真っ白に湧き上がるあの夏の日の入道雲

 いつしか夜空には満天の星空が広がっていた。地上で現在も開催されている桜祭りの人工的な照明とは対照的に、柔らかな星の光が彼女の表情を照らし出してくれる。


「……恵一けいいちくんが私に見せたい物って。もしかして、と同じなの!?」


 夜空の星を映し込んだ瞳の中に激しく光彩が揺らめく。あの日という言葉キーワードだけで藍と僕が同じ出来事を思い浮かべたことが分かる。


「ああ、そうだよ。あいを誘ってきみさらずタワーに登った日も内緒で携帯ゲーム機を用意していたんだ。いまの僕たちとまったく同じ状況だったね。唯一の違いは差し向かいにたたずむ君の顔を緊張し過ぎた僕がまともに見れなかったぐらいかな……」


「そういえばあの日の恵一くんはずっと様子がおかしかったよね。普段の遊びならさくらちゃんも一緒に誘うはずなのに大事な話があるから妹には絶対に内緒だからな。って念を押されたのをいまでも覚えているわ」


「……ははっ、お互いに初々ういういしいお子ちゃま同士だったよな。さくらんぼに聞かれたらこっぴどく叱られそうな話だ。鈍いにも程があるって」


「えっ……!? 恵一くん。言っている意味が分かんないよ。大事な話っていったい何だったのか、もう一度私に聞かせてくれる」


「大人になっても照れくさいものは、そう簡単には変わらないんだな。小学生の僕らに向かって謝らなければならない。初々しいお子ちゃまなんて言葉でけなしてしまって……」


「あっ……!?」


 藍の表情が変わった。口もとに片手をあてて、こちらを凝視する頬が紅く染まっている。さすがに察しがついた様子だ。慌てて彼女が視線をそらした先には携帯ゲーム機の画面があり、ちょうどアプリが立ち上がった軽快な音がこちらまで聴こえてくる。


「携帯ゲーム機の準備が出来たみたい……」


 手もとの液晶画面と僕の顔を交互に見比べる彼女のしぐさ。このまま携帯ゲーム機のアプリを操作して先に進んで良いのか判断出来ないのだろう。次の言葉を待っている様子が伺えた。


「……あの日もタワーの最上階まで登らせたりして藍の身体に負担を掛けてしまった。激しい運動は控えなければならないって医者から言われているのは知っていたのに」


「あのころの恵一くんが私の病気について、そこまで詳しく知っていたなんて……」


 なぜ僕が彼女の病気について知っていたか? その部分について、あえて言葉には出さなかった。藍と妹のさくらんぼ。仲の良い女の子同士でしか知りえないやり取りのすべてを知らされたわけではないが、どちらかといえば野外で遊びまわりたい当時の僕に対して見かねた妹は釘を刺してきたんだ。


 【藍お姉ちゃんの身体をもっと心配してあげて欲しい……】


 まさに寝耳に水だった。 妹からの提案を聞かされて初めて自分の愚かさに気が付いた。何も知らずに僕は病弱な藍を野外に連れ出して負担を掛けていたという事実に打ちのめされた。それ以来、三人で遊ぶ場所は楽園パラダイスが中心になった。意識的に僕が選んだというのが真相なのだが、急に外で遊ばなくなったのをいぶかしかる藍にはどうしても本当の理由わけは言えなかった。


 その後、禁を破って一度だけふたりっきりで外出した。きみさらずタワーの最上階展望台で忌まわしい事件に遭遇するとは当時の僕は夢にも思わなかった……。


 予期せぬ世界線移動をひき起こしたのが、たとえ偶然だとしても藍をこの場所まで連れ出して原因を作った僕には重大な責任がある。


「藍、いまさら謝っても遅すぎるよな。だけど僕はどうしても君に伝えたかったんだ」


 過去への強い後悔の念にさいなまれ、言葉に詰まりそうになった。だけどここで逃げ出したら前回とまったく同じになる。大きく深呼吸をして夜空を仰ぎ見れば満天の星空。視界のすべてが夜空のきらめきに埋め尽くされ自然と気持ちが落ち着いていく。いまは亡き大切な人から先に進む勇気エールを貰った気分だ。もう迷わない。しっかりと前を見据えるんだ!!


