【本編エピローグ後編】僕はこの世界で君と二回目の初恋をする 

「もうすぐ、の命日だね」


 電話口の向こう、妹の言葉に心がざわめくのを抑えきれない……。


恵一けいいちお兄ちゃんは、もちろん帰って来るんでしょ」


「さくらんぼ、僕も学校やバイトで結構忙しいんだ。まだ決められないよ」


「たまには帰ってきて、お父さんを安心させてよ」


「何とか都合付けてみるよ、じゃあな!!」


 妹に色々お説教されそうなので、早々と電話を切る。ベッドに寝ころび狭いワンルームの天井を眺めた。


「あれからも経ったのか……」


 ぼんやりと虚空こくうを見つめ、物思いにふける。


「また桜の季節が来るな」



 *******



 僕、香月恵一かつきけいいちは都内で一人暮らしの専門学校一年生だ。住み慣れた街を離れた理由わけは、目指す分野に特化した専門学校が地元には存在しなかったからだ。その道を志ざすきっかけになった革職人の恩師から強い勧めもあり、こちらでの進学を決意した経緯があった。


「おっと!? 手帳への書き込みがまだじゃないか……」


 妹からの急な電話に気を取られて、うっかり忘れるところだった。毎日の習慣ルーティーンに取り掛かろう。手帳を取り出し今日の日付けに丸印をつける。そして空欄に短い文章を書き込んだ。


【an04012024kk1300】


 小文字のアルファベットと数字の文字列に規則性はなさそうに思える。パソコンや携帯のログインパスワートか何かだろうか?


「これでよし、と」


 十年前から始まったいつもの習慣をやり終えると決まって強い幸福感に包まれるんだ。その反面、疑念も湧いてくる。自分にとって無意味とも思える繰り返しに深い意味などあるのだろうか? そらでスラスラと書ける文字や数字にまったく心当たりはないという不可思議さに自分でも薄気味悪い物を感じる。


 ――重度の記憶障害でもあるまいし、何かの忘備録で始めた習慣なのかもしれないが、肝心の目的を忘れてしまうなんて僕は本当にどうかしているんじゃないのか!?


「さくらんぼの奴に免じて今回は早めに里帰りするか。久しぶりに親父の顔も見たいしな」


 僕の師匠と呼べる恩師が贈ってくれた革の装丁が施された手帳。大切な持ち物への書き込みがすべて無駄だとは思いたくない……。複雑な想いが自分の中で働いたのだろう。自分以外に誰もいない部屋だが、あえて独り言を口にする。気分転換をしなければならないのは妹から電話を貰ったからだ。けれども決して彼女が悪いわけじゃない。


 ……自分が勝手に決めた命日なのに、さくらんぼが必ず同席したり連絡をよこすのは、こちらのわがままに付きあっているのは充分承知しているから。


 そして僕は帰省きせいする準備に取り掛かった。



 *******



「……やっぱり楽園パラダイスの雰囲気は懐かしいよな。ここの空気を吸うだけで都会暮らしの疲れが癒されるよ」


「ふあ~あ。まったく恵一お兄ちゃんはいいご身分だよね。……私も都会で一人暮らしがしてみたいなぁ。でもね、お父さんが地元以外の進学を認めてくれないんだよ。これってめちゃくちゃ不公平だと思わない?」


「それは仕方がないと思うよ。親父はさくらんぼのことがいくつになっても心配なんだからさ。女の子が都会でひとり暮らしなんて絶対に反対するに決まってるよ。……それにしてもさ、お前は何で眠そうなあくびをさっきから連発しているんだ」


「……家の向かいで新築の工事が続いててね。その騒音が気になって最近寝不足なんだ」


「何だ寝不足かよ。でも工事なら夜間はやらないだろう。お前は夜更かしばかりして昼夜逆転してるんだろう。実家の向かい側ってしばらく空き地だった土地か? 新しい人が購入して家を建てたのかな……」


「そうなんじゃない。私が不在のときに挨拶には来てくれたみたい。隣に引っ越してくるのは絶対良い人に違いないよ!! だって新築工事の騒音でしばらくご迷惑を掛けるからって、お父さんが受け取った挨拶の品がサトレーゼの贅沢プリン詰め合わせだったもん」


