君と僕の大切な宝物は色違いだったね。

 「藍、頼む。最後のお願いだ。これから僕が取る行動をしっかりと見ていてくれ!!」


 ――そして僕は最後の切り札を取り出した。手の動きに合わせて待機中電源を示す筐体きょうたい前面にしつらえられた電源ランプがゆっくりと点滅を繰り返し、きみさらずタワー展望台の暗闇に青白い光の軌跡をえがく。


 きみさらずタワー、最上階展望台。先端には塔の象徴シンボルとも呼べる見つめ合う悲恋の銅像があり、その真下には方角を示す円形プレートがはめ込まれた白いレンガ作りの台座が設置されている。円形プレートの中心に設置したBCLラジオ改クーガーが、いまだ僕の前に姿を現さないあいと会話する唯一の手段だ。本体上部から伸びるジャイロアンテナの向きを刻まれた目盛りに合わせて小刻みに可変させる。受信感度を高めようとノイズが少ない方角を模索しようと悪戦苦闘するが、いまもスピーカーのむこう側で嗚咽おえつを漏らし続ける彼女の声が次第に聞き取りにくく感じられる。


 ……もう間に合わないというのか!?


 絶望的な思いに駆られて視線を落としたクーガーの前面パネルに光るオレンジ色の計器類。その中央に表示されたバッテリー残量はすでに底をエンプティ尽きかけていた。


 【この機会チャンスを逃したら二度と彼女には逢えなくなる!!】


 心の底から湧き上がる予感というよりも確信めいた強烈な感情に全身を突き動かされてしまう。もう恥も外聞もない。そう思った瞬間、自分の喉の奥から声が出た。


「藍っ!! かくれんぼの勝ち逃げなんて卑怯な真似を僕は絶対に認めないからな!!」


 藍と一緒に遊びまわっていた小学生のころに戻ったような叫び声を上げる。思わず言葉を発した自分自身でも驚愕きょうがくしてしまった。だが僕が驚いたのは何も絶叫したからだけじゃない。初恋の彼女の前ではいつもいいところを見せたくて恰好つけて振るまっていたんだ。それは小学校の勉強やスポーツだけに限った話じゃない。普段の遊びだって。そうだ、かくれんぼで負けて藍の前で泣き言を吐くなんて当時の僕には絶対にありえなかった……。


 次の瞬間、無情にもBCLラジオ改のバッテリー切れを知らせる英語ガイダンスが耳もとのイヤフォンから流れた。同時にいままで目の前で稼働中だったクーガーの電源が完全に落ちてしまう。これで彼女との通信手段は途絶えたことになる。


 ふたたび暗闇を取り戻した展望デッキにただひとり取り残される。僕は頭を抱えて途方に暮れるしかなかった。失敗の理由ならいくつも脳裏に思い浮かんでくる。藍の前で飾らない自分をさらけ出すのが遅すぎたのかもしれない……。反対に自問自答する。たったひとつの冴えたやり方は今回の計画にはたして存在したのだろうか!? 


【おっとぉ!! イベントもいよいよ終盤ではございますが、ここで映画、鐘ヶ淵かねがふち梵鐘ぼんしょうの原作者である香月かつき先生から追加コメントがあるそうです。皆様、どうぞ盛大な拍手でお迎えください!!】


 藍を連れ戻せず失意のどん底に沈みかけた自分には、いまも地上で行われている桜まつりの喧騒けんそう。そのイベントの司会者が仰々しく語る内容もまったく耳に入ってこない。ただ僕の親父が予定外で何かを語るということだけはかろうじて理解した。もう映画イベントを引き延ばす必要はなくなったと言うのに……。僕のモニタリングをしているさとしと妹のさくらんぼ。サポート役のふたりとは違い親父との通信手段がないので計画の失敗を知らせる手立てはないんだ……。


【……いきなりお時間を頂戴してすみません。この会場のどこかにいるに向けていますぐに伝えたいメッセージがありまして。まあ、原作者のわがままと思ってどうかお許しください】


 ……親父はいったい何を話しているんだ。どうしても伝えたい人って誰だ!?