 ――夜空のむこう側で、もうひとりのも僕の告白を見守ってくれると信じて。


「もう一度、あの日をやり直させて欲しい……」


「うん、私も消えたりなんかしない。だから恵一くんのやり方で藍に聞かせて」


 ああ、これは夢じゃない。藍が僕の目の前にいる。あれほど会いたくて仕方がなかった。絶対にかなわない夢だと思い込んでいた笑顔が、手を伸ばせば触れられそうな距離に存在するんだ。


「……藍、携帯ゲーム機の動画のメッセージ、ありがとうな。女の子から貰うのは初めてだから純粋に嬉しかったよ。お礼を言うのが遅くなって本当にごめん」


 不器用な言い回しが夜空に吸い込まれていく。下手だって構うもんか、僕なりの言葉で彼女に伝えるんだ。これこそが僕から藍への手紙ラブレターだから……。


「うん」


「あの日、君に見てもらいたかったのは携帯ゲーム機で僕が撮った動画ファイルだったんだ」


「恵一くんが撮った動画ファイル!? も、もしかしてそれって!!」


 彼女の頬がこれまでにないほど紅潮する。どうやら藍が撮ったような動画の告白と勘違いさせてしまったみたいだ。


「ごめん!! 僕が言葉足らず過ぎた。と、とにかくまずは動画を見て欲しい、僕の携帯ゲーム機にもその動画ファイルがあるから二台で同時に再生してくれないか」


「は、はい。分かりました!!」


 なぜ急に敬語と普段なら彼女に突っ込みたいところだが、僕もどぎまぎしてそれどころじゃない。とにかく先へ進めよう。


「……いっせーの、せい!! で動画ファイルを開こう、藍、準備はいいかい?」


「うん、タッチペンも持ったからいつでも大丈夫だよ」


 携帯ゲーム機の本体上部から専用のタッチペンを取り出す。物の取り扱いが雑な僕にしては珍しくオリジナルの本体と同色のペンが付属していた。藍が手にしているのは可愛らしいボールペン兼用のタッチペンか。お馴染みのガナーピーの絵柄がとても懐かしいな。


「じゃあ、いくぞ、藍。僕の合図に遅れるなよ」


「うん!! 恵一くんよりも反射神経は良かったから大丈夫だよ」


「藍、お前はいつも一言余計なのな……」


「うふふっ、それは恵一くんもね」


 藍との冗談めいたやり取りで、一瞬にして小学生のころに逆戻りタイムスリップしたみたいだ。そして待ち望んでいた瞬間がついに訪れた。


『『いっせーの、せいっ!!』』


 差し向かいの彼女と合図の掛け声が重なった。同時に携帯ゲーム機の音量を上げる。ふたつの筐体のスピーカーから騒がしい蝉の鳴き声が聞こえてくる。僕は動画ファイルが再生されている液晶画面ではなく藍の顔から視線をそらさなかった。なぜならば驚く表情を一瞬も見逃したくなかったから……。


