【本編エピローグ前編】僕はこの世界で君と二回目の初恋をする 

 ――夜空をいろどる盛大な花火で桜祭りは終幕フィナーレを迎えた。一瞬の輝きで人々の心を魅了する花火は、どこか散り際の桜の花に似ている気がした。きみさらずタワーの展望デッキ、手すり越しに見える景色はまるで桃源郷とうげんきょうに迷い込んだかのような錯覚を覚えるほどだった。


あい、君にこの景色を見せられないのがとても残念だな」


 最上階から見下ろすと咲き誇る桜の花がまるで雲のじゅうたんみたいに思える。その桜色の部分に打ち上げられた花火が放つ七色の光が反射して見事な輝きを加えた。


「……来年も桜祭りの花火は開催されるだろう。なあ、藍、と絶対に見に来いよ。これは約束だからな」


 僕の腕の中で藍は眠ったままだ。彼女の首の後ろにまわした二の腕に心地よい重みを感じる。左手の指先が柔らかな髪に偶然触れた途端、これまで堪えていた想いが胸に込み上げてくる。


「藍……」


 二度とこの手を離したくない。このまま強く抱きしめられたらどんなにいいだろうか……。


 【笑顔の藍が好きだ】

 

 僕が携帯ゲーム機にしのばせた動画ファイルの告白を受けて、彼女はもう涙を見せないと気丈な素振りで微笑んでくれた。それなのに藍より先に僕が泣いてどうするんだ……。


 急速に自分の視界がにじんでいくのを抑えきれず、不意の涙をこぼさぬように慌てて空を見上げる。ちょうど花火も佳境を迎えたのだろう。大輪の花を模した打ち上げ花火だけが夜空から僕の涙の軌跡あとを目撃していた。



 *******



「恵一お兄ちゃん!!」


「さくらんぼ!? さとしくんも!!」


 しばらく地上を明るく照らし出していた花火も終わりを迎える。夜の静寂が辺りを包んできた矢先、無線で救援を依頼したふたりが展望デッキに姿を現した。予想よりも早い到着に思わず驚きの声が出てしまう。


「恵一さん、クーガーの予備バッテリーを持ってきました。すぐにセッティングしますから!!」


 二年間も行方不明になっていた姉との対面だ。真っ先に駆け寄って聡も安否を確認したいはずだろう。だけど彼は自分の責務を最優先にしてくれたんだ。


 ありがとう、君のサポートがあったからこそ藍を救い出すことが出来たんだ。僕は心の中で深い感謝の気持ちを述べた。以前、楽園パラダイスに泊って男同士で語り明かした夜に彼が僕に告げてくれた言葉が鮮明に思い出される。


『……こんなことを言ったら不謹慎かもしれませんが、姉貴の件があったから恵一さんと親しくなれた気がします。これからも良き兄貴としてよろしくお願いします。あっ、ちょっと気が早すぎですか? 恵一さんを勝手に兄貴認定したらまた姉貴から怒られますね』


 ……聡、こちら側の世界線でもうひとりの僕と藍を見守ってくれ。君は最高の弟だったよ。


「……け、恵一お兄ちゃん、やっぱりむこう側に行っちゃうの?」


 さくらんぼはこれから僕が何をするのか予測が出来ている様子だ。記憶喪失から復活したばかりだというのに相変わらず頭の回転が速い妹だな。両方の世界線でもお前にはさんざん助けられたんだよな。それは何も行動だけじゃない。どんな逆境にも負けない明るさで立ち向かうことを教えてくれたのはさくらんぼ、お前のおかげだ。


「……そんなに心配そうな顔をすんなって!! 僕は無謀な賭けをしに行くんじゃない。親父のくれたコメントから答えを貰ったんだ」


「お父さんのコメントって!? 映画イベントの内容は全部モニタリングして聞いていたけど、どこに答えがあったの?」


「今回の親父様クイズは珍しく僕の勝ちだな。……なんて偉そうなことは言えないか。親父も僕も、聡くんだってこんな簡単な答えに気が付かなかったんだから」


「ええっ、恵一お兄ちゃん、ますます答えが分かんないよ!!」


「親父は追加コメントで言っていただろう。……必ず未来は変えられる。に捕らわれすぎるな、ってさ」


「……恵一さん。お話中にすみません。クーガーの準備が整いました。いつでも起動出来ます!!」


「ありがとう、聡くん。恩に着るよ。さくらんぼ、藍を頼む。眠っているだけだから心配しないでくれ。だけど病院で精密検査が必要なはずだ」


「それは私たちに任せて。君更津きみさらず中央病院の介護タクシーをすでに手配してあるから」


「……ずいぶん手まわしが良いな。まるでこうなるのを予測していたみたいじゃないか?」


「えへへ、種明かしするとね、私のためにお父さんが公園の駐車場で待たせてくれていたの。それを藍お姉ちゃんに転用しただけ」


 そうか。いい流れに僕たちは乗っているんだな。小さな成功が連鎖的れんさてきプラスの方向に向かって流れているに違いない。これまではマイナスの連鎖から抜け出せずにいたんだ。親父がイベントで触れていた成功の法則が俄然かぜん自分の中で真実味を帯びてきたぞ。