「……さくらんぼは美味しい物にすぐ釣られやすいからな。親父がお前のひとり暮らしを反対する理由が分るよ」


 僕の実家がある住宅地の一角は長い間空き地だった。それについて記憶を紐解ひもとこうとしても濃い霧にさえぎられるように何も思い出せない……。


「ふああっ、楽園ここのソファーはふかふかだから、いまのさくらんぼは横になったら秒で眠る自信があるよ」


「おいおい、いきなり来て早々爆睡するなよ。僕たちは何のために楽園に集まったんだ? ……用事を済ませたらその後でゆっくりと寝てもいいからさ」


「……なんてね。寝たふりだよ!! それに手ぶらで里帰りの気が利かない恵一お兄ちゃんとは違うし。さくらんぼはいつだって用意周到よういしゅうとうなんですから。ほらっ!!」


 妹が指し示した先には今回の目的で使う品物がすでに用意されていた。最初に自分が楽園の入り口にあるシャッターをくぐり抜けたときには気が付かなかったな。さくらんぼは僕の帰省に合わせて用意してくれたのだろう。今日の出で立ちも白いワンピースを着ている。色は黒ではないが彼女にとって喪服と同じ意味あいなのだろう。見慣れているはずのショートカットがいつになくりんとした雰囲気をかもし出す。そんな妹の細やかな気配りに感極かんきわまって思わず胸の奥が熱くなる。


「……さくらんぼ。本当にすまないな。僕のわがままに毎回つき合ってくれて」


「いまさら何言ってんのよ。恵一お兄ちゃんは多少わがままなくらいがちょうどいいんだから。さっ!! 始めましょう。あの人も待っているだろうから……」


 ステンドグラスをはめ込んだ窓から明るい日差しが差し込む。今日は四月一日だ。平日には珍しく表の国道を行きかう車の数も少ない。おごそかな雰囲気をダンプカーの轟音ごうおんで台無しにされないのはとても幸いだった。古材を利用してしつらえられた長テーブルの中央を祭壇に見立てて故人への献花を捧げる。可憐な白いカラーの花束にステンドグラスからの陽光が落ち、さらなる彩りを加えた。


 長い黙祷もくとうの後、顔を上げ、祭壇を見つめる僕の胸中には多幸感が去来していた。日課になっている手帳への書き込みで感じるのと同じような想いになるのはいったいなぜなのだろうか?


「……お疲れ様。あっ、そういえば恵一お兄ちゃんに伝えなければならないことがあるんだ」


 楽園の室内に漂う重苦しい沈黙を先に破ったのは妹からだった。つとめて明るい口調に彼女の心配りが感じられる。


「……僕に?」


「はい!! さくらんぼのお手紙配達便だよ。今回は特別サービスでお駄賃は請求しないから安心して」


 僕に手紙だって? 妹がリュックサックから取り出した封筒は二通もあった。ひとつは普通の茶封筒。そして上に重ねられた大きめの封筒、こちらは表面に君更津きみさらず市役所のロゴが入っている。


「一通はお父さんからだけど、もう一通が差出人の情報が封筒に何も書いていないの。市役所から送られてきて恵一お兄ちゃん宛なのは分かったから直接本人に見てもらおうと思ってさ」


「さくらんぼ、いますぐ中身を確認してもいいか?」


「もちろんだよ!! そのためにわざわざ持ってきたんだもん」


 妹の表情にあからさまな好奇心の色が浮かぶ。普段ならそんな思惑おもわくには乗らないが今回の用事が上手くいったのは彼女のおかげだ。さくらんぼにも封筒の中身を見てもらおう。