【今回の原作小説である鐘ヶ淵の梵鐘には作者として並々ならぬ思い入れがあります。じつは過去にも映画化の打診を頂いていたのですが、すべてお断りしてきました。それはつまらないと思われるかも知れませんが、自分の若かりし日の恋文を世界中に公開するような気恥ずかしさも首を縦に振らなかった理由です。これまではそう思ってきましたが、そろそろ私も老齢の足音が聴こえてきました。叶えられなかった過去を手放すには遅すぎるくらいですが……】


【香月先生!! 老齢なんていうにはまだまだ早すぎますよ。主演の蒼木圭一郎さんと同い年な上に兄弟と見まがうほどのイケメンじゃないですか!!】


【ははっ、ありがとうございます。いまをときめく大スターに似ているなんて言われて、それはお世辞でも光栄です。帰ったらさっそく家族に自慢出来ますね。特に私に厳しい思春期の娘がいるんですよ。彼女にお墨付きを貰ったと伝えて驚かせてやりたいです】


 司会者とのやり取りに会場は笑いと拍手に包まれる。親父。もうやめてくれ。茶番劇みたいなコメントなんて必要ないんだよ。……ちくしょう、僕は周りのみんなの協力を全部無駄にしてしまったんだ。


【そして映画イベントに参加して確信したことがあります。その事実を彼に伝えたい。……必ず未来は変えられる。過去の失敗に捕らわれ過ぎるんじゃない。頭脳はクール、行動は大胆ホットで困難に立ち向かえ!!】 


 「親父――!?」


【おっと、最後は蒼木圭一郎あおきけいいちろうさんの主演映画から名台詞を引用させて貰いました。これも私の大好きな作品フェイバリットムービーです】


【……香月先生、一向に構いませんよ。それに僕の遺作になりかけた映画ですから。先生の原作小説に抱く気持ちと同じように強い想い入れがありますので……

 】


【これまた素晴らしいコメントの応酬です!! 皆様、おふたりに盛大な拍手を!!】


 引用した名台詞は親父の創作オリジナルじゃない。僕の元々いた世界線で若くして急逝した往年の名俳優、蒼木圭一郎あおきけいいちろう。彼が俳優人生最後に撮影した作品での決め台詞だ。享年二十一歳。映画の撮影現場での自動車事故で他界している。二十一歳と言えば僕とほとんど変わらない年齢だ。


 わざわざ親父が引用したのには何か理由わけがあるはずだ。通信手段のない僕に伝えたいメッセージを映画イベントに織り交ぜて話したに違いない……。


「……そうか!! こんな簡単な答えにどうして気が付かなかったんだ」


 小説家が生業なりわいの親父を筆頭に、僕らは謎を深読みし過ぎだった。誤解を恐れずに言うならば答えは最初から提示されていた。思い出すまでもない、僕の名前は何と呼ぶ!? 


 もう一度彼女に向かって声の限り叫んだ。喉が枯れたって構うもんか!!


 『藍っ、聞こえているんだろう!! クーガーがなくたって気配を感じるんだ。いまだって姿は見えないけど、差し向かいからこちらの様子をうかがっているはずだ。だってあの日とまったく同じだから。……君が神隠しにあったときもそうだった。藍が大事にしていたピンク色の携帯ゲーム機だけが、方角を示すこの円形プレートの上に置き去りにされていた。だから藍、もういっぺんあの日を仕切り直すんだ!!」


 親父からのメッセージに僕はふたたび勇気を貰った。それは記憶を改ざんしてまで無様に逃げ回っていた自分の過去をもう一度やり直すという気概だ。彼女が神隠しに遭ったかのようにこつ然と目の前から消えたあの日の状況。蘇った記憶を頼りにそっくりそのまま円形プレートの上に再現する。このために持参した最後の切り札。言っただろう、これは何もお守り替わりじゃないんだって……。