「この動画ファイルは!? 恵一くんが私に見せたかった物って……」


「そうだよ、藍。動画ファイルの冒頭に手描きのタイトルが書いてあっただろう。下手くそな小学生の僕の字さ」


「うん!! ちゃんと恵一くんの字が読めたよ。そのタイトルは……」


「おっと、そこは撮影者の僕から紹介させてくれ」


「……だめ!! これはぜひ私に読ませて。だって嬉しすぎるから自分の口で言葉にしたいの」


「分かったよ。じゃあ、パラダイスアーミー所属、二宮藍通信兵に作戦名を読み上げる役目を任命する!!」


「恵一くん、ありがとう……」


 両手で持っていた携帯ゲーム機を自分の顔に近付け、藍がゆっくりと動画ファイルのタイトルを読み上げ始める。


「あの雲の下まで行ってみた。君にわたあめのおすそ分け。腹いっぱい食べてくれ!! 恵一より藍へ」


 嬉しそうににっこりと微笑んだあと、動画ファイルが再生されていた液晶画面を手でつまむしぐさをして、その指先を口もとに運ぶ彼女。


「ごちそうさまでした!! とってもおいしかったよ、恵一くんが一生懸命に取って来てくれた雲のわたあめ」


 彼女の満面の笑顔を心の中にだけ存在するアルバムにしっかりと焼き付けた。泣きたいくらいに鮮明に覚えている。君の困り顔も。怒った顔も。でもね、やっぱり僕が隣で見ていたいのは君の笑顔なんだよ。


 何度も君の姿を目で追っていたのを知らないよね。あのころ僕の頭の中は藍でいっぱい。だけど自分の携帯ゲーム機で君を撮影するなんて恥ずかしくて一度も出来なかった。


 そして僕は過去にどうしても彼女に言えなかった告白をする。


「藍のことが大好きだ。僕もずっと前から……」


 知っていたと思うけど……。とは付け加えられなかった。


「恵一くん、ありがとう。……ちゃんと言葉にしてくれたのは初めてだから、とても嬉しくて。でも今度は泣かないって決めたんだ。撮ってくれた動画の中で私の笑顔が一番好きだって言ってくれたから我慢する」


「うん」


 今度は僕が言葉少なになる順番だった。だけど最後にやるべきことが残っている。


「……藍、もう一度この世界に戻ろう。君の帰りを待っている人が大勢いるんだ。弟のさとしくんも、ご両親も。僕は言ったよね。罪を償わなければならないって」


「恵一くん、私はいったいどうすればいいの!?」


「君が償う方法は何があってもこの世界で生きることだ。それがもうひとりの亡くなった藍への贖罪しょくざい。そう、何よりのたむけになるはずだから。どんなにつらくとも死を選択しないでくれ。彼女の分まで生きるんだ」


「……」


 彼女に向かって真っすぐに伸ばした左腕。円筒形の方位盤の真ん中あたりまでしか指先が届かない。藍が生きる意志を持って自分の手を差し出さなければ無理な距離だ。おずおずとこちらに伸ばす彼女の指先が怯えた小動物のように震えている。


 だけど僕は信じている。藍の中に秘めた芯の強さを。


「……私だけが幸せになっても本当にいいの?」


「当たり前だろう、藍。もうひとりの君だってそれを望んでいるはずだ。誰よりも彼女を知っている僕が断言する。さあ、この手を掴むんだ!!」


「もうひとりの私が……」


「藍っ!!」


 強い意志が彼女の指先に込められたように見えた。そして伸ばされる左腕。僕が元々いた世界線でどうしても届かなかった藍の指先に触れることに成功した。そのまま一気に相手を引き寄せる。腕の中のぬくもりと共に質量のある身体を全身で受け止めて思わず安堵のため息を漏らした。


 ――僕は最愛の彼女を抱きしめる。身体の重みが戻っているのを確かめながら。


「やっと届いた……!!」


「恵一くんが繋ぎとめてくれたんだね。迷っている私をずっと探してくれたから」


 言葉が終わるやいなや強張っていた藍の身体から力が抜ける。限界まで気を張っていたのだろう。僕の腕の中で彼女は意識を失った。


「……藍、いまはゆっくりおやすみ。君を悲劇のヒロインには絶対にしないよ」


 僕は最期の決断をする。おだやかな寝顔を見ながら彼女の幸せだけを祈った。それは神聖な儀式にも似た無償の行為に似ている。


 動画ファイルには映らないの幸せな日々をこちら側の世界線で作って欲しいから。


「聡くん、さくらんぼ!! この通信が聴こえているか? たった今、藍の救出に成功した。一刻も早くきみさらずタワーの最上階までクーガーの予備バッテリーを持って応援に来てくれ。僕にはあまり時間がない。彼女を引き渡し後、すぐにこの場から世界線移動を開始する!!」



 次回に続く。

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