「じゃあ封筒を開封するぞ」


「うん!!」


 椅子から身を乗り出し、キラキラとした瞳をこちらに向け興味津々な表情の妹に苦笑しつつ、僕は慎重に封筒を開けた。


「……何だ、これは? 中にも封筒があるぞ」


 市役所の封筒の中には一枚の便箋とカラフルな色をしたひと回り小ぶりな封筒が同封されていた。


「恵一お兄ちゃん、私これ知ってるよ!! 小学生のころにやった課題学習で間違いないと思うわ。未来の自分や大切な人に向けて手紙のタイムカプセルを送るの!!」


 さくらんぼの指摘を受けるまで、その存在を完全に忘れていた。君更津きみさらず市が行う事業の一環で市内全部の小学生が対象で十年後の自分や大切な相手に手紙を出すんだ。


「……」


「私も宿題で手紙を書いたからよく覚えているんだよ、……恵一お兄ちゃん、その顔はまさか忘れていたとか?」


「さくらんぼ、お前は誰宛に手紙を出したんた……」


「私は十年後の自分に向けて手紙を書いたよ。まだ指定の年数が経っていないから受け取ってはいないけどね。そういうお兄ちゃんこそ誰に出したの?」


 ……僕が手紙のタイムカプセルを出したのは自分宛じゃない。かろうじてそれだけは覚えている。だけどいくら思い出そうとしても指定した宛名の名前が思い出せない。


「そうだ!! 中身の封筒に差出人の名前が書いてあるんじゃないのか!?」


 いちるの望みを持って手に持った封筒を確認するが、裏面にも差出人の記載はない。


「……だめだ、差出人の名前は書かれていない」


 さくらんぼが心配そうに見守る中、わらにもすがる思いで封筒を開封する。ていねいに折りたたまれた桜色の便箋を取り出し、おぼつかない指先で手紙の内容を読もうとした瞬間。僕の目に飛び込んできたのは。


「なっ……!?」


「恵一お兄ちゃん? どうしたの!!」


 便箋を握りしめたまま思わずその場で固まってしまう。中身を確認し終えた僕の態度に異変を感じたのか、さくらんぼがそばに寄り添ってくる。


「恵一お兄ちゃん、便箋も白紙っていったいどういうことなの!! 子供のころの思い出を込めた手紙のタイムカプセルなんだよ。いたずら目的に使うなんて絶対に許せないよ…… 」


 差出人名と同じく何も書かれていない便箋。のぞき込んだ妹の表情が一変する。どうやら怒りの感情を抑えられない様子に見受けられる。だけど当人の僕はさくらんぼとは全く別の感情を抱いてしまった……。


 ガナーピーフレンズのレターセット!?


『あ、い……』


 自分の意志とは全く関係なく言葉が口の端からあふれるのを止められない。まるで唇が形状記憶の素材で作られたかのように、大切な人の名前を意味する二文字をかたどっていく。つま先から頭のてっぺんまで懐かしい感情が一気に駆けめぐる。


「恵一お兄ちゃん、いま何て言った!? この意味不明な手紙の差出人に心当たりでもあるというの!! 」


「さくらんぼ、いまから言うことを落ち着いて聞いて欲しい。まだ断片的だけど白紙の便箋を見た瞬間、僕は思い出したんだ。これは絶対にいたずらなんかじゃない!!

 そして今日は四月一日だ。前回のルートではむこう側の世界線からもうひとりの彼女が太田山おおだやま公園に突然姿を現した日なんだ」


白紙のはずの手紙。その便箋の目に鮮やかな桜色が僕をこれまで支配していたから完全に解き放ってくれたんだ。


「……恵一お兄ちゃん!? いきなり何を言い出すの。むこう側とか。世界線とか。それにもうひとりの彼女っていったい誰のこと。もしかしてお父さんの小説のネタ出しでもしているつもり? それなら当初の目的は達成したからもう私たちがプロット帳で手伝う必要はないんだよ。きっとお父さんの手紙を読めばその件には必ず触れていると思うから。サプライズでお兄ちゃんの腰を抜かしてやるんだって私に手紙を託すときにかなり息巻いていたし」


「親父が僕にサプライズを!? いったいどんな悪巧みをしているんだよ」


 急いでもう一通を開封する。親父からの手紙に書かれていた内容はすぐに読み終えるほどの短い文章だった。


 いつも自分の小説では会話文より地の文が多い親父らしくないな。そこにはいつかのコメントの答えが記されており、過去の世界線移動をすべて思い出した僕の推論を裏着ける内容だった。そして何よりも驚かされたのは売れない小説家の親父の近況に大きな変化があったことだ。なんと有名な小説大賞を受賞後、とんとん拍子で作品の実写映画化が決まったそうだ。これは良い兆候に違いない。


 ……でも僕には時間がない。壁面に掛けた時計は正午過ぎを表示していた。


「と、とにかく、詳しい説明は後でするから。親父の自転車の鍵ってあるか?」


「うん、そこの階段箪笥の引き出し、一段目に入っていると思うよ。でも自転車って恵一お兄ちゃん。これからどこに出掛けるの!?」


「さくらんぼ、僕は自分の過去を取り戻しに行く。こちら側の世界線で失った十年分の利子は大きいからな。そうだ、お前にはスイーツバイキングの貸しがあったのをすっかり忘れていたよ。その埋め合わせは後日必ずするから楽しみにしておいてくれ」