 これまで切れてしまいそうな細い蜘蛛の糸のごとく思えたひとすじの光。いまの僕には明るい希望に思えた。この流れを断ち切ってはならない……。


 ――公園の桜の花が完全に散る前にこの場所から姿を消そう。


「ふたりとも僕から離れるんだ!! 世界線移動時には何が起こっても不思議じゃない。ふたつの時間軸の狭間という暗闇に落ち込んで二度と戻ってこられなくなる場合もある。……藍がこちら側の世界線に帰還出来たのは彼女が特異な存在だからだ」


「了解しました!! 桜さん、姉貴を連れて下の踊り場まで移動しましょう。恵一さん、どうかご無事で」


「お、お兄ちゃん……」


 さくらんぼ、さよならは言わないよ。この世界線から香月恵一かつきけいいちという存在が消えるわけじゃない。借りていた身体をもうひとりの僕に返すだけだ。だから泣かないで欲しい。


「……髪の長いお前はとっても可愛いのな。むこう側のさくらんぼにもその髪型を勧めておくよ」


「……いってらっしゃい、ちなみに可愛いのは髪型のせいじゃないよ。元がいいんだもん」


「ははっ、そうに違いないかもな」


 旅立ちを湿っぽく見送らないで欲しかったから、妹の軽口がとても嬉しかった。眠ったままの藍を両脇から支え、慎重に移動するふたりの背中が階段の降り口に消えるのを見届ける。クーガーはすでにスタンバイ完了だ。バッテリーもフルゲージ。オレンジ色に灯る計器類がことさらに頼もしく感じられる。さらに自分を落ち着かせる意味合いも兼ねてこれからの手順を頭の中で唱えた。


 ……親父が過去に鐘ヶ淵かねがふちで世界線移動を成功させた事例には、BCLラジオ改を補助に使っていなかった。驚くべきことだけど親父は身体ひとつで時間軸の移動を成し遂げたんだ。亡き妻への想いの強さが機械ギミックを越えた瞬間だ。それは狂おしいほど人を恋するという感情が奇跡を起こしたのだろう。


 だけど何度くりかえしても決まった未来は変えられなかった。絶望した親父の胸中は僕にはとても計り知れない。そして彼は挑むのを止めてしまったんだ。


 親父から鐘ヶ淵のほとりで話を聞いたときには、僕も過去を改変するのは無理だと額面通り受け取ってしまった。それまで脳裏に浮かんていたのは、このまま鐘ヶ淵に飛び込んだら藍の生きている時間軸まで戻れるんじゃないのか? そんな想いまで瞬時に打ち砕かれてしまった。


 だけどそれは僕の早合点だった。親父の場合ケースだけで諦めるにはまだ早すぎるから


「……親父、アドバイスありがとな。確かに受け取ったよ。なんで上手くいかなかったのか。それはハッピーエンドに改変された小説、鐘ヶ淵の梵鐘の中に答えがある。物語の青年が少女と初めて出会ったとき、すでに彼女は病魔にむしばまれていたんだ。悲しいことだけど親父の願望が反映された小説の結末とは違い、実際には相手と知り合う前の時間軸までは戻れない。それが過去への世界線移動の定義ルールだから」


 点と点をつなぐ世界線移動。それは何も同じ場所や、同じ時間軸にしか移動できないわけじゃない。現に親父は鐘ヶ淵に飛び込んだ後で僕の母親と初めて出逢った公園内に現れたんだ。心に強く思い浮かべれば不可能が可能になるはずだ。だから僕は藍と過ごした過去のに戻る。もちろんクーガーの優れたナビゲーションのような力も借りて。


 親父がアドバイスをくれた内容にはもうひとつの気付きがあった。それが正しいかどうかは僕が世界線移動を成功してからの検証としよう……。


 ゆっくりと深呼吸をする。そして自分にとって一番大切な人の笑顔を強く頭の中に思い描いた。これからの行動をはたして彼女は許してくれるのだろうか? かすかな後ろめたさが頭をよぎる。藍は昔から自分よりも他人の幸せを優先する心の優しい性分だから。


「むこう側の君が亡くならない未来のためにはこれしか選択肢がないんだ。藍、どうか僕を許して欲しい……」


 BCLラジオ改、クーガーのチューニングダイヤルを合わせた後、固定モードのトグルスイッチを入れた。これで空間のずれは無くなるはずだ。ブーンという鈍い音が大口径のスピーカーから流れる。同時にこれまで経験したことのない強い偏頭痛へんずつうに襲われた。とても目を開けていられない痛みだがいまは思考を中断するわけにはいかない。背中に冷たい汗が流れるのも構わず、あの日の光景を必死で思い浮かべる。脳裏に焼き付いた藍の笑顔が何よりの鎮痛剤に感じられた。


「藍っ!! 君に降りかかった悲しい過去を変える。だから待っていてくれ……」


 ――たとえ君との想い出を全部失うとしても僕は構わない。



 次回に続く。



 ☆☆☆作者からのお礼・お願い☆☆☆



 【最終回、前編】を読んで頂き誠にありがとうございました!!


 いよいよ次回は最終回、後編の予定です。ぜひ最後までお楽しみに!!


 「面白かった!」


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 と、少しでも思われた方は作者の執筆の励みになりますので、


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