左利き

「……挨拶がまだでしたね、私は古野谷ふるのやと申します」


 首輪屋の店主が帽子を取って深々とお辞儀をした。歳が離れているのにも関わらず対等に接してくれる。その礼儀正しい態度に僕は感銘を受けた。


 この人になら信頼出来る、藍のことを話しても大丈夫じゃないか。自分の直感に従おう。これも何かの運命かも知れない……。


「香月さん、よろしくお願いします」


 店主が右手を差しだして握手を求めてきたが、一瞬、ためらう僕を彼は見逃さなかった。


「……これは失礼しました、香月さんはレフティー左利きでしたか」


「どうして僕が左利きだと分かったんですか?」


 ……握手する前から左利きと気付いていたのか!? 左手で握手を交わしながら僕は驚きを隠せなかった。


「不躾なことをして申し訳ありません。亡くなった家内にも良く怒られました。初対面の人を値踏みするよう真似は失礼だからやめなさい、って……」


 店主はそう呟きながら、懐かしそうな微笑みを浮かべた。僕は手品を見せられた気分になった、タネ明かしをして欲しいところだ。


「……簡単なことですよ。バックを左肩に掛けていたので、利き手の可能性が高かったのが一つ目。そして逆に右肩が若干下がり気味な姿勢なのが二つ目。最後に確信したのが、私が右手で握手を求めたとき、あなたは利き手じゃない右手を出すことに躊躇したからです」


「店主さんって凄い洞察力ですね……」


「年の功なだけですよ。もう棺桶に片足を突っ込んでいますから」


 棺桶のくだりは冗談なんだろうか。年上なのに凄くフレンドリーな人だ。この感じは嫌いじゃないな。僕は握手した手のひらに軽く力を込める。


 僕は小さい頃から左利きだ。だが生まれつきではない。もともと右利きで生まれたが、未熟児で難産だった僕は、利き手を骨折したまま、気付かれず出産されたそうだ……。


 何ともひどい話だが、僕の右腕は自然治癒してしまい、曲がったまま、真っ直ぐ伸ばせない状態で固まってしまったんだ。そして右手の使えない赤ん坊の僕は強制的に左腕を使うようになった。

 

今でこそ、左利きは珍しくないが。僕が子供の頃は周りからからかわれ、時にはいじめの対象にもなったんだ。この左利きが本当にコンプレックスだった……。


 右利きの人には分からないと思うが、シャツの胸ポケット一つ取っても、左胸に付いているのは社会全体が右利き仕様だからだ。はさみもそう。習字の書き順もそう。左利きには不便に出来ている世の中だ。


「でも左利きだから秀でていることも多いんですよ。名だたる偉人にも左利きの天才がいます。アインシュタイン。レオナルドダヴィンチ。モーツァルト。脳科学でも左利きの優秀性が証明されています。香月さんは何か好きな趣味はありますか?」


 僕の暗い表情を察してくれたのだろう。左利きの良さを話してくれる。偉人にも多いとは知らなかった。


「……趣味と言えるかは分かりませんが、親父のお下がりで最近、エレキギターを始めました。まだ下手くそですけどね」


 多趣味な親父に押し付けられたと言ったほうがいい。僕の部屋ならさくらんぼの断捨離から逃れられるからだ。ギターラックごと何本も僕の部屋で鎮座している。アンプやエフェクターも貰ったが、家弾きなので大音量では、さくらんぼに殺されるから、コンパクトなヘッドフォンアンプで地道に練習している。


「エレキギターですか、良いですね!! ぜひ第二のジミヘンか、カートコバーンを目指してください」


 二人とも伝説的な左利きギタリストの名前だ。ウチの親父が好きだから、子供の頃から子守歌がわりに聞かされていた。


「……店主さん、僕まだ27クラブには入りたくないですよ」


「これはまた失言しました。伝説に名を残した名ギタリストだとしても、若いあなたに、それを目指せとは縁起でもなかったですね」


 僕たちは他愛のない話で笑いあった。亡くなったという言葉を回避してくれる気使いに感謝しながら。その後、これまでの顛末を手短に店主に告げた。彼は黙って僕の話に耳を傾けてくれた。


「……ここで待っていて下さいね」


 断りを入れて店主が僕の前を離れる。店の横で黄色い声を上げて、はしゃいでいるさくらんぼ達に声を掛けた。


、悪いけど犬の散歩をお願いしてもいいでしょうか?」


 看板犬のトイプードル、ショコラがすぐに反応してお座りの姿勢に戻る。


「……はい、喜んで!! でもいいんですか? 飼い主じゃないウチらが散歩しても」


「大丈夫ですよ。ショコラもこんなに懐いているし。それにこのショッピングモールは犬の散歩OKなんですよ。これは散歩用一式が入ったバックです」


 店主から手渡されたバックとお散歩の申し出に、さくらんぼは目を輝かせた。モフモフな可愛い看板犬と離れがたい。まさに渡りに船だと喜んでいる様子が遠くからでも見て取れる。


「わあっ、ありがとうございます!! 藍お姉ちゃん、ショコラくんのお散歩、一緒に行こう!!」


 この店のハンドメイド品なのだろう。看板犬ショコラの首輪に繋がれた白い革のリード。その先端をしっかりと両手で握り締めながら妹は散歩に出かけようとした。


「……ちょっと待ってくれるかな、桜ちゃん」


 さくらんぼに声を掛けた後、藍は店主の前まで歩み寄った。


「こんばんは、看板犬のショコラちゃんに触らせてくれてありがとうございます。私、幼いころからワンちゃんが大好きなんです。だからとっても嬉しくなって……」


「……!?」


 店主の動きが止まった。透明な壁が自分と藍との間に存在してそれ以上進んでは駄目なことを知っているように……。まるで何かを察知している様子に思える。 藍との距離は一メートルも離れていない。彼女の姿は見えないはずなのになぜなのだろうか!?


「……二宮藍さん」


「どうして私の名前を知っているんですか?」


「あなたが彼の言っていた女性ひとなんですね……」


「……えっ、彼って」


 突然の言葉に藍は首を傾げ、怪訝そうな面持ちで問いかける。店主は一瞬目を伏せ、丸眼鏡を外してエプロンの裾でレンズを拭った。彼の目に光る物が見えたのは僕の気のせいだろうか……。


「先程、香月さんから話を聞かせて頂きました。藍さんを世界で一番大切に想っていることも……」


「……恵一くんが!?」


「とても素敵なお話でした。二人の絆はとても深いんですね……」


 藍は驚いた表情を見せ店主の肩越しに僕へと視線を送ってくる。昔から恥ずかしがり屋の彼女は真っ赤になって照れると思ったんだ。


 でも今回は違っていた……。


「……はい、私も彼のことを一番大切に想っています」


 彼女は少しはにかみながら答えた。けれどもその声には淀みがなかった。藍の言葉はまっ直ぐ僕の胸へ届いた。


 恋する女の子はとても綺麗だ。僕はもう一度幼馴染みのきみと恋に落ちる……。



 次回に続く。




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