「……何だか良く分らないけど。きっと今日の命日とも関係があるんでしょ。面と向かってこれまでは言えなかったけど、恵一お兄ちゃんが名前も思い出せないのために四月一日を命日と決めてから、十年間欠かさずにお祈りを捧げて来たのを私はずっと隣で見てきたから。その強い想いが相手に届くといいね」


「ああ、お前にはさんざん世話になったな。本当にありがとう。じゃあ行ってくるよ!!」


 さくらんぼ、今は忘れていてもきっと彼女の存在を思い出すはずさ。お前とはまるで本当の姉妹みたいな関係だったんだから……。


「恵一お兄ちゃん、頑張ってね!!」


 さくらんぼの声援を背に受け、楽園パラダイスから陽光降り注ぐ表に駆け出した。親父自慢の小径折り畳み自転車を手早く展開させる。イギリス製の自転車でモールトンという機種だ。立ち漕ぎのまま目的地に向かって走り出す。建物に面した国道は下り坂になっており小気味いい音を立てて転がり抵抗の少ない前後ホイールが回転する。


 装着した自転車用の軽量ヘルメットには通気性を重視した多数の穴が開けられている。期待と不安でほてった顔と身体に通り抜ける風が心地よく感じられた。同時にこれまで忘れていた感情が蘇ってくる。僕の身体を構成する細胞、そのひとつひとつが本来の色彩を取り戻す。


 ――そうだ、僕の世界は彼女という鮮やかな桜色を完全に取り戻したんだ!!


「藍っ!!」


 僕は声の限り叫んだ。これまで眠っていた記憶のすべてに号令をかけるように……。


 むこう側の世界線で行方不明になっていたもうひとりの藍。彼女を救出した後、元々いた世界線に戻る際に自分が選択したのは、僕が小学四年生の時間軸だったんだ。ちょうど彼女の病気が悪化する原因が起こる前の時間軸をあえて選んだ。対象の相手と知り合う前に戻れないのは親父の事例で実証済みだったから。もう一度過去をやり直した僕は藍の身体に負担を掛けないことで彼女に訪れた死を回避しようと努力したんだ。なぜならばきみさらずタワーで小学生の藍に突然起こった世界線移動が、病状を悪化させる最大の引き金になったと知っていたから……。


 ふたつの世界線は表裏一体の関係だが、まったく同じではない。バタフライエフェクトのごとく過去の変化が大きく結果に影響する。そのヒントは親父がむこう側の世界線で僕に送ってくれたコメントの中に隠されていた。


 それは僕の名前の由来になった俳優、蒼木圭一郎あおきけいいちろうの存在だ。彼は片方の世界線では事故死しているのにもうひとつの世界線では亡くなっていない。まさに生存の別ルートに乗っているんだ。亡くなったという事実に大きな差異が発生した事例がすぐそばに存在していたんだ。それなのに普段から物事を深読みし過ぎる小説家の親父を筆頭に、僕たちは気が付かないという大失態を犯してしまった。


 親父がむこう側の世界線で僕に告げた、俺の失敗に捕らわれ過ぎるな。とはそういう意味が込められている。


 しかし予期せぬ世界線修復の力が順調に見えた二周目の僕に襲い掛かって来たんだ。見えざる神の手の猛威になすすべのなく蹂躙じゅうりんされてしまった。僕の記憶から次第に藍の想い出が消えていく。それは巧妙に事象も伴って世界線の間違いを正そうとする力に思えた。だから彼女が十年前に亡くならなくとも、僕から藍に関する記憶を奪うことで相殺そうさいしようとしたに違いない……。


「……藍、君が僕に宛てたタイムカプセルの手紙は白紙なんかじゃない!!」


 十年間の空白を取り戻すように彼女への想いを口に出す。いつしか自転車は君更津駅前にある大きな交差点に差し掛かる。そして信号待ちで一時停車した。ここまで休みなく全力でペダルを漕ぎ続けた僕は大きく肩で息をするが、疲れたなんて言っている場合じゃない。この先にある心臓破りの急坂を越えたら目的地である太田山公園は目の前なのだから。


「今日の約束は十年前に君と楽園で交わした。そして毎日僕が手帳に書き込んでいた文章だって意味不明な文字列じゃあなかったんだ」


【an04012024kk1300】


 二宮藍にのみやあい香月恵一かつきけいいち。アルファベットの文字列は僕たちのイニシャルを表す。そして数字は……。


「今年の四月一日、午後一時。大人になった君と手紙のタイムカプセルを、太田山公園の桜の下で見せ合おうって約束したふたりだけの秘密のキーワードだったんだ」


 彼女との大切な想い出を記憶から消し去りたくない僕が忘備録として十年前に始めた習慣ルーティーン。何度書いても一日たてば手帳から文字は勝手に消失してしまう。白紙の手紙と同じ現象だ。自らの記憶からという大切な存在を消し去ってこれまで僕は暮らしてきたんた。