 「藍っ!! 答えてくれ。君にはこれまでの罪を償う義務がある!!」


 もしも事情を知る第三者が傍にいたら僕は頭が錯乱さくらんしてどうかしたと思われただろう。よりによって彼女がもっとも苦しんでいる罪について問いただしているのだから。


 これは最期の賭けだ。お互いに傷つくのは承知の上で彼女のにあえて触れる。いますぐに伝えたい言葉があるんだ……。


 方位を示す円形プレート。その台座の前に立つ自分の差し向かいに置いた藍の携帯ゲーム機。閉じられたままの筐体きょうたいがゆっくりと誰も存在しない空中に浮かび上がる。まるで幽霊のしわざに思える。これが桜の開花時期のきみさらずタワー周辺にまつわる騒動の真実なのだろう。


 ピンク色の携帯ゲーム機の上ぶたが無人のまま開かれる。軽いクリック音を立てた後、上下二枚の液晶スクリーンが作り出した白色光が灯り周辺を照らし出す。


【け、恵一くん、私の携帯ゲーム機をわざわざここまで運んできてくれたの……!?】


 辺りの静寂を破って彼女の嗚咽交じりの声が響いた。携帯ゲーム機の灯りに浮かび上がった懐かしい顔を見て思わず安堵のため息を漏らしてしまう。


「ありがとう、藍、やっと僕の前に姿を現してくれたね。元気そうで本当に良かった……」


 藍の白い頬に浮かぶ涙の軌跡を見て、僕はその後の言葉を続けられなくなってしまった。どれだけ長い時間、彼女は泣きはらしていたんだろう。生き別れになった二年前と変わらない薄桜色のワンピースの裾がふわりと夜風に揺れる様をしばし見つめる。


「……」


 藍の黒目がちな瞳に光彩が揺らぎ、また悲しみの色に染まりかける。はやる気持ちを抑えなから僕は彼女に向かってゆっくりと語り始めた。


「おかえり、藍。これまでひとりでよく頑張ってきたね」


 僕の言葉を聞いた途端に彼女の表情が変化する。これまでこらえてきた感情が一気に溢れてしまったのだろう……。


「恵一くん、いままでずっと隠れていて本当にごめんなさい」


「藍、僕はどれほど君の無事を……」


 いますぐにでも彼女を抱きしめてやりたい気持ちを必死で胸の奥に封じ込める。僕には先にやらなければならないことがある。


「やっぱり恵一くんは私のことを嫌いになったのかなぁ……」


「……何で藍はそんなふうに悲しい顔をするの?」


「だって、恵一君は私に言ったじゃない。これまでの罪を償う義務があるって!!」


 涙で濡れた瞳が彼女の気持ちを痛いほどこちらに伝えてくる。だけど怯んではいられない。僕にしか出来ないことを続けよう。


「そうだね。確かに言ったよ。だけど償う方法を僕はまだ話していない。亡くなった相手の存在を知って自分ひとりが幸せになることに強い罪悪感を感じているんだろう。君がもうひとりの世界線に存在したに向けた想いはとても純粋でけなげに思えるよ」


「じゃあ、どうして恵一くんは……!?」


「最後までよく聞いて欲しい。むこう側の誰よりも近くで見ていた奴の言葉を伝えるよ。いま藍が手に持っている携帯ゲーム機の中にその答えが入っている」


「私の携帯ゲーム機の中に恵一くんの答えが……!?」


 今回ばかりは特に整理整頓の鬼できれい好きな妹のさくらんぼに感謝している。小学生時代にブリキの缶を宝箱に見立ててしまい込んだまま忘れていた僕の携帯ゲーム機が奇跡的にいまでも自宅に保管されていたんだ。上着のポケットから藍とは色違いのターコイズグリーンの筐体を取り出す。あちこち傷だらけでお世辞にもキレイな外観とは言えないが、僕にとっては懐かしい思い出の宝物だ。君と僕を繋ぐ大切な色違い。


「……勝手に君の宝物の中に僕の携帯ゲーム機で保存していたSDカードを入れてしまったことは最初に謝っておくよ。あの日のこの場所で出来なかった続き、どうしても藍に見て貰いたい物があったんだ。君の携帯ゲーム機のメニューにあるアルバムを起動してくれないか」


 藍、その中には僕の想いが詰まっている。君の心にどうか届いて欲しい……。



 次回に続く。

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