオを渡す前に言っておきたいことがあるんだ』


『急にあらたまった態度で何なんだよ。【このクーガー改には取り扱い説明書なんて物は存在しないだぞ。本体の色は黒だが、いわくつきの白物家電なんだ】ってくだらないダジャレを僕にかましてきたのは親父じゃないか』


『今からする話は冗談なんかじゃない。よく聞け恵一。たとえどんなにお前を取り巻く状況が変化しても俺はお前の父親だ。そのことをよく覚えておくんだ』


『……何を決め顔で当たり前のことを言っているの。僕にとって父親はひとりなのにさ』


 ――もともと僕のいた世界線で何げなく親父と交わした会話を思いだす。そうだ妹のさくらんぼが強制執行という名の断捨離掃除を、父親の仕事部屋に予定していた日のやりとりだったな。僕は計画を事前に察知した親父から泣きつかれて部屋の片付けに駆り出されたんだ。


 僕、香月恵一かつきけいいちはは亡くなった初恋の幼馴染、二宮藍にのみやあいが生存しているであろうの世界へ来ることに成功した。


 藍が他界してから長年望んできた目的の第一歩に成功したというのに僕の心は晴れなかった。この胸の中のもやもやはいったいどこから去来するというのだろうか? 


 今日という日に備えて過去から現在、僕は指をくわえて何もしてこなかったわけじゃない。二度目に藍が消えた日から数年間は大学や革職人の修行に通うかたわら、並行世界パラレルワールドについての文献を取り憑かれたみたいに読み漁った。科学的な物だけではなく、小説や映画のような創作物や果てはオカルティックな物まで……。幸いなことに僕には売れない小説家の親父がいた。蔵書の数々が家に最初からあるのはとても手間が省けたのを思い出す。


 そして文献で得た知識に反比例するように僕の中で疑念は次第に深まっていった。並行世界は概念としてだけではなく物理学の観点からも様々なアプローチが存在している。僕たちの暮らすこの世界線が存在する事実を鑑みれば別の世界線の存在を否定するほうがおかしいのかもしれない。だがしかし、極端な言い方をあえて承知で続けるのならば、これまで誰も見たことのない死後の世界と同じじゃないのか? 並行世界についての議論は肯定も否定も答えの出ない論争に思えて仕方がないんだ……。


 くそっ!! この期に及んで何を弱気に考えているんだ。僕がいま立っている商店街は一見、同じように見えてもまったく違う世界線に存在しているんだぞ。その証拠に目の前にある携帯ショップの軒先に立てられた宣伝用の看板をよく見ろ!!


 自分が生まれるはるか昔に撮影現場で事故死したはずの映画スター、蒼木圭一郎あおきけいいちろうが耳元に携帯電話をあてながら僕の親父によく似たあのをこちらに向けているじゃないか!! 


 なのになぜ、僕は素直に成功を喜べないのだろうか? 片手に抱えたままのBCLラジオの重みが肩に堪える。元々の機種であるクーガーよりも軽いとはいえ、スカイセンサーも下手なラジカセ並に重みを感じるな。そういえばなぜBCLラジオの機種が変化したのか。それも別の世界に来た際に生じる差分なのか……。


 ……ここで途方に暮れていても何も進展はしない。売れない小説家である親父のために妹のさくらんぼが作ったプロット帳には細かい注意書きがあったな。流行りの異世界転生物では主人公は真っ先に飛ばされた環境に順応すること!! そこでウジウジと悩むのはとても悪手でタイパを重視する若い読者様に好まれないからだと。僕の親父の純文学よりの恋愛小説みたいな牛歩のごときテンポの遅い作品は絶対に売れないから!! そんな手厳しい妹の注意書きに従えるほど別世界に来た僕は、ラノベの主人公たちのように強くはない人間なのだと今さらながら痛感した。


 いつの間にか商店街を過ぎて左右の沿道には住宅が増えてくる。住宅街の先には僕の通った小学校の校舎が見えてくる。ところどころペンキの剥がれ落ちた壁が年季を感じさせるな。こちら側の藍も同じ小学校に通っていたのだろうか? 似て非なる世界なのでとても混同しやすいが正確に言えば僕はこの世界に存在する小学校には通っていない。何ともややこしい話なのだが……。


 親父の話や数多く読破した並行世界についての物語の中でも、様々な世界設定があった。もうひとりの自分がいる世界。俗に言うドッペルゲンガーみたいに自分と対面するんだ。そしてもうひとつのシチュエーションは複数の並行世界を行き来しても自分の肉体はひとつに固定される。その世界には自分はひとりしか存在しない。ちょうど精神だけが入れ物の身体に降りるようなイメージだな。こちらのほうが並行世界の物語には多いだろう。


 ――はたして今回の僕はどっちのシチュエーションに遭遇するのだろうか?


 すでに日が暮れて辺りは薄暗くなっている。不安げにうつむきながら小学校の校門前を通り過ぎようとしたその瞬間。背後から声を掛けられた。


「あれっ、もしかして恵一さんですか!?」


 この声の主はいったい誰なんだ!?  


 次回に続く。


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