 僕はもう君に関する事柄を絶対に忘れはしない。交差点の信号機が青に変わる。自分の心象風景にもはっきりと前へ進め、の文字が浮かんだ。


 ――太田山公園に続く急坂を登り切ったら、失われた過去に出来なかった話をしよう。


 だけど君の笑顔を見た途端、きっと僕は何も言えなくなってしまうのかな……。

 

 自転車のペダルをこぐ両足にも自然と力がこもる。いま乗っているのは親父自慢の高級折り畳み自転車だ。普通の物よりも走行や登坂性能は高い。だけど全力でここまで自転車を走らせた僕はこらえていた疲労感に思わず急坂を蛇行だこうしてしまう。それでも必死でペダルをこぎ続けた。沿道を彩る満開の桜の花が僕の背中を後押ししてくれる。


 あと少しで頂上が見えてくるはずだ。あともう少しで……。


 肩で激しく呼吸をしながら立ちこぎでペダルを回し続ける。手の甲で額の汗を拭った次の瞬間、一気に目の前の視界が開けた。


「くっ……!?」


 四月初旬だというのに夏を思わせるような強い日射しをもろに受けて、あまりのコントラストに思わず目が眩む……。視界のすべてが輝く白に呑み込まれたような錯覚を覚え、思わずまぶたを閉じてしまう。


 これまで僕が十年間見てきた彼女という存在の欠けた空虚な世界、そのすべてが塗り替えられるように感じられた。次に目を開けた瞬間、こちらの視界に飛び込んできた光景は……。


「恵一くん……」


「……あ、藍!?」


 狂おしいまでに咲き誇る満開の桜の花を背にして、彼女は僕に向かって優しく微笑みかけてくれた。いつか見た薄桜色のワンピースをまとった姿をひとめ見て、それまで藍と話そうと用意した何千何百の言葉は瞬時に舞い落ちる桜の花びらとともに消え去っていく……。


 こちら側の世界線でも藍は生きていた!! それだけでいい。僕には他に何も要らない。


「……恵一くん、十年前の私との約束をちゃんと覚えていてくれて本当にありがとう。日本に帰って来たのは昨日だからちょっと時差ボケしてるかも」


 ――藍、君は時差がなくたってたまにボケをかます癖が小学生時代にはあったよね。いつも放課後にくだらないギャグを言って僕を笑わせてくれた。


「……藍、そういえばこの公園までどうやって来たんた?」


「弟のさとしくんに無理を言ってレンタカーで送ってもらったの」


 聡だって!? 何だよ、こちら側の世界線ではすでに普通免許を持っているのかよ。まだ免許を持っていない僕は兄貴分としていきなり負けてしまったのか……。でもグッジョブ、こちら側の聡!! 今後、仲よくしてくれよな。


「そうだ!? 手紙のタイムカプセル!!」


 鞄から彼女が僕に宛ててくれた手紙を取り出し、急いで便箋を確認する。……几帳面だけど、とこか愛嬌のある丸文字がびっしり書かれた内容を見て、思わず安堵のため息を漏らした。


 僕は世界線修復のスパイラルから抜け出すことに成功したんだ!!


「ああっ、恵一くん、フライングしちゃだめだよ!? 藍と一緒にタイムカプセルのお手紙を読もうって約束じゃない!!」


 少し眉の端をゆがめ困ったような表情を浮かべる可愛い癖も昔とまったく変わらないな。そんな怒った藍の顔を見るのもすごく久しぶりだ。


「……藍、身体の具合は大丈夫なのか?」


「うん、心配を掛けてごめんね。恵一くんのお父様から紹介して貰ったお医者さんのおかげでもう心配ないって。帰国のお墨付きを貰えたから大丈夫!!」


「親父が紹介した医師の見解では海外じゃないと藍の手術や経過治療が出来なかったという判断だったんだよな」


 その件については親父の手紙に経緯が書かれていたから事前に知っていた。さらに手紙の内容で僕が驚かされたのは、実家の隣に越してくる家族の名前だった。いや、戻ってくるという表現が正しいな。新築している工事の施行主せこうぬしの名前は二宮にのみやだったから。


……両方の世界線でも特異な存在だったのは何も藍だけに限らないな。見えざる神の手が及ばない存在だからこそ親父は今回の再会を知っていたんだ。それにしてもネタばらしが遅すぎるぜ。小説家の悪い癖だな。だけど今回は特別に許してあげるとするよ。なんてったって僕にとっては最高のサプライズだから……。


「ねえ、恵一くん、藍の手紙、最後まで読んじゃった?」


「……いいや、藍のすごい剣幕けんまくに驚いたから、ちゃんと便箋に字が書いてあるか、チラッと一枚目を確認しただけだよ」


 僕が言い終わるやいなや、彼女は自分の胸に手をあてて大きなため息をついた。


「良かったぁ……。恵一くんに最後まで手紙を読まれなくて」


「その態度は何なんだよ、藍。先に手紙を読まれたらまずいことでも書いてあるのか?」


 楽園で手紙のタイムカプセルを悩み抜きながら書いている彼女の姿がまざまざと脳裏に蘇ってくる。僕から手紙の内容を覗かれまいと長い髪の毛の先端が机に触れるほど、身体全体を使ってこちらの視線をガードしていたな。


 僕の非難めいた言葉に藍はめちゃくちゃ照れると思ったんだ……。だけど今回だけは違った反応を見せた。


「だって、手紙の最後に書いた将来の夢は自分から直接、恵一くんに伝えたかったんだ……」


「藍……」


 さし向かいに佇む彼女の頬が頭上を覆う見事な桜のアーチよりも濃いピンク色に染まる。


「恵一くんを怒る資格なんてないね。私こそフライングで告白してごめんなさい……」


 藍が大きく深呼吸するのを僕は固唾かたずを呑んで見守るしか出来なかった。


 ああ、運命の神様が見えざる手の持ち主だとしたら、僕は初めてあなたに感謝の気持ちを伝えたい気分だ。


 だって人生で初恋を二回も経験出来るなんて幸せな男は、この世界線で僕以外には誰も存在しないのだから……。


「恵一くんの彼女になってもいいですか?」


 彼女からの告白への答えは最初から僕の顔に書いてあったのだと思う。この世界でいちばん藍が大好きだって……!!


 思いを巡らす間もなく夢中で藍の身体を抱きしめた。まるで子犬のようにこちらの胸に顔をうずめてくるのは、耳まで真っ赤に染まった顔を見られたくないからだろう。


「……やっと恵一くんに私の想いが届いた」


 消え入りそうな藍のつぶやきがこちらの耳に届く。彼女の懐かしい柑橘系かんきつけいの香りとともに僕も幸せな時間に身を委ねる。


「藍、待たせて本当にごめんな……」


「ううん、私こそずっと待たせてごめんなさい」


 ……ゆっくりと十年分の空白を埋めよう。


 まずは並んで歩く練習から始めようか。ぎこちない歩きかたでも決して笑わないでくれ。子供のころみたいに君をひとりで置いていったりはしないよ。歩幅はしっかりと合わせるつもりだ。


 君は不思議に思うかもしれない。何で並んで歩く練習がいちばん最初なんだって。


 だけどその理由わけは空気を読んでどうか察して欲しい。


 大好きな藍の笑顔を隣という最高の特等席で見つめていたいから……。


 ――僕はこの世界で君と二回目の初恋をする。



 【桜が咲くこの場所で、僕は幼馴染の君と二回目の初恋をする。本編完結】



 ─────────────────────── 




 ☆★★作者からの御礼とお願い☆★☆



 皆様の応援のおかげで完結まで到達することが出来ました。


 思いおこせば二年前の四月四日、桜が満開の季節から連載開始して、何度も中断しそうになり完結は絶望的かと思いましたが、これもひとえに皆様の応援に背中を押された結果です。


 恵一と藍の恋物語を最後まで応援して頂き本当にありがとうございました!!


 少しでもこの作品が面白かったと思って頂けましたら↓の項目から


 本編完結の記念に星評価の★★★を押してやってください。


 作者の今後の励みとして大変嬉しく受け取らせて頂きます。


 作品への感想コメントも大歓迎です。あと本編では描かれなかったショートエピソードや空白の間を繋ぐ話も今後、追加する予定ですので【作品フォロー】はそのままにして頂けると最新話の通知が届きます。


 もちろん作者フォローも大歓迎です!!


 今後ともkazuchiを何卒よろしくお願い致しますm(__)m




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